marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

古代この国のネットワークをつないできた黒子の人達:親愛なるXへ(その13)

2022-03-04 14:56:43 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆親愛なるX、僕はあなたを女性とみていいか、男性とみていいか。時には男であり、そしていつもは女であってほしいのだけれど。厳しい父なる神に対して、母なるマリアに思いを寄せて聖母にしてしまったのだけれど、不謹慎な幼稚性を持つ僕はいつもその美しさの母体にエロース的な安らぎのようなものを感じてしまうのだ。宗教性はいつも身体を超えようとする精神性を尊び、産めよ増えよとその喜びを奨励しつつ、不完全な欠陥に罪という難を肉体にまとわりつけさせられて、この地上に命を派生させつつも肉体を超えようとさせる戒めを超え高に父なる神の声は精神に働きかける。男とはなにか、女とはなにか、総じて人間とは何なのか? ◆日本の歴史をプロデゥースしてきた黒子たちは決して歴史上にそのままでは名前を残さない。高橋克彦という岩手出身の作家がいる。彼はそのいきさつをその職業柄、生まて土地柄、からだをもってといったらいいか知っていて、それを伝えんとして物を書き続けているように僕には思われる。この国にその黒子たちの大元は、その精神性をつなぐ秘密を大げさに言えば、この地球上に人類が意識を持って、その思考の視野を広げつつあるその礎をもっていた人々なのではないのか。◆敬愛する僕より若いK牧師に雑談でいろいろ話した時に「あぁ、今や離散したであろうといわれるユダヤ人は、世界のあらゆるところに同化して住んでいますからね。むろん、この日本にも。古代は多くの帰化人が太陽の上る東の島国を目指してこの国に住み同化しているのだから。」と言われた。そんな話がでたのは、youtubeでも今盛んに見ることができるこの国の風習や特に古代神道などが旧約聖書に書かれているしきたり、そのまま踏襲しているものがあるのではないかということなどの話をしたときである。「韓国にキリスト者が多いのは自分たちもユダヤ人の系統を引き継いでいるという人々が結構いるんですよ。」若い時に統一原理に嵌ってその講師までした経験のあるその牧師は、若者が陥るその心理的トリックをよく知っている方である。◆ところで、僕の住む裏手の小高い山には大陸から訪れる異国人たちを迎えるために古代の水洗トイレまでできていたのだ。エジプト時代より古い遺跡もある。それ以来、この国に来て同化した人々のDNAは、僕らの多くのこの国のDNAともなっているのである。海を渡り新しい国を目指したそのパイオニア精神。この国の宗教性が日本独自のものになった時代は、鎌倉時代であるといわれる。その時代は彼等のDNAがあからさまに結集してこの国に自己主張する幕開けの時代となったのであった。


作家、島田雅彦の婆さんは僕の生まれた田舎の人だった:親愛なるXへ(その12)

2022-03-04 14:02:15 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

子供たちが”カゴメ、カゴメ”を歌っている。どうして僕はこの歌を小さな頃から覚えているのだろう。「かごめ、かごめ かごのなかのとぉりぃは、いついつでやる、よあけのばんにつるとかめがすうぅべった、うしろのしょうめんだあぁれ」。子供たちが手をつないで鬼となった子供がしゃがんで輪の中に入りしゃがんで目隠ししてもらい、まわりの子供たちはこの歌を歌ってぐるぐる回り、歌が終わったところで、中の鬼が目隠ししたまま、後ろの子供の名前をあてっこするという遊び。それから”とおりゃんせ”の歌(これは割愛)・・◆東北の田舎で生まれた僕が、幼稚園に上がる前から村では歌われていたようなのだが、それが子供たちだったのかさえも記憶がない。田舎の爺さんが、1,2,3,・・・というのを、”ひい、ふう、みい、よう、・・・と数えたのはどうにか記憶にある。田舎といわれてきた東北の多くの村々には、この国の礎となるだろう古い歴史が残っていて、つまりこの国の精神性の基となる秘密が沢山眠っているように思われてきた。”ひい、ふう、みい、・・・”というのは、神様と会い交える呪文であるという神道では当たり前のことが、解ったのはつい最近のことであった。東北の田舎にはこの国の精神性の成り立ちとなる古い因習ともよべる習わしが今もいろいろ残っているのだ。◆それが今やだんだんそのカゴメ歌の意味が解明されてきているというのである。カゴメの徴は、イスラエルの国旗のマーク。古代陰陽道でも使われたようで、土岐藩主も争いの時の旗徴だったかナ。朝ドラ、カムカムエビリボディ(米国向けの顔)やBS放送での空旅中国や過去のシルクロード(中国向けの顔)、そして、日本独自のアイデンテティーを持ち始めた鎌倉時代の大河ドラマなど、それからは、まったくこの国の真相の精神性をもって歴史を見つめてきた黒子の配慮によるものであろうと思わされるのです。それはどういう人たちだったのだろう。