marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<Ⅸ>Sから電話が来た:親愛なるXへ(その25)

2022-03-25 15:00:46 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 親愛なるSから。多少、調べてくれたようで、暇なのか? と訊くと熱と咳がでてきたので、検査を受けたのだが陰性だったが、一応大事をとって休んでいる、と。テレワークで毎日PCに向かっていて、気晴らしにブログを見た、と言う。出勤はないがレポートは書かねばならないようで、何についてかはあえて聞かなかったが(聞いてもわかんないだろうから)と思いきや「人間にとっての遺伝と環境」という今風の調査レポートを今までの検体から考察せよ、とか何とかだそうだ。詳しくはもっと知られた遺伝病のようなものを研究していて、遺伝と言えば、古代人からの骨がどうのこうのと、つまり彼は、遺伝に関することを研究しているらしかった。いずれ内容は暗いらしい。事実と言えばそれまでなのだが。

Sはそもそもそういう話が、まぁ医学部目指したからなのかどうかは不明なのだが、最初の出会いでの会話が、今でも覚えているが、高校時代にいかに博識とは言え、読んだことないのか?と真顔で言われた、それはハイゼンベルグの不確定性原理という奴だった。知らねぇ、というのが第一印象。当時は、これからは原子力の未来エネルギーの時代ということで、湯川秀樹や朝永振一郎とかノーベル物理学をとった時代で、ひとしきり原子核の講義をその時、受けた。

そんなこともあって、一応お互いの思考の傾向をしっているので、ぶちゃけ面白くないだろう小難しいような話も大いに興味の対象となるのであった。で、彼と話を始めるとしきりとその小難しいと思われる内容となるのであるが、こちらの理解如何にかかわらず、お前も何かの足しになるだろうからと切れ目なく話し始めると止まらなくなる。ただ、普段の仕事のガス抜きをしてるのか、と思われなくもないのだったが・・・。

おおぉ、脳みその神経系のドーパミンがしきりに放出されるのか、もともと知能が高いのは、その知識の神経系のつながり持続がとぎれないのか、そういう意味で医者にならんとする奴は僕のような縄文人とは違うのやな。時折、あぁ、今日はいい天気だ、やはり太陽がまぶしくなると嬉しいな(と、時折コーヒーをすする音もして)そのうち山に行こうぜ、と言い始めたかと思うと、急に声の調子も変わり始め、

ハドリアヌスはローマのお風呂好きで有名だな、平たい顔の日本人がでるテルマロマルエでその名が出てくるけど(これは僕がブログに書いたものからなのか)まさにあの遠い国からシルクロードを移動してきた、血が混じれば鼻が高いのも中和され、うりざね顔になってくるという訳だが、まさに東北は北方からの移民で混血し、”涼しまなこ(目)”の美人が生まれるということだな。木村伊兵衛の写真があるやろ、あの秋田美人の相撲取りの大鵬とか、最近では高校野球金農の吉田投手なんかの涼しげな眼は、ご先祖が大陸から混血のDNAのためだな。似てんじゃん。(それってブログに書いていたことやん)・・・

そうそう、お前が書いてた太秦(うずまさ)が映画村なのは、そもそもユダヤ人の血を引くお前の好きな秦氏が、芸能関係も秀でていたから、やはり大衆操作(否、大衆の喜ぶ芸能)の劇場を造ったのではないのか。ローマの五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニウスは中国で大秦王アントンと言われていたしな。・・・こういう話がでてきたのは、彼の家の本棚に辻邦夫の「背教者ユリアヌス」の1冊の分厚い本があったからなのかは分からなかったが、そのチクチクと気にかかる細かな博学であろうことをひけらかすようでもないのだが、時折気になる詳細な知識に、こちらも、お前本でも書いたら、とこちらも言ってしまうのであった。

秦氏がさぁ、能の観阿弥、世阿弥、音阿弥らがその一族であることは知られているわね。特に世阿弥が有名だけど、なぜ、観世音なのかね。観世音菩薩というのがあるやん。阿弥とうのは梵語からきているらしいけど、阿弥陀如来とうのは、そもそも秦氏が日本仏教に固定化したものではないの? 阿弥陀如来は、キリストのことだ、という人も現れてきたし。紀元前に離散し東へ向かった部族で秦一族はキリスト誕生を伝え聞き、キリスト教に回心したといわれ、日本に渡来したのだな。

あの日本に多くの技術集団で渡来帰化し貢献をした秦一族は、殆ど日本の歴史上に名前としてはのこさないな。聖徳太子のブレーンだった秦河勝が知られているが。秦(しん)の国で多くの国つくりの辛酸と教訓を得て、この日本にわたってきたのではなかったか。中国での景教(ネストリウスキリスト教)は大秦寺を本拠地として大変、流行した。ローマ寺ということになるな。(空海は留学時、この寺にお師匠の恵果の勧めでこの寺も訪問している。それで高野山には「大秦景教流行碑」のレプリカが建立されているのである。)

お釈迦さんが、何かの仏典でしきりに阿弥陀仏は、阿弥陀仏は・・・。と褒めちぎっていたというのを学者から聞いたことがあって、釈迦も将来、地上に建言する救い主、つまり浄土(キリスト教では天国)へ導きいれる方の存在を認めておられたということなのだな。つまり、地上に実際に顕現されるその救い主のことを、だ。・・・でこれから先は、お前の得意とするところだろうから・・・ キリスト誕生の東方からの三人の博士の内の一人は仏教徒だったに違いない、と言っている学者さんもいるからな。

浄土宗、浄土真宗は、つまるところ天国にいくための祈り(本願)が第一であるわけだ。阿弥陀如来の仏像も、親鸞はあれは方便である、つまり対象がないから顕現した手段であると言っておられる。実は地上にお墓も不要と実に合理的な考えをされていた。年齢、男女問わず、南無阿弥陀仏と唱えなさい、と。阿弥陀仏は浄土へ必ず救ってくださるであろう。「主のみ名を呼ぶものは皆、救われる」(これは旧訳聖書のヨエル書だったか)、新約で言えば、「絶えず祈れ、絶えず喜べ、すべてのことに感謝せよ。」という言葉になるかな。

徳川家の菩提寺でもある増上寺の入り口に法然さんの幼少のころの像がある。法然の父上は秦一族で漆間国時といって漆職人だった、で母は錦織で機織り職人だったらしいから、つまり真のキリスト教に沿っている。やはり、天地創造来に宗教性はその深層で、肉体的にも人のDNAにもずうと流れているのだなぁ、と思ったしだい。

言いたいことは、こうだった。正倉院の宝物にも当時のペルシャのガラスコップがあるし、あの時代の諸々の影響が日本にも伝えられていた、彼らが来ていたのは確実であり、当時のゾロアスター教(拝火教)は、そもそも日本に来て、護摩法要になったものだろう。奈良の大仏殿ではインドから僧正をよんで行うし、あそこも元はペルシャから来たゾロアスター教の流れなんだな。しかし、この地上の見える所作はさまざまであろうと、天地創造の人をも創造した神は、それ以来、歴史上の人におけるDNAをも通してこの国の精神性を形成してるのであると。肉体的にも精神的にもその吐出するきっかけとなったのが東国武士の出てきた鎌倉時代ということなのかなと思う。