marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

黒子たちの暗躍、この国の精神性の秘密は東北にある:親愛なるXへ(その14)

2022-03-05 10:36:41 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆「心理学や哲学など、特に人について突きめられて生理医学的にまで解明された人という生き物のその思考が進めば、といってもそういう事実は決して学校では教えられないのだがこれはなぜなのだろうねぇ。きっとそれは、人が人を裁く判断を持つようにもなる事実を知ってはいけないからなのだろうと思うけど。具体的に・・・」と博士号をもつSは言う。「医者こそ身体にかかわる事実を虚構と捉えねばねぇ。一番いいのは、肉体的には現代のように環境が整えられた縄文人だよ。一応、その時代に生きていたわけではないから何ともだが、そもそも記録自体が考えた文字という記録が殆どないからな。少なくとも肥満、デブはいなかった。結局、自分の人生をどう考えるかだな。この日本では14000年も平和な時代が続いたらしいじゃないか。と言っても湿気の多い酸性質のこの国では死体は殆ど朽ちちゃうけどね。大陸からの来た文化人には、驚嘆したのだろうなぁ。」◆「いやぁ、先に来た帰化人が、自分たちの目指していた国つくりに対して後からの異国人に対して早急なこの国の体裁を保つために頑張ったというところでしょう。あの時代、隣国でも争いがあってこの国には戦火を招いてはいけないと・・・すべて先んじて大陸で身に着けていた体制をこの独自のようにその仕組みを作りあげたのだから。海を渡って太陽の昇る東へ行こうとそのパイオニア精神、大陸の没落する体制を見捨てて第一そういう仕組みをこの国に作り上げねばならないと考えた人々は、その大陸での働きにおいては優秀な官僚だっただろうね。そこでだ。いまや明らかになりつつある日本に多くの帰化した前後して津人ユダヤ人なのでしょう。この国の黒子は特にその中のレビ族だったと思う。12部族の内のレビ族は神から土地の割り当てはなかったのだ。何をしたかといえば、殆どがそれぞれの部族の神の声を聞いて部族の政治にその信託を生かす働きをしてその役割を果たしていたんだな。八百万の神とうのはこういう分散があったためだが根はひとつ。彼らは神の声を聞くからという意味で言葉や文字の使いには秀でていた。それが、この日本来てご神託を受け持つ役割をになうことになる。世襲制だったからそれが日本の神主になっているのでしょう。全部が全部、官僚になれたわけでもないだろう。いな、わたってきた大陸に近い関西以西は、天皇を担ぐことができたのだが、多くはその職業柄といえばいいか、山を神聖し、ご神託を仰ぎ、修験者、山伏になったのだ。だから山々のてっぺんには祠が備えられているわけだ。それでふさわしい山には、荒行としての霊験あらたかな山が終結場所になってこの国の安寧を祈ることになったわけだ。だから、何か事あるごとに彼らに祈りとこの国の予見を頼むようになったから、天皇でさえ、やはり根っこは旧約聖書につながっているということだなぁ。後発の目に見える仏像をあがめ仏教とコンデンスしてしまったけど、根は同じ。これも旧訳聖書の申命記に『彼らは木や石の神々を拝むであろうと』予言されていたとおり。◆彼らは一途に修行に励む、彼らは政治直接はかかわらない、ことあるごとに、サポートのために結集した。あの時代、山々を巡り歩き、同根の精神性をもつ彼らのネットワークは、僕らはしらないだけ。東北の地を制覇するするためにも彼らはまさに鎌倉時代に背後にあって本領を発揮しだしたのだ。大いに活躍するんだなぁ。旧約の民の根を持つ彼らは、この国の理想の姿、それは唯一の神ということになるだろうけれど、間違っていると思えば廃止するために、正しいと思えば立ち上げるために結集したのだ。為政者を見るのではなく神を見ていた、ということ。◆源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、そして長期政権をとった徳川家康も背後に黒子サポートが多数いたのは疑いない。徳川が260年間も長期政権を持ったのは、そもそも松平から徳川という名になったことにその基があると思っている訳。在原の家系を引く松平が当時の旅の僧、徳阿弥を養子にもらってそこから徳川を名乗るようになる、これそもそも例の黒子でしょう、僧なんて。そのお方の立像が出生地の松平郷にあるんだけれど、まったくヨーロッパ人の顔つきで作られているね。思うに、この国において彼らは神の摂理に沿うて祭りごとがなされないと、織田信長による延暦寺焼き討ちや、豊臣秀吉の太政関白へのサポートやまた、廃止、天皇さえ(承久の変など)引きずり下ろすわけだ。鎌倉時代は、そのように彼らがこの国に成立に対して自然の摂理に任せるのではなく、神の摂理により、切った貼ったの人を動かして理想の国にしようとしていた時代なのだということが見えてくるのですねぇ。」