Saitolab 「なにもせんほうがええ」

婚しては妻に従い ボケては猫に従う

中原淳一 それいゆ

2024年02月28日 | 書籍・映画・音楽
ヒリヒリするセンスの良さ


横浜そごう美術館でデザイナー中原淳一の多彩な才能に大きな刺激を受け軽い嫉妬を覚えた。美術館では撮影禁止エリアも多く作品の一部しか記録できなかった。そこで雑誌「それいゆ」の復刻版(2016)を入手した。昭和21年から14年間発刊された「それいゆ」集大成。和装、洋装のファッションに始まり髪形や化粧、小物の自作に子供服、部屋のインテリアまで。果てはつけまつ毛の作り方まで図解されていた。なんだか”えほん百科”(平凡社)を見ている気分になる。


雑誌「それいゆ」表紙特集



髪形



バッグの製作



つけまつ毛の作り方


ファッションデザインに留まらず生き方の哲学、精神論にまで言及されている。一輪の花を飾ることの大切さを学ぶ。戦後、物の無い生活のなか心豊かに過ごすノウハウが詰まっていた。物と情報に溢れた表面上の豊かさの陰で心貧しき現代にこそ「それいゆ」はその輝きを増す。





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アヒルちゃん

2024年02月26日 | ロードバイク・クロスバイク
お仲間発見!

ちょっとやんちゃ仕様




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俺たちの旅

2024年02月24日 | 書籍・映画・音楽
薄幸な洋子が切ない

著作制作:日本テレビ 製作:ユニオン映画

ネット動画で「俺たちの旅」10年(再会)、20年(選択)、30年目(運命)を一気視聴した。TVドラマ本放送当時も小学生ながらリアルタイム視聴していた。まともに就職もせず自由気ままに暮らす3人(カースケ、オメダ、クズ六)を反面教師的な視点で観ていたのを覚えている。「十年目の再会」はそれなりに楽しめたが以降の20年目、30年目は完全なる蛇足。カースケが会社の社長におさまっているのは違和感ある。会社も家族も捨てて身勝手な信念のままに一人でマジョルカ島に旅立つその判断は滑稽ですらあった。そして30年目ではマジョルカ島からイタリアへと流れて最後は徳島の漁村に舞い戻り漁船の修理業をしている。ドラマオリジナルメンバーだけでは話が膨らまないので次々と新キャラが追加された。止めはカースケの元恋人である洋子(金沢碧)を病死させてしまう展開。「俺たちの旅」は三人の生きざまの他にカースケ、オメダと洋子の微妙な三角関係、それに真弓(岡田奈々)のカースケへの横恋慕が大切なプロットだった。30年目で洋子を殺したことでこのドラマのシリーズは完結したという鎌田敏夫(脚本)の強い意志を感じる。ドラマの作中に「カースケがその身勝手さから他のみんなを不幸にしている」との台詞がたびたび出てくる。しかし冷静に観るなら洋子の煮え切らない態度とプライドにみんなが振り回され不幸にしているようにも感じる。洋子がいなくなってしまってはこれ以上ドラマの進展は望めない。30年目では洋子との回想シーンばかりが出てきて間を持たせた。思うにもし洋子がカースケと結ばれていたとしても決して幸せにならなかったのだろう。最後に20年目(1995年)の作中で「昔の恋は遠い日の花火であり追いかけても掴めない」との台詞が何度か出てくる。この頃、サントリーのCMでも同じフレーズが逆の意味合いで何度も使われていた。



SUNTORY OLD 恋は、遠い日の花火ではない



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鱧(はも)

2024年02月22日 | 書籍・映画・音楽

秋刀魚の味


京都出身なので鱧の吸い物などは馴染み深い。大昔は冷蔵輸送の技術もなく鮮魚の長距離輸送は困難だった。そんな時代にも鱧は生命力があり海から離れた京都市内までの輸送に耐えた。その慣習から現代になっても鱧はよく食卓にのぼった。吸い物の他には湯引きして酢味噌、梅肉和えなども夏の定番。横浜に来てからも鱧を食するたびに「魚偏に豊とかいて鱧、結構なものですなぁ」と言っては妻に「うるさい!」と窘められる。BSで映画「秋刀魚の味」をやっていて上記のシーンがきたので、これ!これ!と妻にアピールするも「うるさい!」と一喝。「かあちゃん 堪忍」(人生幸朗)








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ぼくたちの失敗

2024年02月20日 | 書籍・映画・音楽
春はまぼろし


久しぶりにCDを買う。70年、80年代の世相、空気感はもう遥か昔の幻影









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メジロちゃん

2024年02月19日 | 写真、カメラ
AF-S MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8G ED / Nikon Df


日本野鳥の会生涯会員としてメジロの写真も掲示しなくては













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うめめ 2024

2024年02月18日 | ロードバイク・クロスバイク
AF-S MICRO NIKKOR 105mm 1:2.8G ED / Nikon Df


暖かさに誘われてクロスバイクで梅撮影。恩田川を辿り田奈の畑へ。ここは毎年の撮影ポイント。梅を撮影しているとメジオの群れが飛来。せわしなく蜜を吸ってまわる。梅とメジロを交互に撮影して次の撮影地へ移動。恩田川から鶴見川で新羽へ。新羽橋を渡って大倉山公園へ。梅まつりは来週だけれどそこそこ梅は咲いていた。本日の走行距離 45.79km クロス積算 11,879km


大倉山公園

















本日の走行ルート


新横浜でお仲間発見!



隊長 お疲れ様



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おなかの時計を急いで廻わそ

2024年02月15日 | 修理・工作・技術
ガビガビ(右)


もうみなさん飽き飽きだとは思うけれろも、セイコーのTYPE IIをもう一個精進しちまった。七対子病の再発。状態は不動品のガビガビ。機械を降ろすと油切れ。パッキンも劣化で硬化しパキパキ。


Oh!モーレツ


ケースは磨いては水洗いを繰り返す。内部の機械はクリーニングして注油、新品電池をセットする。初めはぐずっていたが数十年の眠りから目覚める。


黙々とルーチンワーク


ケースも丹精こめて磨く。この時計のオーナーは溶接工だったのか溶接時のスパッタを浴びまくった痕跡があった。50年以上昔の腕時計では時々こういった溶接ダメージを受けた時計にあたる。溶着してしまった金属粒を精密鑢で落として水ペーパーで磨いて痕跡を消す。最後は微粒子コンパウンドで鏡面に磨く。仕事から帰って夜中に無心でケースを磨く。こういう作業が心の均衡を保つトランキライザーたるのかも知れない。因みにこの個体も76年11月諏訪製造。このブルーグラデーションはひと月のうちに集中生産されたロットなのかも。


めでたし、めでたし



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どさん娘ラーメンを求めて その2

2024年02月12日 | ロードバイク・クロスバイク
美しい府中四谷橋


平塚のどさん娘店遠征はしたけれど当時のどさん娘ラーメンの記憶とのギャップを埋めるべく府中のどさん娘を目指しクロスバイクで走りだす。暖かな日差しはあるが強い風で身体が冷える。恩田川で町田を抜け鎌倉街道を北上。多摩丘陵を一気に登り乞田を抜けて野猿街道で多摩川へ。府中四谷橋で多摩川を渡り直進。2回右折して甲州街道を東に。JR武蔵野線を越えればお目当てのどさん娘に到着。やれ嬉しとお店を見ると張り紙があり営業しておらず。バイクを停めて張り紙を読むと店長さんが怪我で入院され2か月ほどお休みらしい。閉店でなくて良かったけれど残念無念。


お店には着いたけれど



シオシオのパー


片道30kmを走ってきたが行き場をなくす。今回は縁が無かったと諦め潔く帰ることにする。多摩川に出る道すがら東京競馬場に立ち寄る。数年前、レースの無い日に来ていたので記憶の補完をしようと思った。開放されている公園(日吉が丘)を過ぎスタンドに行こうとするも閉鎖されていた。競馬博物館を覗くも特に競馬に興味はなく馬の骨格標本だけ見て引き返す。多摩川を上流に向かい府中四谷橋まで戻り来た道を引き返す。貴重な三連休の最終日、無為に過ごしてしまった。本日の走行距離 57.53km クロスバイク積算 11,833km 自転車積算 32,165km。


2度目の来場



骨折り損だブヒヒン


本日の走行ルート


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どさん娘ラーメンを求めて

2024年02月10日 | 修理・工作・技術
撮影した画像で遊んでみる


先月、清川村遠征途中に立ち寄った台湾料理店 福満園の台湾味噌ラーメンがどさん娘ラーメンにそっくりだった。そこで本家どさん娘ラーメンが食べたくなった。ネットで店舗情報を検索してみた。どさん娘を展開していたサトー商事は既に解散。フランチャイズ展開していた個人店舗が細々とその屋号を引き継いでいるのみ。それら店舗もどんどんと店をたたんでいる状況。尚、「どさん子」(北国商事)と「どさん娘」で商標侵害の裁判があり「どさん娘」が敗訴。以降「どさん娘(こ)」を「どさんむすめ」と読み替えるようになる。いずれにせよ急がねばどさん娘は絶滅寸前の様相。関東近辺も数店が残っているのみ。自転車の行動範囲で調べてみると平塚に1軒残っていた。ネット検索では近県に数軒ヒットするもその半数以上は既に閉店され店舗さえ取り壊されていた。三連休の初日、早速クロスバイクで出撃。ルートは環状4号で瀬谷へ出て中原街道をひたすら辿り西南方向に最短を走る。厚木基地をかすめ用田を抜けて寒川へ。今年の走り初めで寒川神社を参拝していたが人が多すぎて落ち着いてお参りできなかった。こちらに来たので改めて参拝した。境内は比較的空いていたがご祈祷を待つ行列は長く続いていて驚く。


寒川神社 落ち着いて参拝できた


寒川から神川橋で相模川を渡りR129を南下。2.5kmほど走って二股を右にとりJR平塚駅前に出る。駅前は七夕まつりで何度か来ているので土地勘もある。駅前の商業ビル、ユーユーの駐輪場に自転車を停めていざどさん娘へ。狭い店内はラーメン屋というより焼肉店。カウンターやテーブルに焼肉コンロが常設されていて客は昼間からホッピーやビールでホルモンやカルビを各々焼いてヘベレケ。酒飲みおやじの巣窟だった。それに臆せず味噌ラーメンの大盛りとライスを注文。カウンターは店主のオヤジさん一人で調理。ベトナム系の中学生くらいの兄妹が注文と会計を手伝っていた。出てきたラーメンはモヤシ多めの味噌ラーメン。麺はやや細麺のストレート。味噌は往時の濃さはなくやや薄い。これなら福満園のラーメンのほうが再現性は高いかも。それでもラーメン鉢にどさん娘ラーメンの文字と意匠のアイコンが嬉しい。府中にもどさん娘ラーメン店があるのでいつか訪れようと思う。


片道30kmを走ってようやくたどり着く



色褪せた登録商標、本物だ



どさん娘 味噌ラーメン(50年振り)



ラーメン鉢は当時のまま



どさん娘店舗はアイヌ娘のステッカー、角丸の窓枠が共通

画像は閉店した石神井店



このステッカー欲しいわぁ


七夕まつり以外で平塚に来たついでにもう一軒立ち寄りたい店があった。駅前から県道61号(平塚伊勢原線)を北上。4kmほど走り新幹線の高架を潜り更に1kmほど行くと右手に田んぼ風景に場違いな店が出現する。ここがPEPPERS DRIVE-INというカレー専門店。店の外装、店内はアメリカンな雰囲気で埋め尽くされている。ラーメンで腹いっぱいなので店の外観だけ撮影させてもらう。時間は昼を過ぎていて順番待ちの客が5-6人並んでいた。開店当時は華やかだったであろう看板や外装は既に色褪せていた。クリームソーダの巨大なアイコン看板は外装が剥落しグラスの底が剥がれ落ちている。1957年型キャディラック デビルも塗装のクリア層が劣化しハゲハゲ。店頭のディスプレイ全てが退色しやや廃墟じみていて残念。


クリームがグラスから溢れているのかと思ったら>



緑色の外装樹脂が剥落していた


この店舗は映画「エイプリルフールズ」(嘘2)のロケ地にもなった。この映画には「セクシー田中さん」で話題の女優、木南晴夏さんがアルバイトのウエイトレス役で出演されている。因みにこの女優さんは「20世紀少年」では小泉響子も演じておられた。お店の外観を少し撮影して早々に引き上げる。相模川を渡り来た道を引き返す。本日の走行距離 65.96km クロスバイク積算 11,775km 自転車積算 32,107km


1957年型 キャディラック デビル



ちょっと残念


本日の走行ルート



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♪ デジタルはカシオ

2024年02月07日 | 修理・工作・技術
チープカシオというなかれ


嗚呼、またしても腕時計を精進してしまた。今回はカシオのデジタル。1988年頃に販売されていたTWIN-GRAPH(ツイングラフ)の復刻版。当時物は金属ケースに収まりなかなかに派手な液晶グラフィックスがグルグルと表示されるものだった。今回購入した復刻版は似て非なるもの。本体は薄い樹脂ケースで液晶表示も秒表示の円形ディスプレイはLCDセグメントが簡略化されている。オリジナルは1秒毎に60本の針表示だったものが、6秒まとめの10本となった。ストップウォッチモードでもオリジナルはアナログ時計表示部に美しいアニメーションが走る。復刻版はどのモードでもアナログ表示に変化なし。


腕時計の蒐集は続く


複雑系デジタル時計がそうであるように70年代後半から80年代にかけての商業デザインはどれも素敵だ。東通工のビデオデッキ、SL-J7や早川電機のマイコン、MZ-2000などのデザインは今見てもウットリする。海外のインダストリアルデザイナーでは最も敬愛するシド・ミード氏、2000年頃に筐体デザインの依頼でシド・ミード事務所とメールのやりとりをさせていただいたのは貴重な思い出。


東通工 J7



早川電機 MZ-2000






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ハマの秋葉

2024年02月03日 | ロードバイク・クロスバイク
TTArtisan 35mm F1.4 / FUJIFILM X-A3

こちらは本物




天気の良い土曜日、二か月ぶりにロードバイクで中華街を目指す。R16を南下して黄金町へ。ここからちょっと寄り道。横浜橋通商店街を抜けて左折、寿町を抜けて石川町へ。横浜の秋葉、エジソンプラザを覗く。実はここへ来るのは初めて。昔は多くの店が軒を連ねていたらしいが今や「シンコー電機」「タック電子販売」の二軒のみ。ファミリーマート横のエレベーターで2Fへ。「シンコー電機」さんの店先には怪しいジャンク基板や大容量の電解コンデンサーが並ぶ。店内にはトランジスターや真空管がいっぱい。先客の外国人二人は「オー!」「インタレスティング!」などと小声で感嘆しきり。店先の二連バリコンを積んだジャンク基板(500円)を買おうかと悩むも諦める。バリコン(バリアブルコンデンサー)を見ると思い出すのは小学校三年のとき、父からもらった大きな2連バリコンの片側を使ってゲルマラジオを製作した思い出。コイルは薄いベークライトの筒に手巻きして10pf程度のコンデンサーで絶縁した電灯線アンテナ。クリスタルイヤフォンがシンシンと鳴った感動を忘れることはない。せっかく来たエジソンプラザ、何か買うものはないかと探して松脂(ハンダペースト)を購入。今でこそ中華街や石川町は自転車で気楽に来ているが自転車に乗る前は自宅からは結構遠い印象。石川町に行くくらいならいっそ秋葉と判断をしていた。いわんや江の島、宮ケ瀬をや。自転車で走り始めてこの20年大きく世界が広がった。


コンビニ横のEVで2階へ


今では2軒のみになってしまった


店頭陳列品は新品とジャンクが混在。(ガラスケース内は新品)


石川町を後にして中華街へ。馴染の聚楽耀盛號で豚まんを買い求める。買い物のあとは寄り道せずに東神奈川へ。吉田飯店で大盛りの回鍋肉定食。風もなく穏やかな休日の走行となった。本日の走行距離 43.43km ロード積算 20,330km とうとうロードバイクの走行距離は2万キロを超えた。自転車積算 32,039km


ロープウェイは料金設定が高すぎて早くも廃業かと思ったらメンテナンスだった


腹も身の内


本日の戦利品


本日の中華街走行ルート



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火星年代記

2024年02月01日 | 書籍・映画・音楽
派手さは無いが名作


レイ・ブラッドベリ原作「火星年代記」(メモリアルエディション)の未開封DVDを入手した。1979年にアメリカでテレビドラマ化(主演:ロック・ハドソン)されたものを再編した4時間に及ぶ長編作品。この作品は1983年の正月深夜枠に地上波放送された。当時、少しでも良い画質で残したくVHSの標準と3倍モードを切り替えながら録画していた。この時は強い睡魔に襲われCMカットの録画ポーズ操作を朦朧とした意識で行っていたのを覚えている。後にこのVHS録画映像はDVDにダビングして今もライブラリーにある。映画冒頭では豪華、眉村卓氏による解説があった。やわらかな関西弁の解説が印象に残る。浜村淳の解説でなくて良かったと心底思ったものだ。長時間作品ではあるけれど何度も観返した名作。









手元にある安心感



華氏451

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