日本では数が減りつつある子供用乗用筐体であるが海外ではまだ新製品も多い。なかには版権物のパクリやメーカーデザイナーの独りよがりなIDもあり子供のことなどお構いなし。FRPの大型成型物を抜くのだから、も少しなんとかせいよと思ってしまう。画像の筐体も現物はもっと怖い。見開いて虚空を見つめる濁った少年の目。子供が泣き出しても少年が表情をかえることはない。トラウマになりそうだ。せめて頭だけでもクマさんに出来なかったのか。
ロンドンの地下鉄は市内の移動で重宝している。SUICAのようなオイスターカードを使えば運賃も割引され観光客料金を徴収されずに済む。出張ではヒースローに降り立ち先ずはオイスターへのチャージ。20ポンドもチャージしておけば4~5日はもつ。取引先の社長に言わせれば地下鉄など乗ったことがないらしい。あんなものは観光客とテロリストしか乗らないとのこと。しかし今まで地下鉄を利用してきて危険な目に合った事はない。乗客は皆大人しく譲り合って利用しており日本の都内の鉄道より安全な印象すらある。但し使われている車両は古く振動と騒音は酷い。車内もフリーペーパーが捨てられ散乱し綺麗とは言いがたい。駅設備も設計が古く狭い階段や長いエスカレーターなど車イスでの利用は絶望的。ロンドンの街自体、歩道の設計や信号の設定時間など健常者を基準にされており老人には住みにくい街であると痛感する。
画像はピカデリー線、ジュビリー線、セントラル線で使われている車両。ドアの両サイドにはこういう空間が設けてある。スーツケースを並べたり乳母車に便利。荷物の無いときは壁に寄りかかれる。丁度腰の高さにあるクッションが重宝するのだ。日本の車両も是非取り入れて欲しいものだ。
画像はピカデリー線、ジュビリー線、セントラル線で使われている車両。ドアの両サイドにはこういう空間が設けてある。スーツケースを並べたり乳母車に便利。荷物の無いときは壁に寄りかかれる。丁度腰の高さにあるクッションが重宝するのだ。日本の車両も是非取り入れて欲しいものだ。
一週間のロンドン出張から戻る。連日、ホテルとショー会場の往復で終わった。ホテルは地下鉄セントラルのランカスターゲート駅近くにとった。ここは空港連絡のヒースローエクスプレスのパディントン駅にも近い。値段は安いが部屋はロンドンにしては余裕がありスーツケースを広げることができた。浴室にはタオルドライヤー完備。浴室電灯に連動して電熱線がこの金属ラック全体を摂氏50度程度に温める仕掛けだ。500~600W程度は消費していそう。ホテルのバスタオルは毎日交換されるのでここまでして乾燥させる必要性も感じない。各部屋でほぼ一晩中このドライヤーが通電されていることを思うとやはり勿体無いと思う。昔ながらのセントラルヒーティング方式なら余剰スチームをタオルドライヤーに引き回わせばいいのだけれど。今時の部屋暖房はロンドンといえどエアコン方式に代わりつつある。このホテルも改装したてのようでダイキンエアコンが稼動していた。部屋の照明はLEDライト。TVは液晶パネルだった。
長年使ってきたビデオマスターを廃棄する。整備すればまだまだ使えたけれどそれを言っているとキリがない。今回お役御免のHDDレコーダー共々積み上げていた機器から抜き出し、CSチューナーなどの配線を整えなおす。積み上げていた機器類から二台抜いただけでも背面の配線類は大そうスッキリした。両デッキはヤフオクに出したところHDDレコーダーのみ1000円で売れた。梱包の手間賃だと諦める。ビデオマスターは横浜の粗大ゴミに出すと200円の手数料がかかる。タイミングよく廃品回収業者のチラシがポストに入っていた。電話で回収料金をあたると500円とのこと。粗大ゴミで一括廃棄されるより、料金は多少高くても廃品業者に託す。部品取りでもいいので活用されることを願う。不法投棄だけはしないで欲しいものだ。取り扱い説明書やリモコンなど一式を綺麗に袋詰めして本体はエアキャップで包む。この20年以上律儀に働いてくれたせめてもの労い。人生も折り返し地点を過ぎ物を抱え込むことより身軽になることに努めねばなるまい。そうしないと今度は自分が嫁に捨てられてしまうのだ。
文庫本を買う時は必ずカバーをつけてもらう。書店により異なるカバーのデザインが楽しみなのだ。横浜駅ダイヤモンド地下街の有隣堂では好きなカバーの色(無地)を選べるサービスもある。他に好きなデザインでは京都河原町でよく利用していた駸々堂のもの。「京都名所図絵」(竹村俊則作)の絵柄は見ていて飽きないものだった。翻って最近買った文庫のカバーがこれ。JTがタバコのマナーをピクトデザイン風に少しユーモラスに表記したもの。ポスターで観るにはいいかも知れないが自分の文庫カバーにはしたくない気分。そもそもタバコは吸わないし。これを載せることでカバーの広告料収入があるのだと思う。Amazonでお手軽に書籍も注文できる世の中。街の書店生き残りの為と思えば我慢せねばなるまい。そういえば20年以上昔のTVCMで電車を待つ向かい側ホームの女性が文庫のカバーをカッコ良く外し捨てるというのがあったなあ。
仕事が山場を迎えているので午前中は自宅にて書類作成。午後になりバイクで家を飛び出す。冷蔵庫の中を走っているような冷え込みのうえに容赦なく強風が吹きつける。目的地は近場の中華街とした。ウエストバックには縦位置グリップを外し軽量化したK10にレンズはMFの標準。この標準は高校生の頃からMESで使っていたお馴染みさん。中華街では朝陽門近くの王朝にて五穀豊穣の坦々麺で遅い昼食、ここの坦々麺は絶対のお勧めなのだ。この店は安いチェーン店風の店構えで損をしていると思う。折角中華街に来たのだからと本格的な店に入ろうとするのが人情。いっそのこともっと小汚く怪しい店構えにしたほうが客つきも良くなるかも。食事のあとは山下公園から赤レンガ倉庫までを歩きながらスナップ撮影。しかし久しぶりのMFレンズだったので撮影方法をすっかり忘れていた。ペンタのデジイチでは旧レンズはマニュアルモードにしてグリーンボタンで測光という儀式を忘れ絞り優先モードで撮影をしていた。レンズをいくら絞り込んでも連動せず。チェックしてみてもレンズの絞り連動ピンもボディー側絞込みも正常に動作している。絞り操作を諦めて全て開放での撮影となる。露出も怪しいのでRAWモードを保険として現像で逃げることにした。バイクを押しての徒歩では身体が冷え風邪をひきそうになる。撮影もそこそこに日没前に帰途につく。本日の走行距離45.24km 積算10005.0km 2003年から乗り始めたバイク(自転車)の積算もとうとう1万キロを超えた。1万キロといえば本気で走りこんでいるバイク乗りなら1年間の走行距離かも知れないが、グウタラで飽き性な性格の自分がよくぞ続いたものだと我ながら感心する。バイクに乗ることが目的ではなく知らない街の探索や撮影が目的なのがいいのかも知れない。
アキュトロンの電池交換をした。この時計は約2年周期で電池の交換時期がくる。電池は電圧1.35Vのものが規格となるが入手困難。そこで内部の音叉とインデックスギアの連動部を調整し1.55Vの酸化銀電池が使えるようにした。電池はSR927を使っている。電池を入れ替えると音叉振動による高周波の唸りが甦る。最近限定復刻で新品のアキュトロンが売られているらしい。お値段なんと$4,000也。
正月のスナップに標準を着けてみた。DXゆえに70mmほどの望遠にはなるが小型で軽量なレンズは新鮮。ディジタルでのf1.8は贅沢な明るさ。ついでに縦位置グリップも外してしまう。余計な操作を省いたことで構図に集中でき自然と身体が動く。ズーミングできないので足を使うしかないのだ。単焦点の不自由さに自由を覚える、忘れていた感覚。これではまるで安部公房の「鞄」ではないか。
「選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。」
「選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。」
今日は散歩がてら近所の玉子神社へ初詣。神社では特設テントでお神酒が振舞われ参拝の人も多い。お参りのあとお札(フダ)とお守りを買い求め焚き火で暖をとる。焚き火に当たるのは年に一度、この初詣くらいかも知れない。先の江ノ島でも気になったのだけれど、最近神社をお参りするとき拍手を打たない人をよく見かける。逆にお寺やお墓参りの墓前で手を叩くという姿も同じ頻度で見てしまう。こういうことは親が子供にしっかり教えねばならないこと。食事の作法、箸の握り方、言葉遣い、どれも大切なことだと思うのだ。
明日からは仕事が始まる。この第四クォーターは大切な山場を迎える。