イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

日本で体験したコロナ対策とそれにまつわる日本人の私がよそ者の目で見た細かい疑問...

2022年11月29日 07時00分00秒 | 日本

「日本とコロナ」、続きです。写真は日本の情景いろいろです。

(8月半ば過ぎから3カ月足らず、日本に滞在して3週間ほど前に帰国しました)

春ごろからパンデミックは世界中で「終わって」いたにもかかわらず、出会ったすべての人々がマスクをしていた日本の光景は別世界(パラレル・ワールド)のできごとのようでした。

感染状況が最悪だった2020年から21年頃、欧米各国で採用された法的な「公共の場所(屋内)でのマスク着用義務」もないのに!しかも、すごーく暑かったのに…!屋外でも!誰もいない場所でも!子供たちも!ジョギング中の人たちも!とにかくすべての人があらゆる場所でマスクをしていました。

もちろんパンデミックは終わっても感染は止まっていないのですから、予防策を各自がとるのは理にかなっていますし、風邪やインフルエンザの予防に、花粉症対策に、調理や配膳をする人たち(給食当番の小学生も)が日常マスクをする「衛生文化」が古くからあった日本では、特別なことではないのでしょう。

以上のことを考慮しても、世界がすっかりやめている(意味がないと判断した)マスク習慣をなぜ日本人のほぼ全員が続けるのか、解せません。

日本(と中国)以外の国では、マスクに感染症の拡大防止効果はもともと、あまり期待されていません。

2020年に中国での最初の感染拡大が世界的なニュースになりつつある時、たびたびテレビで映し出された武漢の市民は全員マスクを着用していました。それにもかかわらず、ものすごい勢いで増え続ける感染者の数...!「マスクの効果は気休め程度?」と思ったマスクをする習慣のない欧米人は少なくなかったはずです。

欧米で感染状況がひどいことになってきた時、「とにかくできることは何でもやろう。人が集まる場所ではマスクもしないよりはした方が絶対によい」と、藁にもすがるような気持ちで採択した「マスク着用の義務化」でした。

そしてワクチン効果とウィルスの弱毒化で重症化する人が減り、マスクの義務化が撤廃されたらいっせいに着用をやめました。

そもそも、欧米人にはマスクを着用する習慣がなかっただけではなく、口元を隠して他人と接することに後ろめたさを感じるメンタリティーがあるようですから。

そんなメンタリティーがないどころか、顔半分を覆い隠すことによって、自分をさらけ出さなくてもよいという安心感が得られる人もいるらしい(顔パンツ効果)日本人にとって、マスクとは感染拡大防止手段だけではありませんよね? 

日本以外のほとんどの国では不要だと認識されている習慣なのにかたくなに着用をやめない日本人にとってのマスクとは...?

共通の敵(=コロナ)と闘う連帯感とか、まわりと同じ行動をとることによる秩序とかの象徴だったりするのでしょうか。

「同調圧力」...?耳慣れないこの言葉を、最近日本のインターネットメディアでよく目にします。

「みんながしているから、マスクをやめられないんだな」と漠然と感じたことをわかりやすく説明する納得できるコンセプトです。

でも、「同調圧力」で簡単に説明されていいことなのでしょうか。

「やっぱり感染したくない。人にもうつしたくない」とすすんでマスクをしている人を何人も個人的に知っています。その気持ちはわかろます。

「ワクチンを打てば重症化はしないんだから いっそのことかかっちゃって抗体を作っておくのも悪くない。絶対的な効果はないマスクの常用はやめてもよい」と、パラレルワールドから飛行機に乗ってやってきた私は個人的に考えていますが、もちろん日本に住む人たちに自分の価値観を押し付けるつもりはありません。

ここ英国でも、医療機関での職員のマスク着用は必須ですし、来訪者にも使い捨てマスクが手渡され、着用が望まれています。

マスクはむしろ医療機関では「規律」や「緊張感」の象徴なのではないかと私は思います。

実際、医療の仕事をしている人たちも職場を離れたプライベートの場ではマスクを着用していないのですから、感染拡大防止の効果をはっきりと期待してのことではないでしょう。

 

さて、日本での話です。

日本ではどこかに到着すると必ず顔の汗を拭いていた(そしてその後、数秒のあいだマスクなしで冷房の冷気を顔に浴びて涼んでいた)暑がりの私は、市民図書館と私営の文化施設でスタッフに礼儀正しく、「マスク着用にご協力をお願いいたします」という旨の注意を受けました。

もちろん謝ってすぐにマスクをつけました。

日本で2年前に跋扈したという「マスク警察」なる余計なお世話の輩とは違い、マスク着用を入館条件に規定している場所で働くスタッフです。声掛けは当然の職務なのですが、「人から離れた場所で汗を拭いている人に注意しなきゃいけないのかなぁ...」と思ってしまったよそ者の私です。もちろん、きちんと仕事をしている立派な日本の職員の仕事ぶりに苦情を言うつもりは全くありません。日本だなぁと感じ入ったひと時です。

入った飲食店のほとんどすべてに、となりや向かいに座る人同士を隔てる透明なビニールやアクリル板の「ついたて」がありました。同席する連れの人たちを飲食中だけ引き離す意味がありますか。〔ありません〕

感染者といっしょに行動していれば、どうせ着席するまでに(たとえマスクをしていたとしても)どうせ感染しちゃってる可能性は大ありです。

ええ、まあワクチン接種が完了していれば感染させる可能性は3分の1以下、相手も完了していればさらに可能性が下がるはずですけどね。どっちにしても「ついたて」はまず不要です。

すべての公共トイレのハンドドライヤーが感染拡大防止のため、使用禁止になっていました。温風で手指に付着したウィルスが吹き散るのをふせぐため、ですって、ご冗談?!

ゴミ箱を使用禁止にしているトイレも多数ありました。清掃スタッフを感染からまもるために....。ウィルスの付いたゴミを処理して感染するぐらいなら他のことでとっくに感染しちゃってるはずでしょう。

30年以上前、日本には紙タオルやハンドドライヤーを設置した公共トイレはほとんどなく、ハンカチで手を拭いたものでした。衛生観念の高いはずの日本でなんだかばばっちいなぁといつも思っていました。

ここ十数年来、ほとんどの公共トイレが欧米のように紙タオルやハンドドライヤーを設置するようになったのは喜ばしいことです。それなのにこの度の「ハンドドライヤー使用中止」には呆れました!臨時の代わりの紙タオルもみかけませんでしたし。

電気料金と人件費の節約がねらいでは?

やはり、顔の汗を拭いたり マスクを外しての飲食中に口を抑えたり 咳やくしゃみをする時に飛沫を受け止めたりするハンカチで手を拭くことになるのですが、それって、感染拡大防止上ひじょうにマズくありませんか?その手でいろいろな場所をさわっちゃうでしょう?

...パンデミック初期の「感染者がウィルスのついた手で触れた箇所に触れただけで感染する可能性あり」という公式の認識のため、世界中で手やドアノブや手すりなどの消毒が推奨されましたね。あれは2020年末頃には、「感染経路になる可能性は極端に低い」とWHOによって撤回されたはずなのです。(まあ、だから飛沫の付いたハンカチで手を拭いてもかまわないということにもなりますが)

日本では、パンデミック初期の情報にまだオロオロ従っているということでしょうか!?

それ以後も消毒液を常備するなど清潔を心がける習慣がつづくのは、いいことですよね。私も賛成です。

しかし..日本には使ったボールペンは「使用済みのペン立て」に戻して消毒されるまで使わないようにする措置をまだ本気で実施している...病院...までありました(正気か?!)。

ボールペンにたどり着くまでに申請用紙やら受付台やら、たくさんのモノにもうさわりまくった後ですのに。

もう「対策バッチリ」というアッピールのため、効果のあるなしなどは本当にどうでもいいパフォーマンスのための措置としか思えません。

全く意味不明の「感染防止対策のため、飲食時間の制限にご協力ください。30分以内を目安にお声がけをさせていただくことがございます」という札を掲げたドーナツ店もありました。回転率をよくしたいだけ...ですよね?

入院患者や入居者の面会を禁止する病院や介護施設などの、「患者や入居者に絶対に感染者を出してはいけない」という崇高な使命感も十分納得できるのですが、もう少し融通の利く対処法はないのでしょうか。訪問者から隔絶される入院患者や高齢者の情緒面のダメージをもっと重要視するべきではないでしょうか。

とにかく「疑問を持たずに決められたようにやる」のが、日本では物事を秩序だって進めるために必要だということをあらためて理解しました。

これらの措置が感染拡大防止に役に立つと、みんな本当に信じているのかなぁ、使用済みのペン立てやハンドドライヤーの使用禁止までうけいれてしまうぐらいなんだから、それよりはたしかに効果があるはずのマスク着用も、もしかしたら「疑問を持たずに」の一環で続いている習慣なのかもしれない...と思ってしまいました。

それにしても、あらゆる場所でのマスク着用の徹底そのほか、日本独自の納得しかねる防止対策をいっぱいやっている日本で、経済活動促進のための外食や旅行の推進、「インバウンドの積極的な誘致」をはじめちゃうって、日本政府は本気でしょうか。

ワールドカップの応援の時はマスクを外すのなら、国内ではずしてもいいんじゃないかって思わないのでしょうか。

むしろ、国内でマスクを外せない人たちにとって、感染防止対策を全くしていない国々から来た人たちでいっぱいの国際試合の会場は日本国内よりよっぽど危険ではありませんかっ?!

全員マスクをしていても、日本での感染者数は増え続けていますよね。

 

 

 

 

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日本ではまだまだ大変だったコロナ対策と、これ意味あるの?疑問を誰も口にしない日本人の、秩序を重んじる道徳観と勤労意識の高さ!!

2022年11月27日 07時00分00秒 | 日本

自他ともに認識する、世界一清潔で安全な国、日本から帰国してもう3週間です。

(写真は、ほとんど実家付近と最寄り駅界隈以外外出する機会のなかった滞在中に、数回出かけた東京を含む日本の風景です。場所の詳細は一番下に)

軽い「カルチャーショック」のような状態がまだ続いています。

勤勉で礼儀正しく、秩序を好む国際規範の模範になるような国民性も自他ともに知られる日本人の特性です。

実家の事情で滞在した3カ月近く、あらためて上記のすべてが実感できました!

 

 

入国は、コロナ感染拡大防止の「水際対策」なるものの規制が大幅に緩められた8月の半ばでした。

空港ホテルに滞在する検疫隔離と空港でのPCR検査は廃止になり、出国前24時間以内に検査した「陰性証明」の提示が入国の際、求められました。

マンチェスターで有料の検査を受けてきて、即日届いた結果はめでたく陰性!と言っても...検査センターでは陰性だったのはたしかでしょうが、その後、誰一人マスクをしていないラッシュアワーのバスに1時間近くも乗って、ストックポートの自宅まで帰りました。

もちろん、渡航日当日も大勢の乗客であふれかえる空港(マンチェスターと中継地のチューリッヒの二か所)や、世界各国から乗り合わせた乗客といっしょに密閉状態だった十数時間のフライトで感染した可能性は大ありだったはずです。

到着した成田空港でのコロナ検査は一切なしで、うんざりするような長い長~い検疫審査(おもに書類のやり取りと順番待ち)を経て入国できちゃいました。

日本の「水際対策」、まったく意味がありません。

たしかにチューリッヒからの日本行きのジャンボジェット機には「24時間以内の陰性証明」を持った乗客のみが機内でのマスク着用必須で乗り込んでいたのですが...

それでもヨーロッパ各地で観光やら用事を済ませてきた日本入国者は私と同じで、(陰性だった)検査後の20数時間、感染者との密な接触の可能性を経て誰~もマスクをしていないチューリッヒまでのヨーロッパ内航路を搭乗してきた人たちなのですよ。

(繰り返しますが)検査後に感染しちゃった可能性も大ありな人たちばかりなはずなのです!

...まあ、いいか...?日本はとにかく「やってる、がんばってる」という形を世界に示したかっただけなのでしょうから。

 

狭いスペースに大勢詰め込まれて自分の審査の順番を待っている間に「今まで陰性をたもてていたとしても、ここで感染しちゃうことだってじゅうぶんあり得るようなこみ方だな」と思っていたのは決して私だけではなかったはずなのです、私の周りでそのことを口にする人は皆無でした。

「水際対策」の一環として外国人の入国には「短期滞在ビザ」が必要だったためでしょうか、私と一緒にチューリッヒからのジャンボ機を下りた乗客は8割ほどが日本国民のようでした。

文句も言わずに係員の指示に従って粛々と長い審査をやり過ごす辛抱強い入国者、また何時間も親切に同じ説明や指示を繰り返し、入国者を決してぞんざいに扱ったりしないプロ意識の高い係員...日本に帰ってきたことを強く強く実感しました。

決まりを守り人と同じ行動をとることによって得られる秩序や効率について各人が自覚を持った入国者や、自分の仕事に誇りをもって一生懸命ていねいにやり遂げようとする係員...すべて私の同胞です。

長く日本を離れていると、自分が日本人じゃないみたいに感じることがたびたびあります。

もともと日本に住んでいた頃から、形骸状の習慣や形式を重んじて、とりあえずみんながやっているからやっておこうと、無意味なことに疑問を持たない人々の行動にはいつも抵抗感がありました。

日本人じゃないようにふるまってもよかった英国での30数年間を経て経験したこの「入国検疫審査」の間、3回ぐらいは「キレてやろうか」とたしかに思える瞬間がありました。

しかし、行動規範の立派な同胞の中にあって、1人で「キレる」ほど品性が低くない私はニコニコと品のよい言葉づかいで係員の質問に丁寧に答え、必要な書類も提示して無事入国審査を終えることができました。

近頃、日本では特に私ぐらいの年代のオバサンや高齢男性など、公共の場で「キレる」人が多いそうですね。店員に土下座させたり「責任者を呼べ」とつまらないことで喚き散らしたりする(たぶん私より品性の低い)人たちが。あまりにも両極端なのが何とも不穏です。

実際に滞在中に「キレたり」しなかったのはもちろん、「キレた」人もみかけませんでしたが、ははぁ, 人はこういうことで「キレる」んだな...と「キレる」心理をあっさりと理解した私です。

 

「圧」って言うんですよね。3カ月の滞在中にコービットがらみの行動規制でたしかに感じましたよ。

「キレる」人たちって、社会の鼻つまみ者なはずですが、案外何もかも吹っ切れちゃったお気楽者でもあるのかも、とふと感じました。

「なぜこんなことしなきゃいけないの!?いや、みんながちゃんとやっていることだから、私もやらなくてはいけないんだ」と自分を納得させるように努めました。日本にいる間は日本人らしく立派なふるまいをしようとも心がけました。

短期間の滞在ではなく、一生日本に住み続ける人の中にはそれを「生きづらい」と表現する人もいるそうですね。自分の性格や行動規範が、秩序を求める日本社会の中に適合しないと考える人がいる、ということでしょうか。

 

コービッド(新型コロナ・ウィルスによる感染症)によるパンデミックはすっかり終わったことになっていた英国から日本にわたり、不可解な「感染拡大防止策」を体験して、コービッドによるパンデミックはやっぱりすっかり終わっている英国に戻ってきました。

不可解な「感染拡大防止策」とは;酷暑のさなかの自主的なマスク着用や「黙食」、飲食店のテーブルの同席者との間の仕切り!、入院患者や高齢者ホームの入居者への完全な面会禁止、公衆便所のハンドドライヤー使用禁止、そのわりには旅行や外食推進や外貨稼ぎに外国人を呼び込もうキャンペーンの大展開や、安倍元首相のドヒンシュク国葬の際の国際社会を鑑みてのマスク一時撤廃案 ‥などなど...です。

 

とにかく帰国後の先週、後れをとった4回目のワクチン接種を受けてきました。

予約なしで名前と生年月日を受付で言えば、過去のデータと照会して国中どこででも接種を受けられるNHS(国家保健サービス)のワクチン接種ネットワークの無料サービスです。

ついでに、50歳以上は無料で受けられるインフルエンザの予防注射も反対側の腕に打ってもらいました。

平日の教会を使った接種会場はガラガラで、なぜか男性ばかりの職員が、ヒマそうにマスクを外してくつろいでいました。接種者の私が入って来たら慌てて箱に入った使い捨てマスクをつけて対応してくれました。

私の受付を担当したインド・パキスタン系の私服の若い男性ナースは日本が大好きだそうで、最近見た私の知らない日本のアニメの名前を列挙してくれました。

日本に行ってアニメの舞台をめぐるのが夢だそうでした。

 

快適な日本での生活に感じる人は感じるらしい「生きづらさ」について以下、次号。

写真は上から;

千葉県船橋市の駅前商店街の不二家のペコちゃん、初秋の船橋市三番瀬海浜公園(富士山を望む風の強い日没後)、紅葉の季節には早すぎた新宿御苑、 皇居外堀(JR 飯田橋駅から)、夏の潮干狩りシーズンの三番瀬海浜公園、船橋駅周辺の裏通り

 

 

 

 

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帰国したら女王はいなかった、感慨深い晩秋の英国

2022年11月24日 07時00分00秒 | 英国の、生活のひとコマ

8月の半ばから、3カ月近く日本に滞在して2週間前に英国に戻りました。

日本にいる間に、英国の夏から秋の季節の移り変わりを見逃しただけではありません。

(写真は帰国後の近所で撮った、英国の晩秋風景です)

私が英国に移り住んでからずうっと...どころではなく私が生まれるずうっと前から、実に70年と214日この国の女王だったエリザベス二世が亡くなっていました。

女王と同じぐらい見慣れた顔の、私が日本に行く前は皇太子だった高齢男性が 国王チャールズ三世として国家君主の座を引き継いでいました。

もちろん、日本で女王が亡くなったニュースはていねいに追っていましたし、お葬式の生中継もケーブルテレビで最初から最後まで見ました。

BBC(英国国営放送)が撮影して世界中に配信したらしいその映像には、アメリカの CNN 局のアナウンサーと有識者(アメリカ人)が対話する形式のアメリカ英語のコメンタリーとそれにかぶさる日本語の同時通訳がついていました。聞きずらいことこの上なし。しかも「英国の伝統や権威」に憧れるアメリカ人視聴者を満足させる主旨の俗っぽい内容でした。もしかしたら一般の日本人の好みにも合う内容だったかもしれません。

英国外では全くなじみのない参列者(たとえば首相経験者など)の紹介など完全にすっ飛ばしてテレビに映っている映像と全く関係のないトークで盛り上がったりしていました。

どうせBBCのオリジナルのコメンタリーを使わないのなら、「日本人の有識者(英王室に関するエキスパート)」に日本語で語らせればよかったのに...   と思いました。

君主がものものしい軍礼装で勲章をじゃらじゃらつけて王冠をかぶって出席する物々しい儀式はまだないようなので、君主の交代の実感はほとんどありません。

戴冠式は年が明けて5月です。

訪れた場所からの中継で、おなじみのダブルのスーツ姿のチャールズが「国王陛下 His Majesty the King」と紹介されているのを聞いて「あっ、そうだった」と思い出しました。でもなぜか違和感はありません。

そういえば、今年5月の国会の開会式 State Opening of parliament にはチャールズがものものしい軍礼装で(王冠はなし)女王の代行で出席したのでしたし、その前の数年は、100歳近い高齢でお疲れ気味の父君のエディンバラ公フィリップ殿下の代りに母君、エリザベス女王をエスコートして出席していたのでした。

そう遠くない先の予行演習みたいなものだったのですね。

国民もなんとなく慣れました。

「チャールズ、老けたなぁ」としんみりさせられる、70代のそれでもまだ、皇太子だったのでした。

母と息子が仲良く臨む荘厳な国会開会式をテレビで見て「チャールズ、年より老けて見えない?っていうか、女王が若く見えすぎ...姉弟か、ヘタすれば夫婦にも見えるよね」なんて勝手な感想を言っている国民がけっこういたはずですよ。

カタールでのサッカーのワールドカップの試合前に、国歌 God Bless the King の有名な冒頭部分の歌詞、God save our gracious king の king を歌いなれたqueen とまちがえて歌ってしまったイングランド選手がいたのが話題になっています。無理もない話ですが、試合前に各選手はまちがえないようにクギをさされていたそうです。

女王が亡くなった3日ほど後に娘が送ってくれた写真です(私が少しトリミングしました)

近所の無人駅のプラットフォームにある乗車券の販売機です。

通常は、コンピュータースクリーン式の販売機の最初のページには鉄道会社からのお知らせなどが表示されていますが、服喪のイメージに切り替えたようです。

それにしても素早い対応ですよね。ずいぶん前から用意していたとしか思えません。

国外にいて国を挙げての追悼行事を見逃したのは返す返すも残念です。

エディンバラ公の死の直後は通常のテレビ番組が全て、これまたずいぶん前から用意していたであろうと思われる故人の伝記ドキュメンタリーを中心にした追悼番組に切り替わったことが思い出されます。

国家君主を失った今回は、それよりももっと気の入った追悼だったようです。

チャールズ三世の肖像が印刷された5ポンド、10ポンド、20ポンド、50ポンド紙幣(と言っても紙製ではなく、プラスチック製、正しくはポリマー樹脂製)のデザインが年末に造幣局から発表されるそうです。

流通がはじまるのは2024年...ってずいぶん先ですね!

紙幣のデザインはかわらず、君主の肖像の部分が女王から国王にさし換えられるだけだそうです。

代替わり貨幣の発行の見通しはまだ立っていません。

貨幣に刻まれた女王の肖像は全て右向きのプロフィール(横顔)ですが、チャールズ国王のデザインは全て左向きになる予定なのだそうです!

英国の数百年来の伝統で、新旧の君主のプロフィールは代替わりの際、必ず反対向きにする「縁起かつぎ」のような習慣があるそうです。

女王の肖像入りの紙幣、貨幣は無効になることはないものの新国王のデザインがでまわるにつれ、ボロッちくなったものから回収廃棄されていくそうです。完全に新陳代謝が完了するまで、数十年かかるそうですよ。

プラスチックのお札はぜんぜんヘタりませんしね。ポケットに入れたまま洗濯してもピンピンのまっさら状態できれいになって洗濯機から出てきます。

 

ちなみに...英国では君主の誕生日は祝日ではありません。

 

Elizabeth Alexandra Mary,  April 21 1926-September 8  2022

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感染拡大第八波を迎えるという日本から、コロナなんてもうないことになっている英国に帰ってきた顛末

2022年11月20日 04時26分23秒 | 英国の、生活のひとコマ

成田から、中東のアブ・ダビ経由で英国に帰国しました。

アブ・ダビまで12時間、さらにヨーロッパの主要都市まで7,8時間の南回りの長いルートです。

ヨーロッパと極東を結ぶシベリアの上空を横断する最短飛行距離(12時間前後)のフライトはロシアとの紛争のため、多くの航空会社が避けているようです。

(ただし、私はマンチェスターから成田までシベリアまわりの最短距離航路でいけました。永世中立国スイス国籍の旅客機が予約できたものですから!)

成田からエティハド航空に搭乗する乗客の多くは外国人と見受けました。

もちろん成田空港内は日本のあらゆる場所と全く同じですべての人がマスクを着用していました。

 

出発ゲートに集合した(ヨーロッパが最終目的地と思われる)日本人搭乗客をぼおっと見ていると、メガネをかけた女性が多いことに気が付きました。

そういえば、日本人女性のフライト中のメガネ着用率はいつでも傑出して高いように思えます。

長い飛行時間中、コンタクトレンズを気にせずにしっかり眠るためのメガネ着用ですよね。

メガネをかけた日本人女性はどこでもあまり見かけないものです。日本ではコンタクトレンズがかなり昔から普及しているからですよね。

余談ですが...私がマンチェスターに留学していた30年以上前、「メガネをかけているかどうか」が日本人と中国人を見分ける決め手でした。当時、中国人と言えばほぼすべてが香港からの留学生。オシャレな服装の経済的に恵まれた香港の若者にも当時はまだコンタクトレンズはまったく普及していなかったようでした。

長距離飛行の旅客機に乗り込む日本人女性はパンデミック前から申し合わせたようにマスクを着用しています。これも寝ている間の乾燥から口の中を守る工夫でしょう。

マスクとメガネと...それに加えて今回、男女問わずリュックサックを背中ではなく胸にかけた人を多く見かけました。

「日本固有の習慣のこれで見納めかも」という感慨が強くわきました。

電車の中でリュックサックを前にかけるのは、近頃定着した日本特有の「エチケット」のようですね。目の届かない背中にかさばる荷物は周りに迷惑という心使いなのはよくわかるのですが...見慣れないと異様です。おそらく日本でしか見かけない習慣ですから。

みんながやるから心使いの「形」として定着したのでしょう。(リュックサックを手に提げてはいけない.のかな?)

出発ゲート前の待合室ですでにネックピローを首に装着している日本人もたくさん見かけました。席につき次第、体力温存のための休息をとれるよう準備万端の段取りのよさも日本人らしいですね。

 

日本を離れる前に窓から富士山が見えました。

アラブ系航空会社、エティハド航空の座席前のスクリーンには常にメッカの方向を記す矢印が付いていました。

数種類の進路の地図映像にもいつも「メッカ→」マークがついてきました。なんて気が利いてるんでしょう!(私には無用の情報ですが)

何度も供された機内食の選択が「ベジタリアンかチキン」のみでした!

「ベジタリアン」は、トマト味のべちょべちょしたパスタかオムレツ、私が試してみた「チキン」はカレー味の煮込み料理でした。

ベジタリアンの夫と食事の出る長距離フライトを利用する際、夫がベジタリアン料理を食べられるよういつも手配してもらいます。さっすがアラブの航空会社ならではの、口にできる食肉の選択肢が限られているイスラム教徒の食生活に適応する心配り!ベジタリアン食も予約なしで機内で選択できるようになっています。チキンはもちろん、血抜きをされて祝福された「ハラル・チキン」でしょう。アルコール摂取もご法度です。ビールもワインも出てきません。

 

中継地、アブ・ダビのラクダ(またがって記念撮影をしてもオッケーなようでした)と...

空港内の通路に露店のように店を張っている純金製品店。

 

深夜だったせいか、世界中どこにでもある免税デザイナーブランド品店とショボいサンドイッチ・スタンド以外、ほとんど全部の店が閉まっていました。

英国でチェーン展開している文具店と薬局を見つけたのにはちょっと驚きました(いずれも閉まっていましたが)

中近東の人は用足しの後、紙で拭かないとは聞いていましたが...まさか空港のトイレに水洗い用のホースがあるとは。

(トイレットペーパーもありました)

床に長方形の穴が開いた「和式」のようなトイレもありました。前の覆いはありません。

テルテル坊主のような長いブーカをかぶったイスラム教徒の女性がトイレの床にしゃがむのは何だか汚いような...

 

成田からいっしょに搭乗してきた日本人やそのほかの国籍の乗客とははなればなれになり、マンチェスターへの乗り継ぎゲートあたりに来るともう、マスクをしている人は皆無です。

マンチェスター行きの出発ゲートがあくまで待合室に入れてもらえず、座れるところがほとんどない不親切な空港でしたっ!

 

青々とした手入れの行き届いた観葉植物がたくさん植えられていましたが...

英語の注意書きがちょっと変。

PLANET(地球)じゃなくって、ずばり PLANT(植物)なんですよね...?納得。決まり文句のKEEP OUR PLANET...のもじりでしょうか。

 

アブ・ダビからマンチェスターまでの約8時間のフライトは、座席周りの空間に比較的余裕のある小さめの旅客機で、しかも私が座った4人並びの席を2人で使えて快適でした。

通路を何回も行き来して運動に努めました。

青白くほの明るく発光し続ける、席を離れた時の目印の、前の席のハゲ頭。

 

マンチェスター行きの乗客の多くが懐かしい強い南アジア/マンチェスター訛りの英語を話す南アジア(インド、パキスタン)系の英国人でした。

早朝に到着したマンチェスター空港で、荷物が出てくるのをまつアブ・ダビからいっしょだった乗客の一群です。

300人ほどの搭乗客のうちただ1人、空港でマスクをしていた白人女性が写っています。

 

極東から欧州への飛行では時差ボケの影響は少ないと言われます。時差は8~9時間、「余分にもらえる」からだと考えていいのでしょうか。

反対に欧州から極東へ飛行すると同じ時間、失ってしまうので酷い時差ボケに見舞われる人が多いらしいのですが。

飛行機の中で寝られないたちの私は、時差ボケではなく、とにかく長時間座り続けてしかも不眠で...疲れました。到着後、観光や仕事で活動しなければならないわけではなく、ダラダラ過ごせるいいご身分なものですから、休息して何とか復調しました。

発熱したのは(一時コロナを疑いましたが)ただの疲れと気候の急変のためでしょう。

 

 

 

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英国を離れて約3カ月、ご無沙汰していました。ストックポート日報、復刊です

2022年11月19日 05時13分10秒 | 英国の、生活のひとコマ

ごぶさたしていました。

ストックポート日報、3カ月ぶりの復刊です。

写真は昨日のブラモール・パーク Bramhall Park を中心にした近所の光景です。

家庭の事情で日本に滞在していた8月の半ばから、投稿が滞っていました。

ご挨拶もなく、ご心配をおかけしました。

先週の金曜日、紅葉が始まった日本(首都圏)から、色鮮やかな紅葉の最盛期を一足違いで見逃して落葉の英国に帰ってきました。

 

女王のいない英国です。

もうボリス〔嘘つきジョンソン〕が首相ではない英国です。

ボリスの財務相 Chancellor だったリシ・スナクが首相になっちゃっている英国です。

空前のインフレーションとそれに伴う国民の生活危機を何とかするため、増税と支出削減を趣旨とする秋期会計報告書 Autumn Statement のニュースでもちきりです。

むっちゃくちゃな減税案で英国経済の信頼をめっちゃくちゃに失墜させたマッド・ウーマン、リズ・トラスは私が日本にいる間に就任し、あっという間に辞任しました。

コロナ騒動はほぼすっかり終わっちゃっているかのような英国です。誰もマスクはしていません。

ロシアとの国際紛争のあおりをくらって最短距離のシベリア経由のフライトのほとんどがキャンセルされ、ダラダラと長い南回りのアブ・ダビ経由で英国に戻ってきました。

日本の滞在先である実家を出てから30時間弱、マンチェスター空港に降り立った時は故郷に帰ったように心から安堵しました。

30時間前に後にした、日本の3カ月がまるで前世を生きた間に起きた出来事のように感じられました。

 

日本での比較的長期の滞在を機に、マンネリ化してきたストックポート日報 の廃刊も一度は考えたのですが、心機一転、30数年ぶりに夫と子供を同伴せずに長く滞在した日本での〔観光を伴わない〕生活と, 英国での生活などの違いについて、落ち着いて書きだしてみることに決めました。

 

うまくまとめる自信はありませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いします。

 

 

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