写真で綴る気ままなすぎさん

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横浜 フランス山公園

2023年09月12日 05時59分00秒 |  横浜 鎌倉 小田原 伊豆 (東海道) ~花めぐり

横浜 フランス山公園を散策 フランス山といえば横浜港の見える丘公園の下方にある戦前に建てられた風車とフランス領事館を思い浮かべます。

フランス山の歴史
1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだ為、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯。 1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設されました。 1875(明治8)年3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けた事でフランス山と呼ばれるようになった。海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡し 横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしたが、なかなか実現しないでいた所、1885(明治18)年になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の請願書を提出しました。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894(明治27)年にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まりました。 1896 (明治29)年3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られ。 1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊。震災後、領事館は仮設の建物を使用していたが、官邸は、1930(昭和5)年、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建されました。その官邸も、戦後まもない1947(昭和22)年には火災で焼失してしまいます。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です・・・看板がありました

風車 1909(明治42)年頃までは存在していたようです。フランス山の公園整備に際し、かつてのフランス山をしのぶモニュメントとして、多翼型の風車を設置。風車の色は、フランス国旗の色にちなんでトリコロール(青・白・赤)に塗り分けられています。また、風車が回ると水を汲み揚げるようになっているそうです

震災前のフランス領事官邸 1894(明治27)年、フランス人建築家サルダの設計により建築に着手、1896(明治29)年12月に完成しました。大震災で倒壊しました。ジェラール瓦、煉瓦などのほか、同時に建設された揚水用風車の基礎が掘り出された。官邸建設当時はまだ山手に上水道が敷設されていなかった為、井戸を掘り風車で水を汲み揚げていました。


レンガの建物

港の見える丘公園から横浜ベイブリッジと港の様子



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