マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

イースターへ向けて

2008-02-24 15:29:29 | 教会の風景
3月23日のイースター礼拝に向けて、先週から具体的な準備を始めた。
今日の午後も聖歌隊の練習をした。
案内もできて、これから家族や友達、地域の方々にお知らせしていこう。
今年のイースター礼拝もイエス様の復活を教会に集う方々とお祝いしたい。




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なんとか終わった~

2008-02-22 16:18:55 | 神学校・講座
新約緒論の講義の発表が昨日終った。
結局直前になってバタバタと追われるように資料をまとめた。
前日の夕方、祈祷会前までになんとか形になった。

今回のテーマはヨハネの黙示録の著者問題。
本文には「ヨハネ」という名前が出てくるが、このヨハネとは一体誰なのか?というもの。
今までこの点をあまり深く追究しようとは思わなかった。

でも、今回課題となった以上、そういうわけにも行かなくなった。
神学校の図書室や自前の注解書や緒論の本なども読み漁り、情報収集。
最近の注解書も必要ということで、わざわざ1冊購入した。
専門書だからやっぱり高い。
しかも日本語の文献が少ないのも残念。
一番欲しかった注解書は、¥13000くらいしたので断念。
もう一方の¥7000くらいのにした。
でも、この判断が甘かったかも・・・と今になると悔やまれる。

昨日の発表後のアドバイスによると・・・
「ヨハネ文書(福音書・書簡・黙示録)を研究している世界の主要な学者の注解書も参考にしてください」とのことだった。
断念した方の注解書の著者は、そのとき先生が挙げられた3名のうちの一人。
何事も追究するには、労力も時間もお金も投資が必要ということ。
「あなたのパンを水の上に投げよ」か。
もちろん、今後も役に立つので注解書を購入するのは無駄ではないが。
発表資料をレポートとして提出する期限は3/8。
それまでにもう少し手直ししておこう。
学期末を迎えて、しばらくの間いつもより忙しい日々が続く。

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語りあって深夜

2008-02-22 15:31:13 | 教会の風景
夕方はいつものとおりYouth For Jesus。
10名くらいのメンバーが集まり、賛美と聖書の時間。
Youth For Jesusの歌もいっしょに歌った。

夕食もテーブルを囲んで。

メニューは、親子丼とうどんとサラダ、そしてデザート。


夕食後もいつものようにゆっくり過ごした。
いつものように面白い話もしながら、結構まじめな話で語り合って深夜に。
こういう時間は大切だな~
1時過ぎには解散。

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忘れることも・・・

2008-02-22 15:21:19 | 教会の風景
今週はなんだかとても忙しくなってしまった。
なんとか新約緒論の発表も終わり、疲れはあるもののホッとしているところ。

遅くなったけれど、日曜日の記録。
礼拝説教のダイジェスト。
聖書箇所 創世記41章
「時が来ると実がなる」

ヨセフが牢獄からエジプトの宰相に任命されるまで。
この章で事態は急展開。
神さまの摂理の中で、必要とあればまさにこのようなことも起こりえる。

主の恵みを経験したヨセフの心は?
彼に生まれた二人の息子たちの名前に反映されている。

マナセ:「忘れる」を語源「神が私のすべての労苦と私の父の家の全家とを忘れさせた。」

エフライム:「実り多い」を語源「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」

苦しみは、私たちの内に苦々しさや憎しみや怒りをもたらすことがある。
多くの場合、経験した苦しみそのものよりも苦々しさや憎しみや怒りが、その後長い間私たちを苦しめる。
その苦々しさや憎しみや怒りを忘れることができれば、それ以上の克服方法はないだろう。

苦しみを経験した記憶そのものを消すことは決してできない。
心のどこかに閉じ込めることはできても本当の解決になってはいない。
それは何かの拍子に急に現れて、その人をコントロールし、悩ませる。

しかし、神の恵みは、苦々しさや憎しみや怒りを消すことができる。
忘れることのできる幸いが、神さまより与えられる。
主は、私たちを苦々しい思いから解放し、実り豊かな人生を送らせてくださる。

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今さらながら・・・

2008-02-15 22:48:26 | 教会の風景
聖書を読めば読むほど、神さまがくれた救いのスゴサを考えさせられる。
「牧師なのに何を今さら」と言われそうだけれど・・・だから先に言っておこう。
礼拝の説教やYouthのメッセージ、分級や祈祷会の学びの準備をしながら、自分自身がまず気付かされ、教えられている。

今日もディボーションと分級の学びの準備で共通のことが教えられた。
神さまに向かって「天にいます私たちの父よ。」と祈れることの幸いを確認。

たとえ上手に祈れなくても、私たちの心と状態を理解してくださる方がいる。

そして、私たちを救い、助け、訓練し、必要を備えることにおいて最も力強い方。

私たちは、私たちの内に住まわれる御霊によって「天の父よ。」と祈ることができる。

午後は礼拝説教の準備。
創世記41章からヨセフのストーリーの続き。
30歳になるヨセフに起こった急展開の場面。
多くの苦しみが、豊かな実りへ。
神さまのなさることはやっぱり想像を超えている。

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