憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

「私達と変わらない」ならまだマシ、「私達以下では無いか?」では困るのです!

2022-05-01 22:56:30 | 美智子さま
「他の人間と変わらないではないか」秋篠宮家バッシングの源流、“お言葉”への動揺…皇室が歩んだ「5つの分岐点」
河西 秀哉
😇 バッシングの源流は平成の天皇と皇后が始めた皇室改革を快く思わない者達から始まったと言いたいのかな?

私は上皇上皇后が皇室をどう変えようとしたのか、それまでの皇室の何がよくないと思われたのか、それをどう変えようとされたのか、全くわかりません。

頭も悪く、視野も心も狭い私には、上皇がなさった事と言えば、天皇の役割を天皇の仕事と捉え、仕事する公と仕事以外の私を分けて皇室に積極的にマイホーム主義を導入したことくらいしか思いつかないのですよね。。

「国民に寄り添う」では、災害や事故が有る度に慰問や視察に出かけられていらっしゃいましたが二人だけで出かけて行くわけでも無く、準備する方は災害の混乱の中大変だったのではないでしょうか。寄り添ってこられたのは、被災者、被害者、障害者、それも選ばれた代表だけでしょう?もちろんそれも大切なことですが、地を這うように生きて黙々と社会を支えている国民は陛下が寄り添う対象ではないのでしょうか。

平成の天皇は昭和天皇のあり方を「いかなるときも国民とともにあることを念願された」としつつ、

昭和天皇が口にされた「国民」と上皇、今上が口にされる「国民」は中身が違うような気がします。昭和天皇が「国民」と言われるときはもっと広く国民全体を捉えていらっしゃったと思いますよ。

第一に、雲仙普賢岳から阪神淡路大震災、東日本大震災へと継続する被災地訪問のあり方である。老体にムチを打っているかのように見えてしまうほど、天皇・皇后は積極的に被災地を訪問し、人々に声をかけた。それが「私」を重要視している世間の風潮のなかで、「公」に奉公していると評価されたのではないか。
 第二に、慰霊の旅に代表される戦争の記憶への取り組みである。世間では戦争体験世代が減少し、その記憶が風化するなかで、天皇・皇后の行動はその掘り起こしでもあった。政権の方針とは異なるように見えるその思想と行動は、それまで皇室を支持していなかった層をも取り込むことに繋がったのである。

😇 災害慰問が公に奉公している?そーなんですか?陛下の慰問の準備を整える方々のほうが陛下に奉公しているのではないでしょうか。

>それまで皇室を支持していなかった層をも取り込むことに繋がった

河西さんのような左翼のこと?層といえるほど多人数のようには見えないが、我田引水じゃないですか?

平成の天皇は、権威としての天皇ではなく、むしろ自身も老いていく存在であることも人々にさらけ出した。その意味では、天皇も人間であることがより明確に人々に提示された(天皇による新たな「人間宣言」と述べた論者もいたくらいである)。「国民とともにある」という、天皇に即位して最初に述べた「おことば」のように、自身も国民に近づいた存在であることを示したと言える。
 この平成の天皇の「おことば」に対して、天皇を権威と考える保守派の方からむしろ反対の声があがった。それでは他の人間と変わらないのではないかと。しかし、多くの国民は天皇の思いを汲み取り、退位を後押しした。ここで、平成の天皇が模索してきた天皇像は、完成形を迎えたと言える。

😇 はい。平成の天皇も皇后も、我欲と名誉欲、物質欲を持ち、他人より子や孫が大事という我々と変わることのないただの人間だということをさらけ出されましたね。
ただ、人間には「我欲も名誉欲も物質欲もある。他人より我が子、我が孫が可愛い。でも、そこで留まってはいけないのだ。」という気持ちもあるでしょう?
そういう気持ちがあるから、日本という国も潰れずに此処まで続いて来たのではないでしょうか?
天皇には、人間にはそこに留まらない崇高なものもあるのだというところを示していただきたいものです。
総仕上げが「人生の一番良い時代を過ごして東宮御所で余生を送りたい。」では、これまでの「国民に寄り添う」とは何だったのでしょうね。

天皇・皇族が「私達と変わらない」ならまだマシ、「私達以下では無いか?」では困るのです!
能力の話ではありません。道徳心の話です。
このふたり、たぶん、道徳心は私達以下なんじゃないでしょうかね。







😟 彼らを応援している皇室ももしかしたら道徳心は私達以下ということになるのでしょうか。