滝山城は、大永元年(1521)に大石定重が築城したとされていましたが、近年の研究により、大石綱周の養子になり浄福寺城(由井城)に居住してた北条氏照が、その後、永禄10年(1567)までに滝山城を築城して移転したと考えられているそうです。
そして更にその後、氏照は甲斐を重視して八王子城の築城に取りかかり、天正15年(1587)までに移って行ったと考えられているそうです。
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✔ 北条氏滅亡~関東屈指の山城・八王子城
無料の滝山観光駐車場に車を停めました。
実はこれがチョッと分かり辛い…。
「丹木町三丁目」交差点の四つ角、ファミマの前が滝山観光駐車場です。
一般の月極め駐車場かと思い通り越して大手口の手前まで車を入れてしまいました。
私だけじゃなく、帰りにも同じ様に入ってきた車を見たので注意が必要。
その大手口の入口がこちら。
民家の脇がハイキングコースになってます。
こんな感じで両サイドは竹林。
足元はしっかり整備されています。
コの字形土橋といって、堀を掘る際に一部を土のまま残し通路として使っていました。
コの字になっているので、侵入してきた敵が4回も身体の向きを変えて進む間に側面攻撃できるよう工夫していました。
千畳敷は、氏照の時代、大きな建物があり迎賓館の役目を果たしていたのではないかともいわれてます。
広場になっている中の丸址にはトイレと旧滝山荘があります。
続日本100名城のスタンプは旧滝山荘で捺すことが出来ます。
また、加住市民センターにも設置されています。
中の丸からの眺めは、多摩川、狭山丘陵まで見渡せます。
中の丸から本丸へ渡る引橋。
これは平成になってから設置された木製の橋です。
かつての滝山城ではさらに低い位置に架けられ、戦の時には外すことが出来たといわれてます。
城の最奥に位置し、大きな井戸が残っています。
霞神社は、明治に入ってから創建された日露戦争以降に加住村から出征し戦死した人を祀る加住地区招魂社。
霞神社の更に奥には金毘羅神社があります。
金毘羅神社の鳥居の先には、本丸の道へと降りる石段に続きます。
マムシ注意と書かれた看板を横目に、そのい石段を下り帰路へ。
引橋の下をくぐってやってきた大手口へと戻りました。
休憩や道草をしながらのんびりゆっくり1時間弱のハイキング。
軽く汗ばみながら気持ちの良いひとときでした。
滝山城跡
東京都八王子市高月町
http://takiyamajo.com/index.php
備考 : 滝山観光駐車場(8~18時)無料
アクセス : 中央道八王子ICから約8分
別名 : ---
縄張 : 連郭式山城
天守 : なし
城主 : 北条氏照
築城年 : 大永元年(1521)
遺構 : 土塁、堀、井戸、土橋、虎口
文化財 : 国の史跡