「見えないものを どれくらい 信じることが できるだろう。
たしかなものを 探し続けて 旅すると 絶対見つけられない。
たしかなものなど ひとつもないからだ ふと感じる玉響(たまゆら)の音 。
杖のように私の先を 導いてくれる。
たしかなものなど ないよと。」
よく仲間から言われる。そんな発想誰もしないよ。
どうしてそんな事に気づくのだろう? と言われます。
それはかすかなひらめきの音を信じているからです。
かすかな、あるかないかといったことを玉響といいます。
「君が手と
わが手とふれし
たまゆらの
心ゆらぎは
知らずやありけん」
(太田水穂)
手を触れあった瞬間、ほんのかすかに胸がときめく。 恋の始まりにつながるかどうか自分にもわからない。
皆様もたしかなものなどない道を、玉響の音を信じて生きてください。 合掌
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