生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

菩薩行

2024-12-27 04:42:49 | 日々の暮らし
今日は一休禅師がある人から「菩薩行とはどんなことなのか」と聞かれた時、
「腹立てず、心はまるく、気は長く、おのれさく、人は大きく」
と書いて答えられた。
     (別紙参照)

菩薩行とは、毎日の行いのことです。
現代にも通じると思います。
1.「腹立てず」これを
忍辱行(にんにくぎょう)といいます。

例えば、お得意様に恥ずかしめられても、腹を立てない。
「おん腹立てまいニコニコそわか」と呪文を何度もつぶやくとよい。

2.「心はまるく」
心をまるく書いてある。
春ののどかな景色のように、いつも顔色をやわらげて、優しい言葉で人に接すること。
「まるい卵も切りように四角、物もいいようで角が立つ」。

3.「気は長く」
もっと気を大きく持ちなさい。
10年も20年も先をみながらしましょう。

4.「おのれ小さく」
お得意様に対してリーダーはいつも叱られ役、責任をとらされる役なのです。

5.「人は大きく」
手柄はいつも部下の功績にしてやるぐらいの度量を持ちましょう。
菩薩行はリーダーとしての
「人との接し方」を教えています。

一休さんの言葉に感謝。
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平和を願う祈り

2024-12-25 00:42:35 | 日々の暮らし
私のクリスチャンネームはフランシスコです。
聖フランシスコの
世界一有名な
「平和を願う祈り」があります。

『神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、迷いのあるところに信仰を、誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、闇のあるところに光をもたらすことができますように。
神よ、わたしに慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見出し、ゆるしてこそゆるされ、死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを深く悟らせてください。』

12/25教会に行きます。
神の誕生のお祝いと皆様の毎日の温かい思いやりに感謝し、皆様のこれからの平和をお祈りしてまいります。
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謝る勇気

2024-12-23 03:33:55 | 日々の暮らし
聖書の中でも暗い話しです。
ペトロとユダはイエズス(僕はイエスと呼びます)の弟子です。
この二人は対照的な生き方をしました。
最後の晩餐の時に、イエスは言います。
この中に私を裏切った者がいます。
小銭を貰って、私を売った者がいる。
それが、ユダでした。
彼はそこにいられなくなり、役人にあの人は無実の罪ですと小銭を返しに行くのですが、知ったことではない、それはお前の問題だと言われてユダは自殺してしまいます。
ペトロは私はイエスを裏切りませんと言いましたが、
あなたは朝の鳥が鳴く前に三回私を知らないと言いますといわれた。
役人が朝イエスを探しに来ました。
役人にイエスなんか知らないと答ました。
ある男がイエスと一緒にいたと指差しました。
また私は知らないといいました。
別の女が確かにイエスといつも歩いていたと発言しました。
また、人違いだイエスなど知らないといった時に鳥が鳴きました。
十字架を担いで歩くイエスの後方について行くペトロ。
イエスの預言に生きる力をなくしました。
イエスは謝るペトロを許しました。
そばにいる母のマリアにこの弟子たちはマリアの子ですと告げて、亡くなりました。
ペトロは許され、ユダは自殺してしまう。
イエスは人は弱いものと知っています。
謝れば許してくれたのです。
その判断の違いで生きる道が違うのです。
ペトロは一番弟子で初代のローマ法王になりました。
墓の上に聖ペトロ大聖堂(サンピエトロ大寺院ともいう)が建てられたのです。
人は弱いもの、つい自分をかばってしまい後悔してしまう。
そんな時に思い出しましょう。
ローマ法王でさえ裏切ったのです。
彼は肝に命じたのでしょう。
イエスだから許してくれたと。
この大きさを学びましょう。
聖書によく出て来る言葉に
人を許しましょうとあるのはこの話から来ているのです。
ユダの道を行かないためにも。
失敗の多い私ですから謝る勇気を学びました。


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生と悪

2024-12-20 05:45:06 | 日々の暮らし
「人生には難や不運が尽きない。
生きる(Live)の反対のつづりは不運・悪・厄(Evil)だ。」

本来、悪魔はデビル、サタン、デーモンだ。
キリスト教ではエデンの園の誘惑の天使をサタンと呼んだ。
生きるにはあらゆる誘惑がつきまとう。  
108の煩悩が。
今日も困った難は神に託し、少しの誘惑に負ける自分を許して下さいと祈ります。
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一歩一歩

2024-12-19 00:04:48 | 日々の暮らし
「何ごとにも人に抜きん出ようとすることはいい、けれどもな、人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ。
一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも一歩一歩を確かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。」
> (山本周五郎・ながい坂)

私もこうして生きて来た。富士山も15回登った。
(地元だから。毎回違う風景に感動したよ。)
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