今日は敬愛している勝海舟について述べたいと思います。 都内に出世階段と言われている、愛宕神社があります。 そこは、江戸城無血開城の会談をした勝海舟と西郷隆盛の記念碑がある神社として有名です。 徳川幕府の終戦最高責任者の勝海舟は、福沢諭吉と共に咸臨丸でアメリカに渡りました。 二人が見たアメリカは大統領選挙中でした。 「ワシントン大統領の後子孫は、今どうしておられますか」と市民に聞いた。 しかし、市民達は 「そんなことは知らない。関心もない」と答えた。 日本では徳川将軍の子孫がどうしているかは、誰でも知っているのにと驚きました。 また、議会にも驚きました。 魚市場のように論争のやかましさは、江戸城の老中達がひそひそ声で話し合う光景とはまったく違った。 また、その議場で論争した敵同士が議場を出ると、肩を叩きあって談笑する光景に「民主政治」の実態に教えられたという。 帰国後江戸城の老中達にアメリカのことを聞かれた勝はこう答えた 「無能力者が世襲制であとを次ぐという例はまったくありません」と。 「この無礼者め!」と 叱りつけられたという。 福沢諭吉は学問の道を行くが、勝は明治政府で海軍大臣になった。 福沢諭吉は二君に仕えた幕臣の題材で 「やせ我慢の説」という本を書いて勝に贈り感想を求めた。 福沢諭吉も古い武士道の考えなので、勝の考えが分からなかったようだ。 勝は天皇政府とか徳川幕府という次元で政治を考えていなかった。 日本の政治、日本の国家という次元で考え、 外国と堂々と渡り合える強い日本国家を創り出すことが第一で、日本国家の一員である日本国民だという意識が強かった。 そのため、福沢諭吉の主君だの忠臣だのと、こだわっている本を無視したという。 「うるせえや、こっち はやるっきゃねえんだ」とつぶやき『行いは自分、批評は他人がする』という言葉を残しました。 現代にも通じる言葉だと思い紹介しました。 また勝は、滋賀県の塚本定次という大変な金持と対面しています。 大金の使い方を相談に来たのでした。 彼は学校に寄付したり、市民に桜や紅葉を楽しめる公園をたくさん造っていました。 勝がひどく感心した人物でした。 その塚本から松尾芭蕉の話を聞かされました。 芭蕉は俳句だけでなく大変な商才にたけた人で、近江商法は芭蕉が指導したものだという。 その商法とは 1.バイタリティに富んでいること。 2.優れた情報力を備えていること。 3.柔軟な発想と思考力をもっていること。 4.情に左右されない合理精神をもっていること。 5.優れた決断力をもっていること。 6.果てしない上昇志向をもっていること。 そして本店を故郷に置き、江戸、京都、大阪などに支店を設け「行商」すること。 行商とは流動の精神の実行であり、東北や北海道の地まで行商する商法を守り抜くことを教えている。 と説明したのでした。 勝はそのような話を聞かされ「おれの背後には、たくさんの日本人がいる。 その人達がおれのオランダ学修業を支持している」と思ったといいます。 現代風にいえば 「社内でどんなに人間関係がまずくても、おれにはお客さんがいる」という自信を持ったのでしょう。 社内受けをよくすることではなく、客受けをよくすることが大事なのです。 私も社内営業よりも社外営業のタイプでしたから、沢山の知恵や協力を頂きました。 今でも働き口があるのはその為かも知れません。 ありがたいです。 感謝
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