2019.1.31 diamond
大坂選手の「肌の色」や「発言」を悪意なく変えてしまう日本人の病理
日清食品が大坂なおみさんの肌の色を勝手に白く描いたり、時事通信と朝日新聞が記者会見での本人のコメントを180度違う形に「誤訳」するなど、一連の問題が大騒動になっている。これは悪意を持って意図的に行ったことではなかったのかもしれないが、さりとて「単なるミス」とも思えない。日本社会に根深く潜行する、「外国人を日本人化したい」病の表れではないだろうか?(ノンフィクションライター 窪田順生)
①
釈然としない
日清食品の弁明

「悪意のないミス」がポンポンとたて続けに起こったということか。
全豪オープンで劇的優勝を果たし、世界一に輝いた大坂なおみさんだが、日清食品が流していたアニメの中で描かれた大坂さんの肌の色が、実際と大きくかけ離れて白い肌にされていて、大騒動になった。
ニューヨークタイムズなど海外メディアが大きく取り上げたことで、日清は動画公開を中止して謝罪。いわゆる「ホワイトウォッシュ」の意図ではなく、ベースとなったアニメ作品の世界観をできる限り再現したために起きてしまったと釈明をした。つまり、「悪意のないミスだった」というわけだ。
だが、個人的にはこれはしっくりこない。今回のアニメのベースになった「テニスの王子様」には、「アメリカ代表候補のC・リデル」というキャラクターが登場しており、大坂さんのように美しい褐色の肌で描かれている。一体、どのあたりの世界観を再現したのか、疑問が残る。
ということを口走ると、「そういうことを言う奴が差別主義者だ!」「人種差別のない日本では人の肌の色などいちいち気にするか!」と怒り出す方たちがたくさんいる。
中には、「大坂選手本人が気にしてないのに外野が騒ぎすぎだ!」と、この話題を口にしただけで不機嫌になる人もいらっしゃるが、こういう論調をミスリードさせたのが、もうひとつの「悪意のないミス」である。
このCM問題が世界で報じられてすぐに、「大坂 CM批判に『なぜ騒ぐ』」という見出しが、Yahoo!JAPANのトップページに上がった。記事を開けると、それは時事通信が配信した以下のような記事だった。
<大坂なおみ選手「気にしていない」=アニメ広告、肌の色批判で――全豪テニス(1月25日 0:05配信)>
そこには「なぜ多くの人が騒いでいるのか分からない」という大坂さんのコメントが紹介されており、そこからは、差別やホワイトウォッシュだと騒ぐ「過剰反応」に、大坂さんがかなりドン引きしているという印象さえも受ける。
②
時事通信と朝日の「誤訳」は
深刻なレベルである
これを読んだ方は、さぞ胸がスカッとしたに違いない。「さすが我らがなおみちゃん、世界に誇る美しい国、日本には人種差別なんてそもそも存在しないということを、よくぞ世界中に発信してくれた、ありがとう!」。そんな風に胸が熱くなった方もいらっしゃることだろう。
だが残念ながら、これは「デマ」だった。
なんて言ってしまうと、時事通信に怒られてしまうかもしれないが、訂正後の記事を見ると、そう形容せざるを得ない。
例えば、先ほどの「なぜ多くの人が騒いでいるのか分からない」というのは、訂正後は「このことで心を乱される人たちのことも理解はできる」と、180度逆の意味になってしまっているのだ。
しかも、時事通信とほぼ同じ内容の報道をした朝日新聞の「訂正して、お詫びします」という記事を見ると、先ほどの言葉の後に、「この件についてはあまり気にしてこなかった。答えるのはきちんと調べてからにしたい」と述べている。気にしないどころか、これを契機にホワイトウォッシュや差別という問題について意識をすると述べているのだ。ちなみに当初、朝日ではこのコメントを「この件についてはあまり関心が無いし、悪く言いたく無い」と「誤訳」していた。
つまり、大坂さんは騒ぐ人たちが何について騒いでいるのかということをしっかりと認識をしたうえで、スポンサーへの配慮などから慎重なもの言いをしたのだ。にもかかわらず、日本では、肌の色を勝手に変えられたってチャーラ、ヘッチャラというような痛快な「なおみ節」を炸裂させたように変えられて、それが既成事実化してしまったのだ。
世論を真逆の方向へミスリードしたという点においても、かなり「深刻なデマ」と言えよう。
「うるさい!時事や朝日の記者さんだって人間なんだから聞き間違いするくらいするだろ!悪意のないミスなんだからスルーしてやれ!」と不愉快になられる方も多いだろうが、人種差別に関わる繊細なテーマなのに、「悪意ゼロ」でサラッとこういうことをしてしまうことの方が問題ではないだろうか。
日清の説明によれば、大坂選手を白い肌に描いたのは悪意がない。時事や朝日の説明でも、発言を聞き間違えただけでまったく悪意がないという。
だが、悪意はないかもしれないが、そこに明らかに「作為」は感じられる。それは大坂選手を少しでも「日本」や「日本人」という枠組みにはめ込みたいという思惑だ。
③
記者会見で「日本語で」を
要求する記者たちの無神経さ
件のアニメを見ればわかるが、大坂選手は、同じく劇中に登場する錦織圭さんと同じ肌の色だ。つまり、国内に多くいる「普通の日本人」の肌に「寄せて描かれた」のは明らかである。
また、朝日や時事の報道も同様だ。「肌の色で騒ぐ理由がわからない」というのは実は大多数の日本人の人権感覚に他ならない。つまり、今回の「誤訳」問題というのは、大坂選手の考えを、我々日本人の人権感覚に勝手に「寄せて解釈した」がゆえに起きてしまった可能性があるのだ。
これは冷静に考えると、非常に恐ろしいことではないだろうか。
なおみフィーバー、なおみ特需、なおみ節などど、お祭り騒ぎをしておきながら、大坂なおみさん個人のアイデンティティや心情を無視して、勝手にこちらが望むような理想的な日本人の姿――「日本人化」していくということだからだ。
そんなのはお前の妄想だというご指摘がじゃんじゃんきそうだが、大坂さんの周辺に、彼女を日本や日本人に「寄せる」というかなり強めのバイアスが存在するのは、全豪オープン優勝後の会見が如実に示している。
幼い頃からアメリカで育って日本語に不慣れな大坂さんにとって、自分の気持ちを正確かつストレートに伝えるのには英語がもっとも適していることは言うまでもない。しかし、日本のメディアはこんな質問を繰り返した。
「今の気持ちを日本語で表現するとしたらどんな気持ちですか」
「クビトバ選手、左利きの選手だった。大変だったと思うんですけど対応が。まずは日本語でどれぐらい大変で難しかったかって一言、お気持ちどうでしたか」
大坂さんに一言でも二言でもポロッと日本語で語ってもらい、それで「出ました!なおみ節」という日本の伝統芸能のような大騒ぎをしたいというメディア側の事情もよくわかるが、どう考えてもやりすぎだ。実際、「大坂さんは英語で言わせていただく」と拒否している。
④
日本人が心の底で持っている
外国人の「日本人化」願望
しかし、記者たちはこれからもやってしまうだろう。大坂なおみさん個人のバックボーン、心情などはまったく無視して、「日本語で」「今日も、なおみ節をお願いします」なんてオーダーを平気でするのだろう。
なぜこんな個人の意志を尊重しない乱暴なことを「悪意ゼロ」でやってのけてしまうのか。それは、「日本の大坂なおみ」なのだから、「日本」に、そして「日本人」に寄せていくのが当たり前である――という日本社会全体の思い込みがあるからではないのか。
少し前、一橋大学の小野浩教授が、日本経済新聞紙上の日本の長時間労働を考える連載で、興味深いことをおっしゃっていたことを思い出した。
『例えば外国人や海外から帰国した日本人は一刻も早く「日本人化」することが求められます。集団意識が強く働く社会では個人の才能やフルに活用されず、組織への適応力が重視されます』(日本経済新聞2017年5月16日)
もしかしたら、大坂選手の肌の色を悪意なく変えたり、その発言を悪意なく誤訳するのは、彼女を日本に適応させるために、「日本人化」を無意識に求めているからなのではないか。
そんなことあるわけないと笑うだろう。筆者もできれば笑い飛ばしたい。昨年、政府が参院選対策でゴリ押してした改正入管法のおかげで、今年から、人手不足業界にじゃんじゃん「外国人労働者」が入ってくるからだ。
彼らを世界一勤勉な日本人労働者のようにキビキビと働かせる。これは産業界の長年の悲願で、事実、10年以上前にパナソニック取締役副会長の松下正幸氏も「日本の人口が減っても外国人の日本人化で補える」(日本経済新聞2005年10月17日)と提言されている。
しかし、この「日本人化」という、まるで戦前の皇民化のような上から目線の考えは、これまでも外国人が働く企業などでトラブルの原因となっていた。2014年1月29日の「日経産業新聞」には、外国人社員の活用のための研修を手がけている企業の社長の言葉を引用して、こんな警鐘を鳴らす。
『問題は「外国人社員の日本人化」という。同質な環境に慣れた日本人社員は、外国人社員にも同じ振る舞いを求めてしまいがち。外国人社員ならではの視点や行動が十分に発揮されない可能性がある』
力が発揮できないくらいならまだマシで、外国人労働者の方たちをとにかく早く「日本人化」しようと焦るあまり、彼らの民族的事情や宗教、労働文化を無視して、強引に「ジャパニーズ・ウォッシュ」してしまう恐れもあるのだ。
そんなことはないと断言できるだろうか。なにせ我々は、悪意ないと言いながらも、個人の肌の色を変えて、発言も自分たちの耳障りの良いものへと変えてしまう「自国第一主義」があるのだ。
なおみ節だなんだと騒ぐのも楽しいが、クサイものにフタをするのではなく、なぜこのような「騒動」が起きたのか、なぜ海外にルーツを持つ人や外国人に「日本人らしさ」を強要するのか、という「病」の原因を考えるべきではないのか。