出典:『バグダッド・バーニング』1 トルコ軍が侵攻してくるとは、いかなる意味を持つのか?再びリバーベンドの言うことに耳を貸す必要があると思い、引用を再開しました。 . . . 本文を読む
出典:メルマガ イラク情勢ニュース (アルジャジーラによるダーリ法学者協会事務局長へのインタビュー)ダーリ師:占領軍により宣言された戦争は、全派閥を含む全イラク・レジスタンスに対して行われてきたことを分かってください。アルカイダはレジスタンスに対する攻撃を正当化する為に使われています。現在占領軍と支援者は、全イラクが占領軍を拒絶している事実を覆い隠すために時間と戦っています。 . . . 本文を読む
出典『バグダッド・バーニング』1より。2003年8月だけでもどんどん悪化する治安、まったくちぐはぐな米軍の対応が実感できましたでしょうか。少数部隊で占領はスピーディでしたが、戦争終了の宣言後、全土が戦場化してしまったイラク。現在のアメリカ大統領選で、またもやメディアは、状況は改善されたので大統領戦の課題からイラク問題は消えたなどという発表をしているものがありますが、メルマガ・イラク最新ニュースを読む限り、とんでもないと思っています。リバーベンドのブログを読むと、占領するだけことしか頭に無く、実情とかけ離れた人道を装う嘘だらけのメディア操作に力をいれるアメリカ政府の姿が生々しく浮かび上がり、怒りを覚えます。 . . . 本文を読む
出典:『バグダッド・バーニング』1より 「(イラク)は混乱状態にある国ではないし、バグダッドは混乱状態にある都市ではない」――ポール・ブレマー。
「この人はどこに住んでるの?少なくとも同じ時代の人間?信じられない.......。彼はどこか違う宇宙から来たのかも。銃撃、略奪、戦車、レイプ、誘拐、暗殺といったことを混乱とは言わない所から。だけど、”私”の世界では、それを混乱というのだ。」――リバーベンド。 . . . 本文を読む
出典:『バグダッド・バーニング』1 2003年8月28日同日に「討論」と別タイトルの「約束と脅し」で書かれた、イラク戦争で破壊されたバグダッド・イラク復興のプランに疑惑の目を向ける記事。 . . . 本文を読む
出典:『バグダッド・バーニング』1よりまるごと引用。 場面―リビングルーム 雰囲気―陰鬱 2003年8月28日「私たちと叔父一家のふた家族は所在なく集まり、テレビを見ていた」(リバーベンドブログの翻訳チームが提示する2003年8月における主な事件は、1)8月19日 バグダッドの国連現地本部で爆弾テロ。デメロ国連事務総長ら20人以上が犠牲に。2)8月29日 シーア派聖地ナジャフで爆弾テロ。イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の最高指揮者ムハンマド・バーキル・ハーキム師ら80人以上が死亡、です。) . . . 本文を読む
出典:『バグダッド・バーニング』1
少し冒頭部分を細かく取り上げていきます。なぜかというと、リバーベンドが占領下でブログを立ち上げたのが2003年8月17日で、8月、9月、10月は頻繁に更新がなされているからです。その全てが貴重な情報に思えるからです。リバーベンドは主に欧米のメディアで世界に流布されているイラクやイスラーム教に関する偏った情報を相手にブログ上で闘い、正しい前提に立ってほしいと願っているような気がするからです。 . . . 本文を読む
出典『バグダッド・バーニング』1 イラク女性の占領下日記より、個人的抜粋(引用・要約)。
「2003年4月9日は、どんな才能をもってしても表現できない。その日、バグダッドは煙の中に立ち往生していた。いたる所で爆発があった。町中が米兵だらけ。火事、略奪、戦闘、殺人。市民はあちらこちらへと避難させられ、家々は戦車に銃撃され、車はアパッチで銃撃され炎上していた。4月9日、バグダッドには死と破戒があふれていた。どんな状況下でも、自分の住む町で戦車を見るのは強烈なショックだ。」――2003年8月26日のブログから . . . 本文を読む
出典『バグダッド・バーニング』1より テロとイスラム原理主義の恐怖は「たったいま始まったところ......」(私注:イラク・メソポタミアを理解するために(自分を含む)、後追いになりますが、もう少しリバーベンドのブログのご紹介を続けたいと思います。本を読んだほうが早いですけれども) . . . 本文を読む