7月はあっという間に過ぎ、明日からは8月。「アンデルセン3」についに手をつけなかった。これでは、マズイ。家も汚くなっている。少し掃除をしなくては。
フランスからとりよせた本も未読のまま、ほってある。
『年を経た鰐(わに)の話』を読んで、レオポール・ショボと訳者山本夏彦にショックを受けた。ショボの訳本『名医ポポタムの話』や山本夏彦の古本を何冊かゲットした。あちこちに手を広げるのは、私の昔からの悪 . . . 本文を読む
母の状態がおかしくなったのは、5年ほど前である。
まず猛烈なゲリに襲われ、体重が一挙に10キロほど減った。いろいろな検査をしてもどこにも異常が見つからない。
ああでもない、こうでもないと入退院をくりかえしたが、いっこうに改善しなかった。
母は別にぼんやりして暮らしていたわけではない。
体調が悪くなる直前まで、50歳の時から書道を始め、10年(?)ほどかかって師範免許をとり、県展にも入賞するようにな . . . 本文を読む
父の病状は、一言でいえば「せんもう」だった。
「せんもう」とは、一時的な軽い意識障害、軽い混乱、おおげさに言えば軽い錯乱であった。
父は高血圧だったので、脳溢血を非常に恐れ、たびたび自分で血圧を計っていた。それが、ある日200になった。
母の看護のなかに、認知症を治すあのニックキ「計算ドリル」「音読」を組みこんでいた。それを5年ほど続けていたのだ。過労の限界にきていたうえに、血圧が200になった . . . 本文を読む
まだ、腰が痛く、声もなく、のびています。
父の介護から帰ってきて、驚いたのは、花々が枯れていず活き活きとしていたことでした。花のことまで頼んでいくのは忍びず、あきらめていたのです。
1Fの花は従業員の人たちが、2Fの花は夫が水をかけていてくれたようです。
2Fの一部の花が少々、3鉢ほど枯れていただけ。ベランダにひっかけてあったので、夫は気がつかなかったのでしょう。夫らしい(笑い)
でもその他 . . . 本文を読む
いたたた!
まだ痛い、腰が...
父の介護の最中に、やってしまった。ぎっくり腰を。
介護にはいって、ちょうど1週間目、父の様態は毎日ひらひらと変わっていた。
いつものように、病院に着くと、ナースステーションで車椅子に座って父がいる。
目のはなせない患者はそうやってナースステーションに並んでいる。
介護人が行くと、病室のベッドへ行ける。
さあ、病室のベッドへ行きましょうと、車椅子を押して病室へ行 . . . 本文を読む
父の介護の合間を縫って、故郷にある大学の裏手に広がる日本海を見てきました。昔寝ころがって夜を明かした砂浜は、侵食のため消えていました。かわりに、侵食をふせぐコンクリートのテトラポットと擬似岩が置かれていました。 . . . 本文を読む
90歳の父が母の介護の過労で倒れ、入院しました。急遽駆けつけ介護をしてきましたが、不死鳥のごとく復活しましたので、あとは弟にまかせ帰って来ました。なぜ、90歳の老人に母の介護をさせておいたのかという疑問をお持ちになる方もおありかと思います。それにはいろいろな訳があるのです。 . . . 本文を読む
認知症になった母の世話を一手にひきうけ、すべてをやっていた90歳の父が過労で倒れる。昨日入院したとか。
自分が亡き後、母親が自分の身の回りのことをできるだけ自分でやれるようにして死んでいきたいという思いから、健康になるようにと、できるだけ意識をとりもどすようにと、食事の栄養等々をめざしてえんえんと努力をしてきた父。
家事と母の世話を全部やってきた父。
今回は、身体も脳も検査の結果、異常がなく、ど . . . 本文を読む