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名護市長選で菅官房長官が仕掛けた「なりふり構わぬ選挙戦術」
「逆転劇」の舞台裏 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54361①力の込め具合が違った
「20年先、30年先、40年先を考えて辺野古新基地建設反対を訴えてきたのだが……」
新人で前市議の渡具知武豊氏(56歳、無所属。自民、公明推薦)の当確が出た後、現職の稲嶺進氏(72歳、社民、共産、社会大衆、自由、民進推薦、立憲民主支持)は報道陣の前でこう語り、言葉を詰まらせた。辺野古新基地建設に反対する翁長雄志沖縄県知事にとって、自民党系の「渡具知名護市長」の誕生は、今後のかじ取りをより難しくさせる要因となることが必至だ。
首相官邸や自民党本部は、この市長選挙に向けてヒト・モノ・カネを大量に投入した。昨年末には菅義偉官房長官が来県し経済振興を打ち上げ、今年1月4日には二階俊博幹事長、安倍首相側近の萩生田光一幹事長代行、塩谷立選挙対策委員長らが名護入りし、渡具知氏に檄を飛ばした。
1月31日と2月3日には小泉進次郎筆頭副幹事長が数百人の観衆を前に熱弁をふるっている。大人気を誇る小泉氏が二度も現地入りするのは異例だ。
数多ある自治体の中で政府与党がこれほど前のめりになる市長選挙は、そうはない。その理由は言うまでもなく、同市長選挙が辺野古新基地建設問題に直結するからだ。日米同盟を最重要視する安倍政権にとって「辺野古問題」は同盟の足かせ。「もう終わりにしたい」というのが本音だが、稲嶺現職に勝てる候補が見つからないことが悩みの種だった。
そんな中、選挙前はとても勝てるとは見なされていなかった渡具知氏を、最終的に現職の稲嶺氏を破るまでに仕立てたのは、「政権の番頭」たる菅官房長官だった。
②決め手となった「公明票」と「下地票」
「とにかく候補者選びが難航した。地元の自民党名護支部は当初から渡具知を出したがっていたけど、長官は『ちゃんと稲嶺に勝てる候補者を探せ』と言うし、幹事長も『あれでは勝てない』と突き放すし、幾人も名前があがっては消えた。あげくプロゴルファーの宮里藍に(市長選にでないかと)声をかけるのはどうかという話まで浮上した。最後はタイムオーバーで渡具知とならざるをえなかった」
こう語るのは自民党関係者である。渡具知氏の名前は約1年前から地元の自民党名護支部で「市長候補」としてあがっていたが、正式な候補者に決まったのは昨年10月のこと。自民党系の市議として「辺野古容認」の立場で稲嶺市政を批判してきた渡具知氏では「勝てるはずがない」というのが政府内の一致した見方だったという。
事実、昨年10月の衆議院選挙の際に自民党が水面下で実施した調査では、稲嶺氏にトリプルスコア近く離されていたのだ。
そこからの逆転劇である。もっとも大きく流れを変えたのは、「辺野古反対」を掲げている公明党沖縄県本部に渡具知氏への「推薦」を交付させたことだろう。
③徹底した「争点ぼかし」
3-1「名護の比例公明票がかなり増えたんだ。自民党はそれだけ公明党のために動いた」
これは、菅氏のオフレコ発言の一つだ。昨年10月の衆院選で、自民党は「選挙区は自民、比例は公明」を徹底した。沖縄でも例外ではなく、これによって、衆院選での名護市内における比例公明票は前回より約2000票増えた。
「きちっと恩が売れた」(渡具知選対幹部)ことで、公明党が渡具知氏に「推薦」を出さざるをえない環境が整う。その環境づくりに向けては「佐藤浩(創価学会副会長)と長官が綿密に協議していた」(自民党関係者)とされる。
創価学会の根本である「平和主義」を大切にしたい学会員の中には「辺野古基地移設を容認してきた渡具知さんに推薦を出したのでは、組織がもたなくなる」(名護市内の創価学会員)という悲鳴も上がったが、そんな学会員たちの不安を解消する手も準備されていた。
一つは争点をぼかすことである。菅氏は昨年来、オフレコの場でたびたび「稲嶺市長で経済はボロボロ」「争点は町づくりなんだ」と“指示”を出すかのように語っている。1月28日の告示日に渡具知氏の応援に入った三原じゅん子参議院議員は「ゴミの分別が多すぎる」と、環境行政に力を入れてきた稲嶺市政を批判。小泉進次郎氏は「この選挙の争点は町づくりだ」とくりかえし声を上げた。渡具知氏本人はマスコミや学生から上がる公開討論の要請を断り、最後まで辺野古の是非について語らなかった。
もう一つ、創価学会員を突き動かしたのが「共産党主導」批判キャンペーンだ。
「『稲嶺の選挙は共産党が主導している。共産党主導の市政を終わらせなければならない』と強調したら、名護市外の学会員さんたちが続々と市内に入ってきて現地の学会員さんの説得に奔走してくれた。共産党と創価学会は水と油。共産党主導と聞いただけで敵対心を燃やす学会員さんが多いんだ。とてもうまくいった」(渡具知選対幹部)
結果、多くの学会員が期日前投票に赴き、渡具知氏に投じたと見られている。投開票3日前の2月2日朝、渡具知選対の朝礼には創価学会の総九州長だった山本武氏があらわれ、こう述べた。
「(稲嶺氏に)ほぼ並びました」
菅氏が「しもちゃん」と呼び、沖縄では一定の影響力を持つ下地幹郎衆議院議員(維新)が渡具知支持を表明したことも大きい。菅氏は常々「沖縄の選挙はしもちゃんに任せれば大丈夫なんだ」とうそぶいている。自民党への復党を果たしたい下地氏にすれば、自民党にできる限りの恩を売っておきたいのが本音だろう。
名護市内における公明票は2000票から2500票とされる。下地氏が持つ票が約1500票といわれており、前回の名護市長選における約4000票の票差は、「公明票」と「下地票」によって埋められたことになる。
④翁長県政の危機
稲嶺打倒のための策を積み木のように積み上げていた菅氏が「あの時は大変だった」と語っているのが、1月25日の衆議院本会議で飛び出した「それで何人死んだんだ」という松本文明内閣府副大臣のヤジだ。沖縄県で続発する在日米軍機の事故やトラブルを巡る問題を議論していた際に飛んだこのヤジは、県民感情を大いに逆なでした。
約1週間後に行われる名護市長選挙への悪影響を察知した菅氏はすぐさま安倍首相とともに院内大臣室へ移動し、「もうだめです」と松本更迭の必要性を進言。安倍首相が「すぐにそうしてくれ」と答えると、松本氏本人に辞任を迫った。
松本氏は翌26日に辞任を表明したが、表明があと半日でも遅れていたら、野党から辞任要求が上がったかもしれない。あるいは市民団体が抗議声明を出し、マスコミが大きく扱ったかもしれない。そうなる前に、菅氏は電光石火のごとく“処理”を施し、野党や市民に辞任要求すらさせなかった。
副大臣の更迭を進言するなど、異例中のこと。菅氏はなぜそれほどまでして名護市長選挙にこだわったのか。市長選が終盤にさしかかった頃、「もし渡具知が勝てば、沖縄はどうなるでしょうか」と周囲に問われた菅氏は、こう言い切ったという。
「翁長の存在意義がなくなるんだ」
翁長知事が「辺野古反対が県民の意思」と言い切れるのは、名護市の市長が稲嶺氏だからであって、名護が「新基地建設容認派」の手に落ちれば、翁長県政の土台である「オール沖縄」が崩壊する――そんな見立てが菅氏の内にはあったのかもしれない。
その見立てが完全に間違っているとは言えないし、菅氏にかかれば翁長県政を切り崩すのはそう難しいことではないのかもしれない。
しかし、どうもひっかかる。今回の名護市長選挙について筆者が取材を進める中で、政権を動かす安倍首相や菅官房長官に「応援に来てほしい」という声は、地元の自民党関係者からさえ皆目上がらなかった。むしろ「票が減るから総理や官房長官には来ないでほしい」(渡具知選対幹部)という声さえ聞かれたほどである。その「空気」が分かっているからこそ、年が明けて投開票日が近づいても2人は現地に近づかなかったのではないか。
11月には沖縄県知事選が控える。重要な名護市長選で自民党系の候補が勝利を収めたとはいえ、安倍官邸と県民の間にある溝、精神的な距離感が埋まったとは思えない。
(野中大樹・週刊現代記者)
【追記】読後感想
津田大介認証済みアカウント @tsuda 5時間5時間前
舞台裏がよくわかる記事だけど、読後感は最悪だ