日本のITが遅れた理由は大企業と政府が一緒になって既得利益のある大企業のせこい利益をどの方向からも守ろうとして来たことだろう。そういう考えから非関税障壁みたいなものを作って外国のものを輸入できにくくしたのもある。どこの国でも普通に買えるものが日本だけは買えなかったりする。今でも。
引用ツイート
ono hiroshi@hiroshimilano·
90年代初頭でヨーロッパに来たときも既にこの差は感じました。1995年頃にヨーロッパのデザインの学生は既にAutocad使えるのがデフォルトになってたからね。ネットもISDNにこだわってたからADSLも光も普及するのがイタリアの方が少なくとも5年
シンガポールでも、イスラエルと同じ結果が出ました。
①日本は能力のある者が上に立つ良い意味での実力主義社会ではなく、能力のない者が強引に這い上がれる下剋上社会だということを山本七平は見抜いていた。軍隊でも政治の世界でもそうなのだ。今の自民党国会議員にロクな奴がいないのは悪辣な野心家が下剋上で這い上がり上に居座っているからだろう。午前10:21 · 2021年9月8日·Twitter Web App
②天皇制も怪しいものであって、そもそも鎌倉幕府は天皇の権威体制を力づくで壊した結果です。幕府は完全な権力を手に入れこれに反乱を起こした後鳥羽上皇は島流しにされた(承久の乱)。以後、天皇の権威は地に墜ちるがこの権力を再び取り戻そうとした後醍醐天皇の反乱も鎮圧されて再び幕府の時代になる
③その後足利幕府が弱体化すると地方の封建武士たちがめいめい独立国のような武装をして群雄割拠となる。この時代にはどの武士も天皇制があったことさえ忘れている。それどころか下剋上があたりまえになった。徳川時代の参勤交代は下剋上を警戒したためであった。しかし幕末になると再び下剋上になる。
④幕末の志士が尊王攘夷を掲げたのは中国儒教の影響を受けたからであった。中国には幕府も封建領主も存在しない。中国は伝統的に皇帝を中心とする中央集権体制であって日本もこの体制を模範とし幕府打倒を目指した。しかしながら孝明天皇が公武合体を支持したため彼は倒幕運動の邪魔となり消された。
⑤中国にはそもそも士農工商などという身分差別は存在しないし封建領主も存在しない。存在するのは天子といわれた皇帝の権力だけであり、この天子様の指導に従う事が道徳と倫理の基本であった。これは儒教の教えからきている。日本にはその核の教えがないために下剋上と弱肉強食があたりまえになった。
⑥日本のように武士階級が長年権力を握った国というのは実は珍しい。西洋の場合はどの国もキリスト教の影響で国家の指導者は軍人ではなく教会の指導を受ける国王でった。だから日本のような軍人が統治する幕府体制はあり得なかった。日本はサムライの国だとか言ってるのは野蛮人の国というのと同じ。