経済は成長せず、国の借金だけが膨らんだ……異次元緩和で変わり果てた姿になった日本経済
配信 JPpress
日銀の植田総裁は、11月30日に日本経済新聞の単独インタビューを受け、「データがオントラックに推移しているという意味では近づいていると言える」と利上げの可能性を示唆した。加えて、「経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになる」とも以前から述べている。 【写真】異次元緩和で黒田前総裁とタッグを組んだ宰相は、総括することなく凶弾に倒れた 異次元緩和を経て、日本経済はどこに向かっているのか。『異次元緩和の罪と罰』(講談社)を上梓したオフィス金融経済イニシアティブ代表で、元日銀理事の山本謙三氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──本書では、日銀の黒田前総裁が2013年4月から開始し、現在の植田総裁が今年3月に終了を発表した異次元緩和と、その影響について考察されています。
山本謙三氏(以下、山本):異次元緩和とは、日本銀行が非伝統的な手段を用いて巨額の資金供給を行うことです。正式名称は「量的・質的金融緩和」です。
従来の金融緩和では、短期の資産(短期国債など)を購入して市場に資金を供給していました。それに代えて、長期の国債やETF(上場投資信託)なども買い入れる、これが「質的緩和」です。それを大量に行うことを「量的緩和」と呼ぶので、「量的・質的金融緩和」と言われてきました。
日本経済の停滞は物価の下落にある。金融緩和が足りない。小出しではなく、いっぺんに大胆な金融緩和をやろう──。こうした黒田前総裁の考えに沿って、「2%の物価目標」を約束するという方針で異次元緩和は始まりました。
もっとも、黒田前総裁の考えた通りに事は運ばず、結果的には逐次投入を繰り返すことになりました。前述の「量的・質的金融緩和」という名称も、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」に変わり、さらには「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」へと変わっていきました。
──異次元緩和によって「日本経済は世界に例をみない異形の姿になった」と書かれています。
山本:大きく状況は変わりましたが、3つの大きな特徴があります。
1つ目は、財政赤字が拡大し、政府の財務残高は非常に大きくなったこと。2つ目は、それに対して日本銀行が巨額の国債を買い入れて保有しているということです。そして3つ目は、金利をずっとゼロに抑えてきたので、市場機能が十分に働かなくなったということです。
政府の財務残高は、国と地方を合算すると、対GDP比で250%を超えています。世界で首位を競うほどの政府の借入残高です。このうち、地方を除いた国の部分は700兆円の負債超過(資産から負債を引いたもの)という状態です。
これに対して、日本銀行は600兆円近い額の長期国債を買っている。素直に見ると、財政ファイナンス(※)に近い状態になっています。
※財政ファイナンス:中央銀行が通貨を発行して国債を直接引き受けること。
では、景気がどう変わったかというと、異次元緩和を開始する前の10年間と、開始してからの10年間を比較すると、GDPの伸び率はほとんど変わっていません。
■ 元日銀理事が率直に振り返る異次元緩和の「総括」
山本:異次元緩和開始から9年間、1カ月たりとも物価は2%にはなりませんでした。10年目の、2022年にようやく2%に至りましたが、これは、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、世界が一気に物価高騰になったためです。
人手不足は今も続いています。今年の6月や7月はボーナスで若干プラスに転じましたが、実質賃金は2022年の春からずっとマイナスです。こうしてみても分かるように、異次元緩和によって好ましい経済の姿にはなりませんでした。
──黒田前総裁が最初に異次元緩和を行うと発表した時の公約と、その後の実際の進め方の間にだいぶ差があったという印象を受けます。
山本:日銀が異次元緩和に踏み切った背後には、物価が上がると中央銀行が約束し、そこに向けてどんどんと資金を供給すれば、人々は物価が上がると思い、消費や投資は拡大する──という米国の一部の経済学者などが主張していた理屈がありました。
結果を見ると、この見立ては正しくありませんでした。
日本経済停滞の要因は、企業の生産性や稼ぐ力が十分ではなかったことにあります。日銀が約束したから物価が上がると人々が信じるわけではありません。そのことが、異次元緩和を通して明らかになりました。景気が物価を決めるのであって、物価が景気を決めるのではなかったのです。
──黒田前総裁は見立てを誤ったのでしょうか。それとも、国民や市場の期待を引き出すために、レトリックとして大胆な目標を掲げたのであって、実際はこのような展開になっていくことをある程度見込んでいたのでしょうか。
山本:当初の宣言どおり、2年で2%の物価目標を達成できると思っておられたと思います。異次元緩和の決定を発表した記者会見でも、小出しの逐次投入がされてきたことを批判しながら、一気に全部出しきるという意志を主張しました。
ところがその後、延々とご自身が逐次投入を続けたわけで、9年もかかると想定していたら、そんな言い方はしていなかったと思います。
黒田前総裁には厳しい財政規律の下での運営が期待されていましたが、政府の債務はどんどん増え、黒田総裁10年間の新規国債の95%に相当する金額を日銀が買い込んでいます。最初からこのような展開を見込んでいたとは思えません。
──2%の物価目標は正しい目標設定だったのでしょうか?
■ 「2%」に固執した黒田日銀は正しかったのか?
山本:2%というのは、実はあまり根拠のある数字ではありません。
確かに世界のほとんどの中央銀行が「2%の物価目標」を掲げてはいます。一般にグローバルスタンダードであるとも言われます。ただ、各国は非常に幅を持った柔軟な運営をしていて相当の振れ幅を許容していますが、日銀はかなり硬直的な運営をしています。
もう一つは、2%の物価目標を達成したからといって、それが健全な経済を保証しているわけではないということです。2%を達成しても、不健全な事態に陥ることは十分にあり得ます。
1980年代後半の日本は、消費者物価(除く生鮮食品)が0%の中でバブルが起こりました。物価は上がらないけれど、経済は不健全な状態に陥ったわけです。
米国では、1990年代半ばに高いインフレ率が収まってきて、コアPCEデフレータ(※)はずっと1%台でした。
一方、2005年から2007年の3年間の伸び率は前年比で2.3%とわずかに2%を超える程度でしたが、そのタイミングであの巨大な住宅バブルが発生して、リーマンショックが起きました。そう考えると、2%はむしろ危険信号と見ることもできます。
※コアPCEデフレータ:個人消費支出(PCE)デフレータから価格変動が激しい食品とエネルギーを除いた物価指標。米連邦準備制度理事会(FRB)がターゲットにする物価指標。
私たちは「2%の物価目標が適切な目標なのか」と問わなければなりません。少なくとも、2%を硬直的に目指すのは適切ではなく、もっと柔軟に見ていくべきだというのが私の考えです。
──本書の中で、長期国債やリスク性資産を大量に買い入れたことについても繰り返し言及されています。これはどの程度危険なことなのでしょうか。
山本:世界中の多くの中央銀行は財政ファイナンスを禁止しています。
先ほども申し上げたように、財政ファイナンスとは国債を引き受けること。これまで日銀がやってきたことは「引き受け」ではなく、市場からの「買い入れ」ですが、これだけ巨大な額の国債を買うとなると、国債が発行された翌営業日には買い入れるということが起きる。つまり、ほとんど「引き受け」のような状況になっている。
なぜ世界中が財政ファイナンスを禁じているかといえば、各国の様々な失敗のもとに、そうしたルールが作られてきました。中央銀行が政府の資金繰りの面倒を見ると、いくらでも財政支出を増やすことができてしまう。財政規律が失われてしまうのです。
■ 日本経済に対する市場の信頼が剥がれる瞬間
山本:700兆円という日本政府の負債超過は日本のGDPを超える規模です。一方で、日本銀行は600兆円近い長期国債を持っています。私の問題意識は、この状況で、いつまで日本がマーケットや世界の人々から信頼され続けるのかということです。
先人たちの努力の結果によって、今までは信頼される国でいることができました。その信頼がどこで崩れるのか、閾値は分かりませんが、リスクが高まっていることは事実です。 最も危険なのは、何かのショックが起きた時です。たとえば、地政学リスクに巻き込まれるような事態に至った時に、市場心理が大きく変わるかもしれない。
──市場心理が変わって信頼が損なわれると、何が起こるのでしょうか?
山本:決定的に始まるのは円の急落です。円が急落すれば、物価は間違いなく大幅に上がります。国民生活は相当に厳しくなるでしょう。
──ほかの国が異次元緩和的な政策を実行して経済が成長した実例はあるのでしょうか。 山本:ないと思います。というか、中央銀行が異次元緩和のようなことをしたのは日本が初めてだと思います。それぐらい特殊な試みです。
それだけ特殊なことをした背景には、金利がゼロに張り付いていることを問題視した、異次元緩和を進めた方々の主張がありました。金利がゼロに張り付いていたのは事実ですが、それはあくまでも短期金利です。それなのに、長期金利まで抑え込んだのが異次元緩和の特徴でした。
ただ、長期金利までゼロに抑え込んでしまうと、企業はいつまでも金利ゼロで借りることができてしまいます。国債も金利ゼロで発行できる。成長性の低い企業も負担が少ないので生き残れる。経済の稼ぐ力を弱めてしまうのです。
──「国の借金は子や孫の世代に引き継がれる」「まだ生まれていない将来世代が、今の私たちを眺めることができたならば、何というだろうか」と書かれています。財政規律派と、リフレ派やMMT派などの間で意見が分かれるようですが、私たちは国の借金というものを、どの程度の脅威として考えるべきなのでしょうか。
■ 「今問われているのは、引き続き信任を受け続けられるかどうか」
山本:私自身は、今の借金残高は非常にリスクが高いと思っています。リフレ派とMMT派は同じではありませんが、MMT派の方は「国が信任を受け続けている限りは、財政赤字をいくら出しも、国債をいくら出しても大丈夫」という発想です。でも、今問われているのは「信任を受け続けられるか」ということです。
各国が財政の健全化を目指す一つの理由は、地政学リスクなどが発生した場合、防衛費や軍事費を拡大できるかどうかが不安だからです。今の日本であれば、自然災害によるショックもあり得ますよね。財政を健全化しておかないと、そうした事態に対応できなくなる恐れがあります。
──先の総裁選や衆院選では、いろいろな政策を提案しつつ、財源について聞かれると「そこは国債で」という答え方をする候補者は結構いました。そうした説明には、もっと警戒したほうがいいということですね。
山本:そうです。財政支出の拡大につながる政策提案は衆院選でもたくさん見られましたが、財政規律について言及する政党はほとんど見かけませんでした。
──今の植田総裁についてはどう思われますか?
山本:植田現総裁は3月に異次元緩和を終了し、7月に利上げに踏み切るなど、正常化に尽力しています。国債の買い入れの減額も公表しました。ある意味では当然の判断です。
物価は2%から3%近いところまで上がっているのに短期金利は0.25%。「市場金利ー物価上昇率」がものすごく深いマイナス幅ですから、いまだにすごい金融緩和状態です。すぐに正常化を進めたいというお気持ちはあると思います。
ただ、黒田前総裁が掲げてきた「2%の物価の持続的安定的な達成を目指す」という旗は、引き続き維持して運営しています。悩ましいのは2%が維持できない場合、正常化が先送りされるということ。でも、「いつまで先送りできるのか」という問いがあるはずです。
山本謙三 オフィス金融経済イニシアティブ 代表 1954年 福岡県生まれ。76年日本銀行入行。98年、企画局企画課長として日銀法改正後初の金融政策決定会合の運営に当たる。金融市場局長、米州統括役、決済機構局長、金融機構局長を経て、2008年、理事。金融機構局、決済機構局の担当として、リーマンショックや東日本大震災後の金融・決済システムの安定に尽力。2012年NTTデータ経営研究所取締役会長。2018年からはオフィス金融経済イニシアティブ代表として、講演や寄稿を中心に活動している。
長野光(ながの・ひかる) ビデオジャーナリスト 高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。
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2024/11/28