「斎藤氏の支持者がデマを熱狂的に信じた」という言説の落とし穴 兵庫県知事選・後編【解説】
配信 日本ファクトチェックセンター
兵庫県知事選・後編【解説】(この画像はAIで生成しました)
兵庫県知事選をめぐる偽・誤情報の拡散に関する解説の後半です。背景にはマスメディアの影響力低下とソーシャルメディアにおける選挙情報の拡大という世界で共通する大きな潮流があります。その中で、信頼性の高い情報に基づいた民主主義を成立させるためには、どうすればよいか。
斎藤氏をめぐるマスメディアとソーシャルメディアの分断
斎藤氏に関しては、テレビなどを中心に「おねだり知事」「パワハラ知事」という発信が続きました。
一方でソーシャルメディアでは「捏造だ」「印象操作だ」とそれを否定する発信もありました。
ジャーナリスト・赤石晋一郎氏は選挙の1ヶ月前、10月19日の段階で「増殖中の支持者に共通する『メディア不信』『大多数がSNSで情報収集』」というルポを配信しています(Newsポストセブン)。
この中で、斎藤氏の演説に駆けつけた30代の男性はこう話しています。
「政治家に興味を持ったのは初めてです。斎藤さんは、前の知事より改革をしていた。テレビ報道ですか? テレビは偏っているから見ませんね」
また、NHKの選挙終盤の取材で斎藤氏の演説を聞きに来た70代男性はこう話しています(NHK)。
「文書問題では斎藤さんが悪いと思っていたが、息子から勧められてSNSを見たら、斎藤さんは悪くないと思った」
「新聞やテレビで報じられてきた問題は間違っており、真実はソーシャルメディアで語られている」。
こういう構図を提示して拡散する力になったのは、斎藤氏自身というよりも、同じ県知事選に立候補していた立花孝志氏です。
政治団体「NHKから国民を守る党」の立花氏は「自分の当選は考えていない。斎藤氏をサポートする」と公言し、64万人の登録者がいる自身のYouTubeチャンネルで選挙期間中に66本の動画を公開しました。
11月14日の配信では「テレビとネットの戦い 正義vs悪 真実vsデマ 正直者がバカみない日本へ兵庫県知事選挙」と題し、「テレビや大手新聞は知事がパワハラしていたことについて、何の根拠もなく噂話で報じている」などと主張しました。 これらの主張は自身の66本の動画にとどまらず、多くのネットユーザーがその一部を切り取ってショート動画に再編集したり、引用して自身で新たに動画を作ったりして拡散させており、その総数は把握が難しいほどです。
新聞やテレビは公平性を重んじる考えから、選挙期間に入ると個別の候補者に関して深堀りする記事は減ります。そもそも、テレビ番組は尺が短く、新聞は紙面が狭いために、有権者が投票の参考にできるような情報を十分に提供することが難しいのが実情です。
動画メディア「ReHacQ」は総選挙で「ReHacQvs東京24区」と題して、東京の各選挙区ごとの候補者を招いて1時間を超える討論会を23本公開しました。これは尺に限りのないYouTubeだからこそできる企画です。各選挙区で誰に投票するかを考える際に非常に役に立ちます。 ネット上の選挙情報はどんどん充実しており、JFCでも参考になるサイトを紹介する解説記事「選挙で偽情報対策以上に重要なのは? 投票に役立つ正確で信頼性の高いサイト」を公開しました。
選挙で偽情報対策以上に重要なのは? 投票に役立つ正確で信頼性の高いサイト【解説】(関連記事リンクでご覧ください) 2015年に日本新聞協会が実施した「全国メディア接触・評価調査」では「投票の参考にしたい情報源」(複数回答)という質問に対して、1位「新聞記事」51.4%、2位「テレビ番組(政見放送)」43.8%、3位「選挙公報」30.8%、4位「テレビ番組(政見放送以外)」30.7%で、ずっと離れて「新聞社以外のニュースサイト」13.2%、「動画投稿サイト」はわずか0.9%でした。
9年間で全く違う情報環境が生まれています。
拡散した偽・誤情報とは何か
兵庫県知事選で拡散した「偽・誤情報」とは何か。斎藤氏を支持した人から見れば新聞やテレビが流したものが「偽・誤情報」です。一方、斎藤氏を支持しない人はソーシャルメディアで拡散している情報を「偽・誤情報」だと捉えます。
斎藤氏に敗れた元尼崎市長の稲村和美氏は敗戦の弁で「何を信じるかの戦いだった」と振り返りました。
ファクトチェックは誰かのオピニオンを検証するものではなく、「客観的に検証可能な事実」に限って検証するというルールが有ります(JFCファクトチェック講座 理論編5)。
「斎藤氏は被害者で改革を嫌うマスコミや既得権益層がいじめている」という語り口(ナラティブ)は検証の対象になりません。そう考えるのは個人の自由です。検証対象となる言説は、全体的な語り口ではなく、検証可能な事実について個別具体的に見る必要があります。
JFCは2つの検証記事を公開しました。 1つは「斎藤氏はパワハラをしておらず、新聞やテレビは根拠なしに報じている」という言説の検証です。
県職員アンケート(約9700人対象)では140人が目撃や経験をして実際に知っていると答え、「実際に知っている人から聞いた」「人づてに聞いた」を合わせると回答者の42%が見聞きしていました。
また、斎藤氏自身が証人喚問や選挙演説などで厳しい叱責をしたことや机を叩いたことなどを認めており、「心からお詫びしたい」「反省しないといけない」などと述べていることから「パワハラをしていない」という言説は「根拠不明」と判定しました。
斎藤前兵庫県知事はパワハラしていない? 職員の4割が見聞き、本人は厳しい叱責など認めて「必要な指導」【ファクトチェック】(関連記事リンクでご覧ください)
2つ目は「稲村氏が当選すると外国人の地方参政権が成立する」という言説だ。本人は公約に掲げておらず、自身のサイトでも否定。また、一般永住者の地方参政権の保障を政策に掲げる緑の党との関係がこの言説の背景にあったため、「緑の党の前身の活動に参加していたが2010年の尼崎市長就任時に会員を辞め、2012年に設立された緑の党の活動には関与していない」とも表明し、緑の党も同様の声明を出したことから、言説は誤りと判定しました。
兵庫県知事選 稲村氏が当選すると外国人の地方参政権が成立する?公約になく、本人も否定
【ファクトチェック】 選挙前には「斎藤知事の公約実現率98.8%」という投稿がまとめサイト「ツイッター速報」から出ました。これは本人が「着手率」として述べた数字を「公約実現率」と歪曲した内容であり、誤りと判定しました。 兵庫県斎藤知事の公約実現率が98.8%? 着手のみで未達成のものを含む
【ファクトチェック】(関連記事リンクでご覧ください)
実際には職員アンケートの信頼性やパワハラなどを告発した元県民局長をめぐる情報などについて、不確かだったり、根拠に欠けたりする情報は大量に拡散していましたが、検証が追いつかない状況でした。 JFC以外のファクトチェック団体やメディアのファクトチェック記事もほとんど出ていません。この状況は総選挙と同様です。
「偽情報を熱狂的に信じる支持者」という言説の問題
今回の選挙について、筆者(古田)はあるテレビ局から取材を受けました。「デマが大量に拡散し、熱狂的に信じている人に事実を報じても伝わらない。どうすればよいのか」という質問がありました。
「この捉え方自体に問題がある」と回答しました。
これまでに見たように「改革派の斎藤知事VS貶めようとしたマスコミを含む既得権益層」という語り口(ナラティブ)があります。その中でテレビが「デマを信じる熱狂的な斎藤支持者」などという報道をすれば、このナラティブをさらに強化するでしょう。
読売新聞の出口調査によると、そもそも斎藤氏の県政運営について「評価する」が71%に及び、その6割強が斎藤氏に投票しています(読売新聞)。
JFCでも検証したように、確かに斎藤氏をめぐる言説の中には誤りや根拠不明のものがありました。それは個別に具体的にファクトチェックして指摘しなければ、有権者には届きません。「私が支持しているのは偽情報を信じているからだというのか」と反発を受けるだけです。
もちろん、ファクトチェックをしても、検証対象の言説を信じている人に否定されたり、検証が不十分だと指摘されたりすることはあります。
それでも、JFCのファクトチェック記事は今回の兵庫県知事選にまつわる3本だけでも、合計で数百万ビュー読まれ、ネガティブな反応も多いですが、それを上回るポジティブな反応がありました(こう書くと、JFCを批判する人からのネガティブな書き込みが増えますが)。
「情報の権威の交代」と求められる対応
兵庫県知事選に限らず、最近の選挙は、世界に共通する2つの流れがあります。「ソーシャルメディアでの選挙情報の拡大」と「マスメディアの信頼性と影響力の低下」です。
2024年のアメリカ大統領選は「ポッドキャスト選挙」とも呼ばれました。コメディアンの「The Joe Rogan Experience」などの有力ポッドキャストが大きな影響を与えたからです。
デジタル・ジャーナリズムやメディア論で知られる米ニューヨーク市立大学院名誉教授のジェフ・ジャービス氏は、現在の新聞などに繋がる活版印刷が15世紀に広がったことで、それまで多くの旅人の話を聞いて「情報の権威」だった宿屋の経営者らが権威を失い、やがて、マスメディアの時代となったと解説します。
誰もが発信できるソーシャルメディアの時代について、ジャービス氏は「『(誰かが)こう言った』から正しい情報とされた過去の時代に似てきた」と日経新聞に語っています。歴史で繰り返されてきた「情報の権威」の交代です(日経新聞)。
有権者から見れば、信頼性が高く、争点がわかりやすい情報が得られれば、マスメディアであっても、ソーシャルメディアであっても構いません。
マスメディアもソーシャルメディアにコンテンツを出している以上、そもそも、マスメディア自身が「マスメディア対ソーシャルメディア」という対決構図を作ること自体が間違っているし、そうなれば確実に負けます。多勢に無勢だからです。情報の権威の交代は、まさに進行中です。 問題は、情報の権威が交代することではなく、偽・誤情報が拡散することです。ファクトチェックだけでは不十分で、メディア情報リテラシーの普及、正確な情報発信の強化など、法律を含むルール設定など複合的な対策が不可欠です。そして、その全てにマスメディアは寄与できます。 それがマスメディアの信頼性と影響力の低下への対策ともなるでしょう。情報の権威の交代そのものを食い止めるのは難しそうですが。
判定基準などはJFCファクトチェック指針をご参照ください。