とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

【新年恒例】皇居・宮殿で「歌会始の儀」

2023年01月18日 18時08分42秒 | 皇室

【新年恒例】皇居・宮殿で「歌会始の儀」

2023/01/18

皇居で歌会始の儀 入選最年少は14歳(2023年1月18日)

 

今年のお題は「友」歌会始の儀 両陛下らが和歌披露(2023年1月18日)

【歌会始の儀】天皇陛下 3年連続で感染収束の願いを歌に込められる

 今年の「歌会始の儀」に出席した入選者のうち9人が18日午後、宮内庁で記者会見した。「友」をお題とした自身の歌が皇居・宮殿で披露された喜びを「夢のよう」「幸せな思い」と話した。

歌会始の儀を終え、記念撮影に臨む最年少の小宮山碧生さん(右端)ら入選者=18日午後、皇居・宮殿東庭(代表撮影)
歌会始の儀を終え、記念撮影に臨む最年少の小宮山碧生さん(右端)ら入選者=18日午後、皇居・宮殿東庭(代表撮影)© 時事通信 提供

 最年少だった山梨県北杜市の中学2年小宮山碧生さん(14)は、あだ名を付けてくれた友人との関係を歌にした。「一生に一回あるかないかの機会で光栄」とはにかんだ。終了後の懇談では、天皇陛下が自身の中学時代のあだ名に触れ、「友人とこれからも仲良く」と声を掛けられたという。

 「幸せな気持ち」。歌会始への出席を夢見続けて亡くなった母の写真を持参した新潟県上越市のヨガ講師相川澄子さん(61)は涙ぐんだ。急逝した友への思いを込めた熊本県宇土市の主婦三浦清美さん(63)は、「やっと悲しみから立ち直り、歌にできた」とかみしめるように語った。

 岡山県井原市の主婦藤井正子さん(73)は友人だった夫とのなれ初めを詠み、「夢のようです」と笑顔を見せた。 

 

『明治天皇はシャンパンがお好き 近現代日本 歴史の横顔』(文春新書)の著者、浅見雅男氏は、近代日本の華族たちに関する研究の第一人者。

本書は、これまで積み上げてきた数々の実績に基づき、各分野で名を遺す偉人たちの知られざるエピソードをまとめたものだ。

取り上げられている人物は、天皇、皇族、文士、学者、実業家、政治家、ジャーナリスト、スポーツマン、芸能人など多岐にわたる。つまりその大半が、いわゆる著名人、有名人と呼ばれる立場にある。

当然、伝記などもたくさん書かれ、また彼らを主人公としたノンフィクション、あるいは小説なども多い。それらを通じて、この人たちのわれわれなりのイメージをつくりあげているわけだが、本書『明治天皇はシャンパンがお好き』は、それになにかをつけくわえられたら面白いのでは、という意図のもとに書かれた。(「まえがき」より)

言ってみれば、一般的に知られているような聖人君子たる側面ではなく、あまり知られることのない、どちらかと言えば人間くさい側面に焦点を当てているということだ。

今回は「歌会始あれこれ」に焦点を当ててみたい。

17年ぶりの雅子皇后出席

現在も毎年正月に宮中で行われている「歌会始」が始まったのは、15世紀のこと。そして天王崩御による 諒闇(喪)中などを除き、明治天皇即位直後の明治2(1869)年正月から毎年開かれるようになったそうだ。

そして以後、数年間は天皇と皇后をはじめとする皇族や高官、高位の元公家らだけが、毎年の「御題」によって歌を寄せた。だがそののち、次第に一般の国民からの詠進も認められるようになり、たとえば明治7年には、4139もの歌が宮内庁に届いたという。

その点について浅見氏は「宮中の『民主化』は歌からはじまっていたというべきか」と記しているが、たしかにやや意外な話ではある。

ちなみに明治二年の天皇の歌は、
ちよ万(よろず)かはらぬ春のしるしとて
海べをつたふ風ぞのどけき
美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)の歌は、
おきつ浪霞にこめて春きぬと
風もなぎたるよもの海つら
最近(令和二<二〇二〇>年)の歌会始での天皇の歌は、
学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声
さやけくあれとひたすら望む
皇后の歌は、
災ひより立ち上がらむとする人に
若きらの力希望もたらす
(71〜72ページより)

もちろん、明治と令和とではどちらが秀歌であるかなどと比較するようなものではないだろう。だが、いずれもお気持ちが鮮明に表れた歌だと感じる。

ところで浅見氏は注目すべき点として、令和2(2020)年に雅子皇后が17年ぶりで歌会始に出席したことを挙げている。

同年の歌会始には、皇嗣である秋篠宮文仁親王をはじめ、7人の皇族(秋篠宮紀子妃、眞子、佳子内親王、故三笠宮寛仁親王信子妃、同彬子女王、故高円宮憲仁親王久子妃、同承子女王)が出席。

成人の皇族は男女を問わず歌会始に出るのが通例であるため、長期の欠席は異例なものだったという。

「心癒えゆく」

天皇、皇后がご結婚されたのは平成5(1993)年6月のことで、皇后も以後しばらくは、皇太子妃として歌会始に出ていた。平成6(1994)年に初めて詠進したのは、以下の歌である。

君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)
さやけき月は水面(みのも)おし照る
(73〜74ページより)

新婚の妻らしい瑞々しさを感じさせる、印象深い歌だ。そして以後も平成12(2000)年には、

七年(ななとせ)をみちびきたまふ我が君と
語らひの時重ねつつ来ぬ
(742ページより)

愛子内親王が生まれたばかりの平成14(2002)年には、

生(あ)れいでしみどり児のいのちかがやきて
君と迎ふる春すがすがし(74ページより)

と、幸せな歌が続く。ところが平成16(2004)年の歌会始には歌は詠進したものの姿は見せず、以後も皇太子妃は平成31(2019)年まで、毎年詠進はしたものの欠席を続ける。

宮内庁がその理由について「静養中のため」と説明していたのは記憶に新しいところだ。

紅葉ふかき園生(そのう)の道を親子三人
なごみ歩めば心癒えゆく
(75ページより)

たしかに平成17(2005)年に詠進された上記の歌からは、痛々しい精神面が伝わってくるようにも思える。

「公人」たらざるえないことへの悩みが映る

また平成25(2013)年の

十一年前吾子(あこ)の生れたる師走の夜
立待ち月はあかるく照りたり
(75ページより)

に代表されるように、静養中の歌には愛子内親王を詠んだものが多いそうだ。

『明治天皇はシャンパンがお好き 近現代日本 歴史の横顔』(文春新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

今も昔も、皇族には「公人」たらざるをえないことへの悩みを持つ人がいると言われる。皇太子妃のこうした歌からも、そうした気持ちを伺うことができるかもしれない。

いずれにしても、令和2(2020)年1月16日に宮中で行われた歌会始に雅子皇后は出席できたのである。また、やはり宮中新年恒例の行事である講書始にも平成30(2018)年に15年ぶりで出席しているため、体調はもはや問題ではなくなったのだろう。

もしかしたら今年の歌会始は、コロナ禍の影響を受けることになるのかもしれない。だが、歌会始のように雅な伝統を受け継ぐことも天皇夫妻の重要な責務であるだけに、雅子皇后の回復は喜ばしいことだといえよう。

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