<ノーベル文学賞>仏作家ル・クレジオ氏に 日本でも人気
2008年10月10日(金)1時7分配信 毎日新聞
講演するジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオさん=東京都府中市の東京外国語大学で2006年1月29日、山本晋撮影 [ 拡大 ]
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【ロンドン町田幸彦】スウェーデン・アカデミーは9日、08年のノーベル文学賞をフランスの作家、ル・クレジオ氏(68)=本名・ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ=に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「新しい出発と詩的冒険、官能的悦楽の書き手であり、支配文明を超えた人間性とその裏側を探究した」と述べた。授賞式は12月10日、ストックホルムで行われ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円)が贈られる。
ル・クレジオ氏は英国人医師を父、フランス人を母として南仏ニースに生まれた。ナイジェリアで少年期を過ごし、英ブリストル大、ニース大で学んだ。1963年、23歳で発表した長編小説「調書」でフランスの著名な文学賞であるルノード賞を受賞。ゴンクール賞にもノミネートされ、華々しくデビューした。自我の解体と神話的な世界への志向を、豊かなイメージと奔放な語り口で描き出す特異な文学的世界で知られる。
短編集「発熱」(65年)に続く長編「大洪水」(66年)で、青年が万物の死の予感から太陽との合体による破滅に至る過程を叙事詩的に描き、現代フランス文学を代表する作家としての地位を確立した。
アメリカ先住民の世界に強い関心を持ち、中南米の密林で先住民と暮らした体験をもとにしたエッセー「悪魔祓(ばら)い」(71年)を発表した。
邦訳も多く日本でも人気が高い。06年には39年ぶりに来日し、東京外大で講演。その折に、作家の津島佑子さんと北海道を旅行し、アイヌの人々の話を聞くなどした。
ル・クレジオ氏は9日、ノーベル財団ウェブサイト編集長の電話取材に対し「欧州の富は植民地から来たものであり、これらの地の人々に欧州は負債を背負っている。作家は預言者や哲学者でなく、時代の証言者であるべきだ。そうしたメッセージを受賞スピーチで語りたい」と述べた。
▽菅野昭正・東大名誉教授(フランス文学)の話 ノーベル賞では10年以上前から名前があがっていた。人間の魂を損なう現代文明への批判から出発し、原始文明の豊かさを描くようになった。最近は先祖が生きた旧植民地の歴史に関心を広げている。文明批判的な姿勢は、文化人類学や、最近のポストコロニアル理論の研究者などからも共感を呼んでいる。
................................................................(引用おわり)
『ロンド』の解説の後半から引用して補足します。私のコメントは、それでゆるしてね。
P271
子供、女、外人――ことにこの項である外人、それも極貧の移民の悲惨な生活は、フランスに限らず西欧先進国におけるまさにアクチュアルな(現代の/私注)問題であるけれども、フランスの文学言語に表現を得ることが今までほとんどなかったものである。ル・クレジオにとっても新しいこの題材は、しかし、過去における中南米のインディオ――自らの土地において自らの国を奪われた人々――への、共同生活を通じての深い自己同一視によって支えられ、準備されてきたのであった。(「ダヴィド」において、兄のエドワールの顔が「頬骨の高いインディアンの顔」のようなものとして現われてくるのなどはその最も具体的なイマージュ(イメージ/私注)である。)
いっとき、新しい道を模索していてやや足踏みしていたようにも思われたル・クレジオは、こうして『砂漠』と『ロンド』によって、現代フランス語のもの書きたちのうちでも、最も柔軟でのびやかな言語の可能性を依然として失っていない一人であることを示していると言ってよかろう。
1982年 豊崎 光一(1935-1989)元学習院大学教授 フランス文学専攻
2008年10月10日(金)1時7分配信 毎日新聞
講演するジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオさん=東京都府中市の東京外国語大学で2006年1月29日、山本晋撮影 [ 拡大 ]
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【ロンドン町田幸彦】スウェーデン・アカデミーは9日、08年のノーベル文学賞をフランスの作家、ル・クレジオ氏(68)=本名・ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ=に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「新しい出発と詩的冒険、官能的悦楽の書き手であり、支配文明を超えた人間性とその裏側を探究した」と述べた。授賞式は12月10日、ストックホルムで行われ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円)が贈られる。
ル・クレジオ氏は英国人医師を父、フランス人を母として南仏ニースに生まれた。ナイジェリアで少年期を過ごし、英ブリストル大、ニース大で学んだ。1963年、23歳で発表した長編小説「調書」でフランスの著名な文学賞であるルノード賞を受賞。ゴンクール賞にもノミネートされ、華々しくデビューした。自我の解体と神話的な世界への志向を、豊かなイメージと奔放な語り口で描き出す特異な文学的世界で知られる。
短編集「発熱」(65年)に続く長編「大洪水」(66年)で、青年が万物の死の予感から太陽との合体による破滅に至る過程を叙事詩的に描き、現代フランス文学を代表する作家としての地位を確立した。
アメリカ先住民の世界に強い関心を持ち、中南米の密林で先住民と暮らした体験をもとにしたエッセー「悪魔祓(ばら)い」(71年)を発表した。
邦訳も多く日本でも人気が高い。06年には39年ぶりに来日し、東京外大で講演。その折に、作家の津島佑子さんと北海道を旅行し、アイヌの人々の話を聞くなどした。
ル・クレジオ氏は9日、ノーベル財団ウェブサイト編集長の電話取材に対し「欧州の富は植民地から来たものであり、これらの地の人々に欧州は負債を背負っている。作家は預言者や哲学者でなく、時代の証言者であるべきだ。そうしたメッセージを受賞スピーチで語りたい」と述べた。
▽菅野昭正・東大名誉教授(フランス文学)の話 ノーベル賞では10年以上前から名前があがっていた。人間の魂を損なう現代文明への批判から出発し、原始文明の豊かさを描くようになった。最近は先祖が生きた旧植民地の歴史に関心を広げている。文明批判的な姿勢は、文化人類学や、最近のポストコロニアル理論の研究者などからも共感を呼んでいる。
................................................................(引用おわり)
『ロンド』の解説の後半から引用して補足します。私のコメントは、それでゆるしてね。
P271
子供、女、外人――ことにこの項である外人、それも極貧の移民の悲惨な生活は、フランスに限らず西欧先進国におけるまさにアクチュアルな(現代の/私注)問題であるけれども、フランスの文学言語に表現を得ることが今までほとんどなかったものである。ル・クレジオにとっても新しいこの題材は、しかし、過去における中南米のインディオ――自らの土地において自らの国を奪われた人々――への、共同生活を通じての深い自己同一視によって支えられ、準備されてきたのであった。(「ダヴィド」において、兄のエドワールの顔が「頬骨の高いインディアンの顔」のようなものとして現われてくるのなどはその最も具体的なイマージュ(イメージ/私注)である。)
いっとき、新しい道を模索していてやや足踏みしていたようにも思われたル・クレジオは、こうして『砂漠』と『ロンド』によって、現代フランス語のもの書きたちのうちでも、最も柔軟でのびやかな言語の可能性を依然として失っていない一人であることを示していると言ってよかろう。
1982年 豊崎 光一(1935-1989)元学習院大学教授 フランス文学専攻