とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

ヒンドゥー教 ヒンドゥーきょう Hinduism 2

2006年12月02日 13時38分37秒 | 宗教・哲学・イズム
ヒンドゥー教 ヒンドゥーきょう Hinduism 2 
[生活]
 ヒンドゥー社会の基礎をなしているのは,先に言及した種姓制度,カースト制度であるが,そのほかにゴートラの制度がある。すべてのバラモンはある聖仙 (リシ) の子孫とされ,ゴートラはその聖仙にちなんで命名されている。同一の聖仙の子孫は同じ氏族に属するとされ,同一氏族同士の婚姻を禁じている。これは本来バラモンの制度であるが,王族,庶民にも受け入れられ,同一のゴートラに属するものの間の結婚を禁止している。他方カースト制度は族内婚を規定しているが, サピンダすなわち父の家系で 7 代,母の家系で 5 代以内の親族の間での結婚は禁じられている。個人の一生は,生活期の制度によって,理想的には学生期,家住期,林棲期,遊行期の 4 時期に分けられている。ヒンドゥー教徒の挨拶は一般に時間に関係なく,お互いに合掌して〈ナマス・テー〉 (〈あなたに敬礼する〉の意) という。男子のヒンドゥー教徒は,伝統的な人は今日でも頭頂に少し髪を残している。この髪をちょんまげのように束ねたものをシカー (またはチューダー) という。女性はクンクムと称する印を額につける。また寺院に参拝したときに,バラモン僧が祝福の印としてクンクムをつけてくれることがある。また男性はビャクダンまたはサフランの粉末を油で練って,煤を混ぜて黒色にしたティラクと称する印を額に付けることもある。伝統的には,とくにバラモンの高僧に会うときには,男子はドーティと称するインド服を,女子は 1 枚の縫目の無い布から作られたサリーを着用する。バラモンは非暴力の精神から菜食主義を守り,とくに牛の崇拝から牛肉を忌避する。ヒンドゥー暦は太陰暦であり,今日もなお宗教的目的に使われている。紀元にはビクラマ紀元 (前 58),シャカ紀元 (78), グプタ紀元 (320),ハルシャ紀元 (606) などがあるが,北インドではビクラマ紀元が最もよく使われた。
[儀礼]
 ヒンドゥー教では偶像崇拝が盛んで,毎朝,川や貯水池などで沐浴してシバ神などの神像を礼拝してから食事をする。ベーダの儀式はヤジュニャといわれるが,ヒンドゥー教の儀式はプージャー(供養) である。ちょうどたいせつな客人を扱うように,神像の座位を水で清め洗足を行い,花やベーテルの葉を供える。朝,音楽,ベルの音,ホラガイの音で神像を目覚めさせ,洗って後着物を着せ,花,花環,香,灯火で敬意を表し,食物を供え,夜には神妃のいる寝室に移す場合もある。ときとして神像の前でヤギなどが犠牲にされることがある。儀礼には念珠を用い,マントラ (神歌) が唱えられ,御詠歌に似たバジャンが熱狂的に歌われることもある。またヤントラという象徴的・神秘的図形が用いられ,卍 (まんじ) がスワスティカー (幸福の印) として使われ,儀式を行うためにマンダラ (曼荼羅) と称する一定の円形の場所を設ける場合もある。宗教的なめでたさ (吉祥) の象徴として種々の花が用いられるが,とくに蓮華はその代表である。ヒンドゥー教徒はまた聖地を崇拝し,聖地巡礼を行う。聖地は多数あるが,なかでも北のドバーラカー,西のワーラーナシー,東のジャガンナート,南のラーメーシュワラの四つが主要なものである。 インドには,無数といってよいほどの寺院があり,現在も造られつつあり,また僧院 (マタ) やアーシュラム (道場) もある。
 儀礼の中でも,個人の一生を通じて行うべきおよそ 40 にも達するサンスカーラと呼ばれる通過儀礼,とくに誕生祭,男子が正式にヒンドゥー社会の一員となる入門式,結婚式,葬式は重要である。家庭内の儀礼としては,家住期に毎日行うよう規定されている宇宙の根本原理ブラフマンのためにマントラ (真言) を唱えるブラフマン祭,いっさいの神々の供養を行うバイシュバデーバ祭,いっさいの生物に供物を与えるバリ供養,祖霊を供養する祖霊祭,客人を供養するアティティ祭という〈五大祭〉が中心をなしている。年間に行われる祭りの数は多数に上るが,代表的な諸神をまつる春の祭ホーリー(2 ~ 3 月),とくにベンガルで盛んなドゥルガー女神の祭ドゥルガー・プージャー (9 ~ 10 月),ラーマ王子が悪魔ラーバナを征伐した記念のダシャハラー祭 (10 月),灯火をともし,ラクシュミー女神をまつる灯火祭ディーワーリー(10 ~ 11 月) などが主要なものである。これらのほかに,ケーララ地方には収穫の祭オーナム,南インドの収穫祭ポーンガルなど地方的な祭りもある。またインド各地では音楽とともに《マハーバーラタ》などの聖典を読誦解説するハリ・カターやプラバチャナも行われている。
[伝播と現状]
 ヒンドゥー教は民族宗教的性格が濃厚ではあるが, インドの商人や移民とともにインドを越えて伝播していった。 インドの商人などが香料を求めてインドネシアのスマトラ,ジャワなどの島に行ったのは西暦紀元の初めといわれるが,今日ジャワ諸島に残っているボロブドゥールなどの多数の遺跡はヒンドゥー教や仏教の混交した当時の宗教を示唆している。またバリ島では今でもヒンドゥー教が信奉され, 200 万の信徒がいるという。おそらく 4 世紀ころからネパールのカトマンズ渓谷にヒンドゥー教と仏教の混交文化が発展し始め,現在のネパール王国はヒンドゥー教を国教としている。 またスリランカには総人口の 18 %を占めるヒンドゥー教徒がおり,その大部分は南インド,タミル・ナードゥ州からの移民であるといわれる。 1991 年の国勢調査によると,インド (バーラト) のヒンドゥー教の信徒数は,その総人口の 82 %に相当する 7 億 1434 万人である。
前田 専学
[音楽]
 ヒンドゥー教音楽は,バクタ (信仰者) によるバクティ運動 (バクティ) と称される,民衆化の動きに端を発している。このバクティ運動は,タミルの土地で早くから大衆の前にひらけ, アールワールと呼ばれる詩人たちの,ビシュヌ神に対する情熱的な信仰の表明として,タミル語で歌われた。これらはプラバンダprabandhaと呼ばれる。ベンガル地方では,チャイタニヤが現れ,ラーダーとクリシュナとの愛を主題としたキールタンK ̄rtanの歌によって多くの信徒を集めた。太鼓,シンバル,一弦琴などに合わせて自ら歌い踊る詠歌行進であった。北インドでは,神の唱名を繰り返す唱歌から発達したバジャンによって信仰が広められた。女流詩人ミーラー・バーイー(1498 ころ‐1563 ころ) は,シバ信仰の家柄に生まれたが,クリシュナへの信仰に篤く,神の前に座し,神に話しかける形の,地方語で書かれた詩はたいへん美しく,現在なお愛唱されている。また有名なトゥルシーダース,カビールなどもバジャンの音楽様式の発展に大きく貢献している。現在はキールタンもバジャンも芸術歌曲としての地位を占めているが,その根本は宗教歌である。
 ヒンドゥー教音楽としては,以上のアールワールのプラバンダ,キールタン,バジャンのほかに,一般に,ベーダ聖典に基づく典礼音楽である《サーマ・ベーダ》の詠唱もこれに含められる。いずれにせよ,インドの一般の生活においては,宗教と世俗との区別はつけられず,芸術音楽においても, バウルと呼ばれる吟遊詩人による音楽,民謡などにおいても,信仰の姿勢が保たれている。
島田 外志夫


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヒンドゥー教 ヒンドゥーき... | トップ | イスラム al‐Isl´m 1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

宗教・哲学・イズム」カテゴリの最新記事