とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

間質性肺炎(肺繊維症)

2007年09月09日 12時03分27秒 | 老人介護・心の不調・ストレス
 父からの手紙により、文字によって、83歳の母の病気の正式な名前を確認できた。「肺繊維症」だった。総称して「間質性肺炎」とよばれるものだった。

ネットで調べていたら190万人以上の人がアクセスしているすごいサイトがあった。

間質性肺炎ホームページ」より
《 間質性肺炎とは?

間質性肺炎(正確には、その中でも発生原因が不明な特発性間質性肺炎)は、国が難病として研究・調査の対象に指定した118の難治疾患(「特定疾患」と呼ばれています)の中の1つで、発病率は、一般的に10万人に5人程度と言われています。 ...
ipf-info.hp.infoseek.co.jp/what_is_IIP.htm

著者は医者ではないが、経験者で、この病気に関して情報があまりにも少ないのに気づき、個人的に情報を集めたのだという。非常に詳しく、大変参考になりました。

すみませんが、一部を引用させていただきます。

《私たちは肺で呼吸をしています。肺全体は非常に目の細かいスポンジ状の組織で、図1のような構造をしています。吸い込まれた空気は、気管支の末端の直径数ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ) の肺胞(億の単位、肺実質)という所まで入ります。この肺胞のまわりの壁の部分を間質と呼びます。この壁は非常に 薄く、その中には毛細血管が網の目のようにはりめぐらされていて、ここから酸素が吸収されます。酸素を吸収した 血液は心臓へともどり、そこから全身に供給されてゆくのです。》

《この肺胞の壁(間質)に炎症がおきる病気を総称して「間質性肺疾患」と呼んでおり、 この中でも、繊維化をおこしやすい病気を特に間質性肺炎とまとめて呼んでいます。 私たちが一般的に単に「肺炎」と呼んでいる疾患は、細菌やウィルスの感染が原因で肺胞の内部 (空気のあるところ)に炎症が起こります。この点が肺炎と間質性肺炎とが大きく異なる点です。

《胸部レントゲンをとると、肺胞に繊維がつまり機能が低下した部分は霞のようにもやもやとしてうつる》

 胸部レントゲンだけでは診断が不可能とのことで、CTその他の検査が必要なのがよく分かった。父に病院の呼吸器科へ行って呼吸機能の検査をするように言い、父も同感だとして、非常に混んでいて予約待ちで大変らしく、まだ全てが終わっていないが、行ってよかった。CTの検査もちゃんとしてもらっている。
このサイトの詳細な記事を読むと、思ったより大変な病気であることが分かってショックだろうと思うが、呼吸器の先生のおっしゃることがより深く理解出るだろうと、昨夜は記事の全てをプリントアウトをして、今、郵便でだしてきた。

 10月4日に病院へとびこんでから、必要検査を終え、最終結果を呼吸器科の先生から聞くのが11月15日だそうだ。

 それまで、知識を少しでも蓄えておくのに、役立つことを祈っている。
つらい現実を直視せねばならない。父のことだから耐えてくれるのを祈っている。

追記 1
06、11月15日
 父よりほっとした声の電話連絡あり。呼吸器の先生から、検査の結果、現在肺活量もあまり落ちていないので、このまま様子をみましょう、という話があったということだ。原因は分からず。生活上の注意事項なし。3ヵ月後にもう一回検査をしましょうということになったそうだ。

追記 2
07、3月19日
間質性肺炎の再検査は、本当は1ヶ月前に行われるはずだったが、暮れに母が、居間で転び、腰を打ち、脊椎の骨を3個つぶした。急遽、整形外科通いに変更になり
ましたが、ようやく快方へ向かったので、病院の呼吸器の再検査に1ヶ月遅れで行っってきたそうです。そして、確かに間質性肺炎だと診断がくだったそうです。原因もわからず、特効薬もないと、くりかえし言われたそうです。母は84歳にして、よくもまあ、宝くじに当たるような難病にかかったものだ。しかし、肺活量も落ちていず、進行もしていないので、このまま普通の生活をして、また3ヵ月後に再検査しましょうと、いうことになったらしい。見かけは、咳も痰も出ず、まったく普通です。疲れやすいのは、年のせいか、病気のせいか? 91歳の父は、母の介護と医者通いに奮闘している。
昔の人間は、自立心旺盛なので、われら子供たちは、なかなか手助けさせてもらえないのです。

追記3
07、6月9日
6月7日に、父が母を病院に、呼吸機能の再検査をしに連れていったとのこと。結果は、呼吸機能は96%(?)で、3ヶ月前と変わらず。年相応の呼吸機能で問題はなし。幸いにも進行はしていない、と言われたそうです。が、もう一度念のために、また3ヵ月後に再検査しましょうと言われたとのこと。普段の生活では、呼吸は普通で、咳も痰もなし。

昨年暮に転び、母のつぶれた脊椎の軟骨3個は、順調に治っているとのことで、一番痛いときは終わったが、まだかなり痛い。これからリハビリに、はいるとのこと。
 通院回数は、最初の何ヶ月かは1週間に1回、次の何ヶ月かは2週間に一回となり、6月に入ったら、診察(4方向からのレントゲン、痛み止めの注射、飲み薬、座薬、塗り薬をもらうというお決まりコース)は、月1回でよし、となり、そのかわり、リハビリをしなければいけないので、それは週1回来てくださいと言われ、父は疲労困憊。隣家の弟が「通院は限界だから、訪問リハビリを頼んだら?」と提案し、今後は、それを頼むことにしたとのこと。
 父は息子夫婦に頼らず、自分で、母の2つの病気のためにタクシーを頼んで通院し続けてきた。ご苦労様。
 母の認知症は、落ち着き、忘れっぽいが、結構元気にほがらかに会話ができる。ディケアは週3回通い続けている。ディケアに通うようになってから、ほがらかになった気がします。朝、ディケアに通う支度と洗面、朝食には、弟が手をまわし、1時間半、訪問ヘルパーさんにきてもらうことにした。なんでも自力でこなそうとする父は、最初は嫌がったり不安がったりしていたが、ヘルパーさんが明るく接してくれ、手助けをしてくれることに慣れ、今では、とても喜んでいる。
 母は、間質性肺炎、脊椎骨折、認知症。父は昨年は「せんもう」にかかり入院。こういうのを、同時多発テロと言うのではないだろうか?
 5月26日に帰郷したら、両親とも、今の環境に慣れ、テロの山場は過ぎ、健康的な精神で、落ち着いた静かな生活を送っていました。

追記 4
07、9月5日
 父からの報告。呼吸器における3ヶ月後の追検査をしてもらった結果、全く進行していないので、もう検査に来なくともいい。今後は、普通の成人病検査でいい、また指摘された時に来ればいい、ということになったそうです。咳、痰、息切れなどは、確かに無い。ただ、「疲れた」というセリフは、よく吐きます。肺繊維症のほうは、ひとまず一件落着となりました。
  ただ、歩行困難のほうが進行しているように思えます。前回転んだ腰痛は、しぶとく残り、リハビリにはいっていましたが、07、 8月15日に夜中にトイレに行こうとして、また転び、今度は7番目の脊椎の圧迫骨折をしたそうです。が、前回ほどひどくなく、1週間でもう通院しなくとも良いと、言われたそうです。
 夜中のトイレは、あぶないですね。父はポータブルのトイレをベッドの傍に置き、夜はそれを使用するように言い、実行していたそうですが、つい目を離したすきに、母は寝ぼけて起きて、普通のトイレに行こうとして起きた事故のようです。
  コムスンで訪問リハビリ、ディケア、朝のヘルパー派遣を頼んでいたのでどうなったかと心配をしていたのですが、新潟は支障なくサービス継続が行われているということで、ちょっとほっとしましたが..........むむ、気持ちが休まる暇がない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 台風が まだいる | トップ | 転載:我が家を離れて・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

老人介護・心の不調・ストレス」カテゴリの最新記事