脳腫瘍で死去した元阪神・横田慎太郎さんの父、声詰まらせ「選手たちがここまでしてくれるとは…」

歓喜の輪に加わった横田慎太郎さんのユニホーム「24」(14日午後8時53分、甲子園球場で)=吉野拓也撮影
歓喜の輪の中で「背番号24」のユニホームが、仲間たちの手で宙を舞った。今年7月に脳腫瘍のため28歳で死去した元阪神・横田慎太郎さんが現役時代に着ていたもの。横田さんの両親が、同期入団の岩貞祐太投手らに託していた。鹿児島県日置市の自宅でテレビ観戦した元プロ野球選手の父・真之(まさし)さん(60)は「息子は仲間、ファンに恵まれ、いい野球人生を送れた」と声を詰まらせた。 【写真】引退試合後のセレモニーで当時の矢野監督から花束を受け取り、感極まる横田さん(2019年9月)
横田さんは、鹿児島実業高から2014年にドラフト2位で入団し、16年の開幕戦で一軍デビューした。強肩強打の大型外野手として活躍が期待されたが、17年の春季キャンプ中に脳腫瘍が判明。抗がん剤治療などを受けたが、低下した視力が戻らず、19年に引退を表明した。
表明後に行われた二軍戦の引退試合。ボールもほとんど見えない状態だったが、中堅を守った横田さんは打球をキャッチし、ノーバウンドで本塁に返球して走者を刺してみせた。このプレーは「奇跡のバックホーム」と呼ばれた。
真之さんによると、横田さんは20年夏に脊髄への転移が判明して入院。重病患者との交流や講演を続けながら、阪神の活躍やファンからの応援を心の支えにしていたという。
「横田の思いも背負っていこうと思った」。この日、同期入団の岩崎優投手は、横田さんが試合の登場曲で使ったゆずの「栄光の架橋」を背にリリーフのマウンドに上がった。最後のバッターを打ち取り、岩崎投手は横田さんのユニホームと共に胴上げされた。
横田さんに代わって、歓喜の瞬間を見届けた真之さんは「選手たちがここまでしてくれるとは思わなかった。息子は、みんなと一緒に甲子園で喜んでいるはずだ」と語った。