とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

悲しみのカミーユ・サン=サーンス

2006年12月03日 07時36分08秒 | 老人介護・心の不調・ストレス
「僕のこと、ブログに書いてもいいよ。こんなヤツもいるんだってこと書いて」


そう言ったので、書かせていただきます。

若者は、あれから、ついに入院した。
心をパンクさせる人は多い。それは、まったく他人事ではない。

私は、若者が置いていったカミーユ・サン=サーンスを悲しみをもって聴いていた。しかし、音楽オンチの私には、まだサン=サーンスの論理性、リアリズムとやらが、さっぱり分からない。

どうしているかと心配していたが、突然、昨日、元気な声で、玄関にあらわれた。

予後の治りがよくて、外出許可をもらえるところまできたのだそうだ。床屋へいくといって許されたので私のところへ寄ったのだそうだ。

「強制入院でした。でも医者も、このくらい治れば任意入院に切り替えてもいいなと言っています。はじめは個室でしたが、今は6人の大部屋に移りました」

この、自分の有様を正面から直視する態度が立派だ。

若者は、私の次男と同年齢である。このくらいの年齢になると、なかなか手ごわい。

彼は、中学の頃から音楽が大好きで音楽に非常にくわしい。あとフランスについても詳しい。聖書も詳しい。注意をしながら対話をしなくてはならない。

「ああ、久しぶりの娑婆の味です。外出をすると気分がいいですね。」

私は、入院することは予期していなかったので、直前に浜田省吾のCDを1枚貸していた。

「浜田省吾は、本当は聴かないで返そうと思っていたのですよ。(それどころの様態ではなかったらしいから)。でも、父親が、せっかくお貸しくださったのだから、ちゃんと聴いてお返ししなさいと言いました。あと僕の留守に友達が僕の部屋に入ったらしく、浜田省吾の歌詞を全部書いていってくれて、浜田省吾は、20代、30代と人気がひろがっていることも書いていってくれた。それで入院する時に、CDとCDプレーヤーをもちこんだんですよ。浜田省吾を持っていって本当によかった。感激しました。そして、僕はクリスチャンになろうと思っているので聖書も持っていきました」

なにげなく貸した浜田省吾のCDが、そんなに効力を発揮していたとは知らなかった。音楽好きの彼の心に響くものがあったのだろう。あとは、医療の力、家族の支援の力だろう。

どんな状態になろうとも、人間は人間なのだ。人は、本当は弱くて、素朴でいじらしいものだと思っている。もちろん悪人も確かにいるけれど。

浜田省吾が、彼の心をうったというのは、少しも不思議ではない気がする。

芸術という、このわけもわからないもの、文学、音楽、絵画といったものの発揮する大きな力は、すごい。精神科医も顔負けの特効薬だ。春日武彦も確かそんなことを言っていたような気がする。芸術の持つ力には負けると。

「パンジーは3月頃からふくらんでくるわよ。あなたのカラーだらけになるわよ」
「楽しみだなあ。植えたのは、ほとんど僕だからだなあ」
「そう、重たいものは全部あなたに運んでもらった。プランターに百鉢のパンジーを並べたのも、あなた。でも、穴を掘って植え込んだのは、私よ」

「では、床屋へ行ってきます。また来ます」

心がパンクすると、治癒には非常に時間がかかるだろう。ゆっくりと構える必要があるだろう。でも、その苦しみの果てに、成長した「自分」、苦しみを乗り越えたという達成感が待っており、「真の自尊心」を獲得するだろう。苦しみぬくということは、とても大切だと思う。正直、苦しいけれどね。少し難解そうなものにかかっているらしいから、完全治癒できるものであることを祈っている。

これから、紆余曲折は、あるだろうが......

おっと!自分や、自分の息子たちの方が、しっかりしなければならない。ああ、苦しい。
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