昨日の夜は、アニメーション映画『天気の子』のDVDを観ていました。
2021年(令和3年)6月。
神津島で暮らす高校1年生の森嶋帆高は家出をして、東京にやって来た。
フェリーで知り合ったライターの須賀圭介の元を訪ねて、彼の下で働き始める。
彼の仕事の中で一時的な晴天を呼ぶ「100%の晴れ女」の都市伝説の話を聞く。
その夏の関東地方は、異常気象により長期間にわたって雨の日が続いていた……。
作った側は、ラストの一番盛り上がるシーンの主人公の台詞を描きたかったということなのでしょう。
この物語の原型と呼べるお話は世界中に無数に存在しているのですが、このお話は原型と呼べるお話から構造が大きく変化しています。
あの台詞を主人公に叫ばせる為に、原型となるお話の構造から逸脱させたのでしょう。
ただ、あの台詞は、胸を打たれる人とどん引きする人に分かれるのでは?
ちなみに私はどん引きしました。
主人公は物語の最初から延々と間違い続けます。
判断を間違え決断を間違え続けます。
間違えを間違えだと気づきません。或いは間違えを認めません。
でも、高校生なのだから仕方ないっすよ。
ヒーローはこの世に存在しない。世界を変える力を持っている者がいるとしてもその人は世界の命運を独りで背負う義務はない。ただし個人的にはヒーローもヒロインも存在する。そんなお話です。
気になるのはヒロインの意思や決断を主人公が無にしてしまっていること。
それでよいのでしょうか?
あれだけの決断をして実行したヒロインが、主人公が迎えに来たら即座に全てを無かったことにしてしまうということはあり得るのでしょうか?
面白かったですよ。
楽しめました。
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