以下の文は、クーリエ・ジャポンの『「どれだけ軽い症状でも、新型コロナだと考えて行動を」 それでも検査に行きますか? 医療崩壊の迫るNY救急医が警告』と題した記事の転載であります。
『「どれだけ軽い症状でも、新型コロナだと考えて行動を」 それでも検査に行きますか? 医療崩壊の迫るNY救急医が警告』
アメリカでは新型コロナウイルスの感染者が40万人を超えた。
そのうちの約15万人を占めるニューヨーク州では4月8日、24時間の死者数が過去最多の779人に上った。
医療崩壊寸前の現場で働く医師たちは、最善を尽くしても次々と失われていく命を前に、心身ともに疲弊しきっている。
そんななか最前線に立つひとりの医師が、米誌「アトランティック」に手記を公開している(3月27日付け)。
彼がどうしても市民に理解してほしいと訴えたことは──。
『他国の警告を聞かず、NYは地獄と化した』
救急科の待合室では、発熱して不安を抱えている150人の患者が待っている。
そのなかにはただ検査を受けたいだけの者もいれば、治療を求めている重症患者もいる。
よほど危険な状態でない限り、彼らは6時間から10時間待たなければ診察を受けられない。
入院するためのベッドを確保するには1日以上かかるのが現状だ。
私は救急医だ。
普段はマンハッタンとクイーンズの両方で診療しているが、今はクイーンズにつきっきりだ。
ここでの仕事を私は愛している。
私たちはニューヨーク市でもっとも弱い立場にある保険未加入者を診察していて、その多くは基礎疾患と言葉の壁を抱えており、プライマリ・ケア(かかりつけ医が提供する医療など)を欠いている人々だ。
そんな我々がいま、苦境に立たされている。
見てきたなかで最悪な状況だと、ベテランの医師さえも言う。
感染者数の推移グラフは少しずつでなく、爆発的に上昇したのだ。
私たちはもはや圧倒されている。
ニューヨークにはこのパンデミックに立ち向かう準備期間があった。
しかし、それをみすみす逃してしまったのだ。
まず中国がイタリアに警告し、イタリアは私たちに警告した。
それなのに、私たちは聞く耳を持たなかった。
こうなってしまったからには、アメリカ全土がニューヨーカーの声に耳を傾けるべきだろう。
国中の人々にとって今回のウイルスは「目に見えない脅威」かもしれない。
だがここニューヨークのER(救急救命室)では、その脅威が恐ろしいほど目に見えている。
『発熱と咳だけでは検査を受けられない』
急ピッチで組み立てられた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の病棟ユニットで、ガウン、フェイスシールド、3重にした手袋、そしてN95マスクを着用し、私たちは働き続ける。
冷えたピザとコーヒーを流し込む休憩時間以外、12時間はこの状態が続く。
それに、普段は新しい患者が来るたびにマスクを替えているが、いまは違う。
十分な量がないため同じマスクを使い回しているのだ。
マスクと鼻が触れる部分は乾き、ひび割れ、出血寸前である。
それでも、この病院には私たちを守ってくれるマスクがあるだけ、まだ幸運なのかもしれない。
私のもとに来る患者の多くは、「専門的な医療支援が緊急に必要な場合を除き、家にいるように」とのメッセージを、正しく理解していないように思える。
発熱と咳だけでは検査を受けられないのだ。
私にできることは、退院の書類と「新型コロナ感染を防ぐ方法」をプリントアウトしてわたし、他人との接触を自粛するように伝えることぐらいだ。
しかし来院前は感染していなかった人も、ここへ来たせいで感染しているかもしれない。
病院に入った時点で「10人程度の集団は避けるべき」というルールを、すでに破っているのだから。
私がこうした仕事をしている一方で、同僚は酸素濃度が低下している重症患者や、ほとんど話すこともできず、人工呼吸器を必要とする患者の世話をしている。
『「人工呼吸器の共用」もやむをえない』
この病院では人工呼吸器がとにかく不足しており、CPAP(シーパップ)という呼吸補助装置を使って、患者の気道へ空気を送りこむ処置をとらざるをえなくなりつつある。
感染状況が今ほどではなかった3月初旬までは「CPAPはウイルスをエアロゾル化(飛沫より小さな粒子となり、空気中を一定時間浮遊できるような状態になること)させ、医療従事者の感染リスクを高めるので危険だ」と言われていたのだが、使うことになるかもしれない。
いずれにせよ現在、私たちは驚くほど大量の挿管をしている。
人工呼吸器はほぼすべて使用されており、ICU(集中治療室)はすでに定員を超えた。
余力がある病院から人工呼吸器を譲り受けているが、その場しのぎにしかならない。
ラスベガスの銃乱射事件(2017年に起きた無差別乱射事件。
自殺した容疑者1名を含む59名が死亡した)が発生した際は、数十人の外傷患者が人工呼吸器を共用していたと話題になった。
しかし今のような非常事態において、こうした使い方を想定しているのは当院だけではないはずだ。
患者が人工呼吸器を共用するようになる日は近いだろう。
とはいえ、新型コロナ患者は肺が非常に危険な状態にあり、ベント(通気口)を共用すれば両患者をさらに危険な状況に陥れるかもしれない。
にもかかわらず、最後の手段として、私たちはこれを実現する方法を研究しはじめているのだ。
どちらにせよ、人工呼吸器を共用する以外の選択肢が来週にはなくなっているかもしれない。
私たちが送り返した健康な数百人の患者たちが、呼吸不全で一斉に病院に戻ってくるかもしれないのだから。
『健康だった人まで次々に命を落とし…』
今週の水曜日、1週間前に退院した患者の名前が病院内に掲示されているのを見て、私の心は沈んだ。
50歳を目前に控えていた彼は過去の病歴がほとんどなく、元気そうに見えた。
そんな彼が、今は呼吸をするのも困難な状態になっている。
胸部X線検査の結果を見て確信した。
新型コロナウイルス感染症だ。
私は彼を入院させ、酸素、心臓モニター、ベッドを用意しなければならなかった。
また先週、透析を受けている高齢の女性を診察した。
彼女は軽い咳をしていたが、バイタルは正常で発熱もしておらず、胸部X線検査でも異常は検出されなかったので家に帰すことにしたのだ。
しかし迎えが来る前に、彼女は38.8度の熱を出した。
年齢と、彼女が抱える複雑な病歴を考慮し、入院が必要だと判断された。
次の日の夜、私の前を通り過ぎるストレッチャーの上に医師が乗り、患者の胸部圧迫をしている場面を見かけた。
その患者の死が宣告され、名前を知ったとき、信じられなかった。
前の晩まで私の患者だったあの女性だったのだ。
彼女は病棟のベッドに入る前に心停止に陥り死亡した。
私が初めて目にした新型コロナ陽性者の死。
あの日以来、その数は増え続けている。
『「病院には来ないでほしい」』
数日前、ついにFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)が危機を救うために到着した。
検査キットや呼吸器、そして増え続ける死体を安置するトラックのような遺体安置所を持ってきたのだ。
だが果たして、これだけの支援で十分なのだろうか。
私も同僚たちも無力感に苛まれ、このパンデミックについて毎晩議論している。
すでに私たちの何人かは病気になりつつあり、現実は刻々と変化しているのだ。
トリアージによる選別方法は毎日変えている。
そして日々、マスクが無くなるかもしれない恐怖とも戦っている。
考えていることはたくさんあるが、恐ろしさのあまり口には出せず、ただ業務を遂行しているのが現状だ。
この記事を読んでいるあなたに、私の患者になってほしくない。
アメリカのどの病院にも行ってほしくない。
必要不可欠な食料や物資の調達以外で、外出してほしくない。
入院する必要がない限り、新型コロナウイルスの検査を受けてほしくないのだ。
最前線にいる我々にとって、患者が新型コロナであろうがなかろうが、できることに変わりはない。
問題は、健康なスタッフ、保護キット、ベッド、そして人工呼吸器が不足していることなのだ。
検査のため鼻に綿棒を突っ込んで診断を下したとて、何も変わらないところまで来てしまっている。
どれだけ軽くても、症状が出ている場合は新型コロナであると考えてほしい。
家にこもり、手を洗い、医師に連絡しほしい。
熱や咳があるからといって救急外来を受診しないでほしい。
検査を受けたからといって、自宅での安静をすすめることに変わりはないのだから。
病院に来ることで、確実にウイルスを持っている人に接触する機会が増えるだけだ。
社会的距離をおくことの重要性に、ニューヨークは気づくのが遅すぎた。
だが他の都市では、思いきった対策をとることで、ニューヨークと同じ状況になることを防げるかもしれない。
最悪な状況のなか、病院の医師たちは昨日、やっと良いニュースを受けた。
新型コロナウイルスの患者が2週間の闘病の末、人工呼吸器を外すまでに回復したのだ。
ICUにいる我々にとって、そして患者本人にとっても、新型コロナウイルスに勝利した初めての瞬間だった。
転載終わり。
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