狐の日記帳

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『宇喜多の楽土』/木下昌輝

2020年05月16日 22時59分09秒 | 小説・本に関する日記
 昨日の夜は、木下昌輝の小説『宇喜多の楽土』を読み返していました。

 父親である宇喜多直家の死により、秀家は宇喜多家を継ぐ。
 日本を統一しようかという勢いの織田家は織田信長の横死で重臣達が主導権争いをしている最中。
 宇喜多家は、西の毛利家から圧迫を受けていて織田家の主導権争いを制しつつある羽柴秀吉を頼りにしている。
 しかし秀吉と毛利家は同盟締結を考えているという情報が宇喜多家に入る。
 秀吉と毛利の同盟が結ばれると、宇喜多の領土は毛利に与えられることになる可能性があった。
 秀吉との会見に臨んだ数えで11歳の秀家はそこである人物と出会う……。

 宇喜多秀家の義を描いた小説です。




 私が暮らしている倉敷美観地区周辺の多くは昔は海でした。
 なので倉敷には海に関係する地名が多く神社も海の神様を祀る神社が多いです。

 倉敷美観地区周辺から瀬戸内の海岸線まではそこそこの距離があり、安土桃山時代から始まった干拓事業で干拓された土地は広範囲です。
 かつては海岸線はもっと北にあり、昔の倉敷美観地区周辺は陸地もあったでしょうが小島が点在する海で、岡山の中心地は今の岡山市や倉敷市ではなくもっと北にあったということになります。

 岡山の中心地である岡山市は宇喜多氏が本拠地としたことで発展をはじめました。
 倉敷市も宇喜多家の干拓事業をはじめたからこそ今の繁栄があります。

 宇喜多家の改易で宇喜多家が治めていた地はバラバラに分割されました。
 それ故に岡山県は県民がまとまるシンボルが少ない地となりました。
 旧吉備王国の地は常に権力者達によってバラバラに分割されて相互に監視し合う体制にさせられてきたと言えます。


 
 宇喜多秀家は、秀家の父親・宇喜多直家のような恐ろしい智謀で畏れられるような人物ではなく、心優しき貴公子。
 父親の真の理想を受け継ぎ、領民を想い、幼い頃から兄弟のように育った秀吉の養子達を想い、前田利家の願いを受け継ぎ、秀吉や家康と対峙する。
 時代の流れに抗った宇喜多秀はどうなるのか?
 結末は史実から分かっています。
 その結末にどのようにして至ったのか? を描いています。

 面白いですよ。
 お勧めであります。



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