或る夜の事。
狐は先輩と一緒に或るパブリック・ハウスのカウンター席に腰をかけて、絶えずミルクを舐めてゐた。
狐は余り口をきかなかつた。
しかし先輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。
「御酒には媚薬効果があるというけれども媚薬効果ではなく脳内の様々なリミッターを酒精で麻痺させているに過ぎない。酒精によって人は普段は抑えられている欲望が剥き出しになつてしまふだけなの」
先輩は頬杖をした儘、極めて無造作に私に述べた。
「つまり、人は基本的にはすけべえであるといふこと」
左様でございますか。
「うむ。一年中発情している動物なんてとても珍しいの」
そうなのですか?
「うむ。ところで私はお水が欲しいの。君、マスターに頼んでお水を貰つてきてくれ給へよ」
狐は、マスターにチェイサーを頼み、ついでに自分用にカルーアを注文した。
「うむ。此処にお水が入つた割賦がある。私は大変に酔つている。お水を飲もうにも零してしまいそう。君、私にお水を飲ませておくれ」と先輩は目を潤ませて云つた。
そんなに酔つているやうには見えませんが?
「む。君は私の言葉を疑うのかね?」
否ですよ。疑つたりはしません。
「では私にお水を飲ませ給へ」
狐は割賦を捧げ持つて先輩の口元に寄せた。
「違う違う違う! 口移しで頂きたいの! 口移しで!」
む。酔つているふりをすれば何でも要求が通ると思つていませんか?
「ちよつと思つておりまする」先輩はにへらと笑つた。「口移し! 口移し!」
断固拒否します!
狐は、割賦の中でカルーアとホットミルクと混ぜ合わせてカルーア・ミルクを作り、舐めた。
私の言葉は先輩の心を知らない世界へ神々に近い世界へと解放したのかもしれない。
先輩は言つた。「いけず。私のことが好きなくせに」
先輩は勘違いしている。それとも勘違いをしているのは私なのか?
狐は何か痛みを感じた。が、同時に又歓びも感じた。
人の考えとはわからぬものであるな。面白ひものだ。
其のパブリック・ハウスは極小さかつた。
然しパンの神の額の下には赫い鉢に植ゑたゴムの樹が一本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。
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