狐の日記帳

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自分の主義を守るために政党を変わる者がいる。自分の政党を守るために、主義を変える者もいる。

2020年07月10日 16時18分20秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラネットの河井 あんり氏の『旧民主党はどうしてこうなっちゃったか』と題した記事の転載であります。


旧民主党はどうしてこうなっちゃったか
2018年09月01日 06:00
河井 あんり


 自民党総裁選、というより、石破茂氏のマジメにオモシロ言動ばかりが注目されて、日本国民はすっかり忘れているようだが、国民民主党でも代表選が行われているらしいのである。
 私も実はこの記事書くまで詳しいことは全く知らなかった。
 9月4日らしいよ、投開票が。
 まぁ、仕方ない。
 現職が数十人いるのに支持率ゼロパーセントだもんなあ…。
 柚木議員が理由つけて逃げ出したくなる気持ちも豈図らんや、である。
 きっとみんな、虎視眈々と離党の理由を探しているのだろう。
 それにしても、代表選をなんで自民党総裁選にぶつけちゃったかな、メデイアで埋没するのは分かってるのに。
 それより、旧民主は立憲にしろ、国民にしろ、無所属の会にしろ、どうしてこうなっちゃったか、である。
 実は私は、旧民主の代表選で、ただ一度だけ、感動したことがある。
 2010年、小沢一郎氏が政治生命をかけて、陸山会の問題とかを抱えながらも立候補をした、あの戦いである。
 私はつい最近、小沢一郎の立候補表明を再度読んでみた。

 民主党というところは子供っぽい政党で、代表選一つするにしても、候補者の演説を聞いてから誰に投票するか決める、みたいな青臭いことをみんな平気で言う。
 それがしがらみのない政治だという。
 もうそこで、政党としてのアイデンティティや政治的センスが問われているわけであるが、あの当時、みんな、小沢一郎と対抗馬の菅直人氏の演説を、本気で耳をダンボにして聴いたんだろうか。
 いま、この記事を書くにあたって、別に読みたくもなかったが、一応当時の菅直人氏の政見も読んでみた。
 オープン、とか、クリーン、とか、どこかの自民党総裁選を彷彿とする、小沢一郎をあてこすったあまりにも軽い内容である。
 一番笑えたのが、最後に「官邸主導」を掲げていることだ。
 「官邸主導、政治主導を徹底するために、予算は総理大臣が直接指導して決めます」、だって。
 同じことを安倍総理が発言したら、それこそ野党もメディアも、ヒトラーの再来、とか言って総攻撃するに違いない。

 結局、この代表選で、小沢一郎氏は230票もの大差をつけられ敗北し、菅直人政権ができたわけであるが、当時民主党に属していた国会議員の皆さんは、本当に菅直人の演説を聴いて投票態度を決したのだろうか。
 私は別に小沢一郎のシンパじゃないし、民主党から派生した立憲や国民民主がどうなろうと殆ど関心がない。
 支持率一桁だし。
 でも当時の民主党内に小沢一郎のあの、口下手で訥々と一言一言を選びながら行った、一世一代の演説を聴いて心を震わせなかった国会議員が数多くいなかった、というのは問題じゃないか。
 私は生粋の自民党だが、小沢の演説を聴いて、ああこの人は、少なくとも理念と哲学のある人だ、と思った。魂の声だ、と思った。
 そして、陸山会問題であれほど叩かれていても代表選に勝負をかける、政治家としての打算と生き方にある種の感銘を受けた。
 しかし結局、民主党の国会議員は、メディアと、メディアの煽る世論に負けたのだ。
 今の野党議員のメンタリティと全く同じだ。
 その意味で、彼らは全然成長していないと思う。
 その時々の国民世論の動向、目先の支持率、そんなものに振り回されて、自分や政治的理念というものがない。
 だから支持率が一桁なのだということを、まるで理解していない。

 そもそも、民主党が自民党から政権を奪えたのだって、自民党のオウンゴールみたいなところもあるが、最大の理由は、当時の民主党が、第二自民党だったからだ。
 表に出ていた人たちは、小沢一郎をはじめ、鳩山由紀夫、岡田克也、と、「ザ☆自民党」みたいな人たちばかりだった。
 そこに、自民党が55年体制から延々と政権に就き、自民党自身が官僚組織の一部みたいになり、経済は低迷したままだった。
 小泉政権のときに金融機関の債務の整理は実現したが、強力なデフレ、実質賃金の上昇は叶わなかった。
 そこへ、党所属の政治家、霞が関のスキャンダルもあった。
 国民は、第二自民党を探していた。
 小沢一郎といえば、40代という若さで自民党幹事長をやりおおせた、最も自民党を体現する男である。
 しかしやりすぎた。
 国民世論における小沢支持は急落し、国会議員はそれに引き摺られるかたちで、市民活動家上がりの菅直人に投票した。
 その後の民主党の転落は説明するまでもない。

 もしあのとき、民主党が小沢一郎を代表に選んでいたら、いまの自民党はなかったかもしれない。
 東日本大震災はきっと彼の剛腕により霞ヶ関あげて、早急に対策が打たれたろう。
 なんたって被災したのはご自身の地元・岩手県である。
 少なくとも、パフォーマンスで原発を見学に行き、国民の面前で現場を怒鳴りつけるようなことはしなかったろう。
 東北大震災へのあの対応が、民主党政権に決定的な終止符を打った。

 私自身は、国民の一人としては、旧民主所属の国会議員の殆どは、自分というものが全くなかったように思えた。
 だいたい、立候補表明を聴いてから投票態度を決めます、とか言っておきながら、小沢一郎の名演説に共鳴しなかった彼らに理念などあるわけがない。
 そしていま、民主党はご存知のように分裂し、極左である立憲と、中道保守をめざすというかなり迷走している国民民主と、どこにも入れてもらえない岡田グループに分かれてしまった。
 それでも野党共闘を目指すという。
 三者を結びつける唯一の生命線は、「連合票」と、民主時代にプールした「政党助成金」だけである。
 残念なのは、それが有権者にすっかり見透かされていることだ。

 小沢一郎を葬ったのは、日本にとって、不幸だったのかどうかは分からない。
 けれども自民党にとっては、最大の強敵、目の上のタンコブを、党内で引きずり下ろしてくれたことは、最大の幸運に繋がったと言えるだろう。
                                転載終わり。




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