おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その2。矢野口の渡船場跡。多摩川原橋。都県境は多摩川を下る。海から(まで)28K.

2023-04-27 18:38:22 | 都県境を探る

右に折れて進むと、「渡船場跡碑」。

       

矢野口の渡しは矢野口と調布を結ぶ渡船場で矢野口村と菅村で運営されていた。渡し場は多摩川原橋のやや下流にあった。昭和10年の多摩川原橋の完成で下菅の渡しと統合され菅の渡しとなった。矢野口の渡しは新田義興が謀殺された矢口の渡しとする説もある。

※多摩川にあった渡し場

 川に橋を架けるということは、近代以前では大変難しく、有力な街道の渡河点でも橋がなく、多くは渡し舟によっていました。
 1600(慶長5)年に東海道が多摩川を渡る六郷では、長さ120間(約218m)の六郷大橋が架けられましたが洪水のために何回も流れ去り、一時仮橋の時代があったものの、結局明治7(1874)年まで六郷の渡しとして橋のない状態が続きました。また、甲州街道の日野の渡し、日光街道の拝島の渡しのほか、大山街道の二子の渡し、津久井往還の登戸の渡しのような脇往還の渡船場も発達していました。このように主に旅人がわたる渡船場が多く、また発達していたことが江戸に近い多摩川の渡船場の特徴であったといえます。しかし一方で、多摩川で最後まで残った菅の渡し(昭和48年廃止)などの生産物の出荷や対岸の田畑耕作に主として利用された作業渡しがあったことも忘れてはなりません。
(参考文献:「多摩川誌」建設省京浜工事事務所)

(この項、「」HPより)

通りの反対側にある緑地は、川崎市。

多摩川の土手に上がります。

                        左手・上流にある「多摩川原橋」。

東京都道・神奈川県道19号町田調布線鶴川街道)を渡す。右岸は稲城市、左岸は調布市である。右岸下流は200m足らずで神奈川県川崎市に入る。旧橋は1935年(昭和10年)に架けられた。現在の橋は、旧橋の老朽化と交通量の増大のために架け替えられた。2車線の橋が上流側に1998年(平成10年)に、下流側に2006年(平成18年)に完成し計4車線を通す。上流側には多摩川原水道橋が架かる。

下流を望む。

                                            都県境は、右から左へ。

この先、都県境は90度曲がり、多摩川が都県境となり、河口まで続きます。

稲城市方向を望む。

ここからは、左岸(東京都側)を歩くために、「多摩川原橋」を渡ります。

赤い線が都県境(右から左へ)。

ただし、多摩川両岸の真ん中をたどるわけではなく、河川の中をけっこう屈折しています。(赤い線)

この付近の今昔。

                     2010年代のようす。線路は、JR南武線。

                     1880年代のようす。「矢野口の渡し」がある。

アーチ橋は、水道橋。

すぐ河原には下りられず、少し上流を回り込んでから、河川敷の遊歩道に。

「多摩川原橋」。

「よみうりランド」方向(↓)。

「多摩川左岸 海から28K」。いよいよ河口を目指します。

コメント
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