おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。その27。上毛電鉄。その4。

2023-08-26 13:49:37 | ローカル鉄道

電車です。ワンマンカー。

一面、太陽光パネル。

「SUNAGA」。

改修中の壁沿いに。

                  かつての電車のミニチュア?

「大胡(おおご)」。

        

           開業時からの駅舎、構内には変電所、車両検修所などが併設されている。

           平成23年7月1日 パーク&ライド駐車場および駅前ロータリートイレ一部リニューアル。

           国の登録有形文化財に登録。

 車内風景。

             

左手に赤城山。残念ながら雲の奥。

道路はどこも舗装整備されています。

              

             どこの地域も、「自動車社会」になっているのですね。

「樋越(ひごし)」。

「北原(きたはら)」。しばらく無人駅が続きます。

稲。

トウモロコシ畑。

「新屋(あらや)」。

              

粕川(かすかわ)」。           

  • 平成16年11月30日 現駅舎新築。粕川村村長他、多数出席のもと開所式を開催。

            

「膳(ぜん)」。

この駅までは前橋市でしたが、この先の駅は、桐生市、みどり市になります。

「新里(にいさと)」。

  • 開業時は武井駅で昭和23年5月1日、300m中央前橋方面に移設し駅名変更。
    昭和24年4月15日 停車場に改良。
    平成10年3月27日 現駅舎営業開始。

          

「新川(にっかわ)」。

             森と田畑と、住宅と。

    

「東新川(ひがしにっかわ)」。

        

次の駅が「赤城駅」で、東武鉄道の特急「りょうもう」が発着(浅草~赤城)する駅。       

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ローカル私鉄の旅。その26。上毛電鉄。その3。

2023-08-24 18:44:18 | ローカル鉄道

雲に覆われて、残念ながら赤城山の裾野のみしか見えません。

「上泉駅」を過ぎると、「桃ノ木川」を渡ります。

※「桃ノ木川」

群馬県前橋市、その中央部に桃ノ木川が流れている。一見、赤城山を源流とする自然河川と錯覚するが、実は利根川を分流する農業用水路である。その水源は昭和村の綾戸ダムであり、渋川市の佐久発電所に導水して電気を起し、その放流水を桃ノ木川と広瀬川に取り入れている。

 したがって広瀬川も桃ノ木川と同じ兄弟川である。この二つの川は、前橋市の北部で「広桃用水制水門」のゲートで分流されて、それぞれの役目を果たす旅に出る。それぞれの特徴を考えてみよう。まず桃ノ木川は最初から農業用水として前橋市東部の広大な田園を潤し、両毛線の駒形駅近くで広瀬川に合流する。川の長 さはたったの15kmにもかかわらず、その間、幾筋もの分水・合流を繰り返し、赤城山からの自然河川をもあわせて、その存在感は侮れない。一方の広瀬川は、前橋市街地にある4箇所の発電所で電力を生み出し、市街地を離れて前橋市南西部の田園を潤す。桃ノ木川と合流してから尚、下流域を網の目のように分流合流を繰り返して農業用水の使命を果たし、最終的には伊勢崎市境平塚で利根川に帰還する。(「群馬風便り」HPより)

「赤坂」。

「上武道路(国道17号線)」。

「上武道路(じょうぶどうろ)」

埼玉県熊谷市西別府上武インターチェンジ深谷バイパス分岐)から群馬県前橋市田口町に至る国道17号バイパスである。上武国道(じょうぶこくどう)や上武バイパスとも呼称される

国道17号 現道は中山道で、埼玉県熊谷市深谷市本庄市・群馬県藤岡市高崎市等を経由して前橋市へ向かう。しかし渋滞が多く、そのバイパスである深谷バイパスも渋滞するため、それらの根本的解決を目的として計画されたのが当バイパスである。地域高規格道路熊谷渋川連絡道路」の一部として整備されるため、熊谷市 - 前橋市間をなるべく短距離で結んでおり、本庄市や、藤岡市、高崎市を通らずに群馬県太田市伊勢崎市等を経由する。

「心臓血管センター」。   

  • 昭和40年9月8日 前橋病院前信号所として開設。
    平成6年4月10日 循環器病センター駅として旅客営業開始
    平成13年6月1日 病院の改名により、現駅名に変更。

         奥には「群馬県立心臓血管センター」。

          ぐんまリハビリ パーク「猿橋」。

      

          南方向。

             関東平野が広く大きく広がっています。

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ローカル私鉄の旅。その25。上毛電鉄。その2。

2023-08-24 18:31:46 | ローカル鉄道

ホームのようす。

夏休み・平日のせいか、乗客は少ない。

車内には魚がいっぱい描かれています。

「走る水族館」。

               海なし県なりの工夫。子供たちが描いた絵が一面に。暑い夏にはふさわしい企画。

しばらく市街地を走る。

「城東(じょうとう)」。

  • 開業時は「一毛町」駅で、平成6年4月10日に駅名変更。

車内のようす。経営的に厳しい印象。

「三俣(みつまた)」。     

  • 開業時は停留所で昭和31年8月25日、自動信号化に伴い、300m西桐生方面に移設し、停車場に改良。

※「停留所」と「停車場」の違い

「停留所」とは、乗客の乗降りの為に路面電車が停車する、鉄道で言う「駅」に相当する場所、またはバスが同様にその為に停車する場所を指して使う言葉。

「停車場」とは、鉄道が停車することができる場所の総称。

旅客鉄道において、乗客が乗降りできる各駅や、単線の路線で上下の列車がすれ違う為に停車する場所、または点検などの為にそこに留めると決まっている場所など、停車が可能な場所。

ということは、この駅はかつて「路面電車」扱いで簡易な駅舎のみ?  

 

「片貝(かたかい)」。

                   群馬県立前橋高校の最寄り駅。

※群馬県立前橋高等学校

1877年(明治10年)9月、東群馬郡曲輪町(現・前橋市大手町)の旧前橋城内に設立された公立の第17番中学利根川学校をルーツとする。その後、1879年(明治12年)6月に利根川学校を閉鎖し師範学校内に群馬県中学校を開設する。その後さらに名称、設置場所などの幾多の変遷を経て、1901年(明治34年)4月に群馬県立前橋中学校となる。1948年(昭和23年)、学制改革によって、群馬県立前橋中学校は群馬県立前橋高等学校と改称、改編。4年後の1952年(昭和27年)、失火により、校内建築物は講堂と体育館を除いて全焼したが、まもなく再建された。当時の校舎復興に尽力した生徒の母親達の組織が「前橋高校母の会」として残り、PTAとは別に現在も活動中である。1979年(昭和54年)、天川地区の区画整理事業によって校地南側の道路が拡幅されることに伴い、校庭が道路用地として大きく削られることになったため、前橋市下沖町に新築移転した。なお、移転の際、生徒達が前橋高校の校旗を先頭として、自分の使う机を担ぎながら、文京町から下沖町まで移動した。

卒業生に多くの有名人を輩出している。

(この項、「Wikipedia」より)

    <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8f/f41070322cf2f70598cb329f81f17f37.jpg">老人の利用者が目立つ。

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ローカル私鉄の旅。その24。上毛電鉄。その1。

2023-08-22 18:37:56 | ローカル鉄道

今回は、上毛電鉄に。JR前橋駅で下車、上毛電鉄の始発駅「中央前橋駅」まで徒歩で約15分。終点の「西桐生駅」までの旅。

8月18日(金)。晴れ。

前橋駅から中央前橋駅まで「けやき通り」を歩く人もほとんどいない炎天下。

前橋駅。

ところで、前橋駅の発車ベルが「咲いた咲いたチューリップの花が」のメロディー。

作曲した方が前橋の出身のようです。

駅前のモニュメント。

サイタ サイタ チューリップ ノ ハナガ、
ナランダ ナランダ アカ シロ キイロ、ドノ ハナ ミテモ キレイ ダナ。

         「井上武士」。

井上 武士は、日本の作曲家。東京音楽大学教授。群馬県勢多郡芳賀村(現在の前橋市)出身。代表作は「チューリップ」「海」。作曲数は約500曲とも200曲以上ともされ、日本音楽史上に残る数々の唱歌・童謡の作品を遺した。上記2曲は日本の歌百選に選ばれている。

※「海」 

海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む

海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら

海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国

前橋市のマンホール。

                 市の花バラが蓋一面い描かれている。

上毛電鉄「中央前橋駅」。

              <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/bc/4f9c4334036e79286195821b7bbab5d4.jpg">

      (「上毛電鉄」HPより)

赤城山南麓を東西に横断する線形で、赤城山系が一望でき、桐生市内では渡良瀬川を渡る。沿線途中はおおむね小規模の町や農業地帯である。主力は朝夕の高校生通学輸送である。

10数年前より、上毛電鉄では利用客減少による経営危機が問題となり、国の赤字補填の補助も打ち切られたことから、群馬県では鉄道を道路と同じ社会的インフラとみなして、設備の維持経費を県や地元自治体が負担する上下分離方式に基づく支援体制を整えました。

※「群馬式上下分離方式」

上毛電鉄の利用者数は、1965年の958万人をピークに減少の一途をたどっていました。1974年以降は経常損失が恒常化。そのため、1976年より国と県から鉄道軌道欠損補助を受けるようになります。

沿線自治体は、1980年に「上毛線再生等検討協議会(現・上電沿線市連絡協議会)」を発足。上毛電鉄の利用促進などの取り組みを始めます。しかし、利用者の減少に歯止めがかからず、1989年の輸送人員は362万人にまで落ち込みます。

1995年、国は鉄道軌道欠損補助を2年後の1997年に廃止することを公表します。毎年1億円前後の補助を受けていた上毛電鉄にとって、最大のピンチです。そこで沿線自治体は1996年、「上毛線再生等検討協議会(現・上毛線再生協議会)」を組織。自治体の補助額は、トータルで年間約3億円以上。2018~22年度の第4期経営再建計画では、5年間で総額19億5,000万円を支援しています。負担割合は、車両などの設備更新に関しては国、県、沿線自治体がそれぞれ3分の1ずつ、線路や車両の維持については県が6割、沿線自治体が4割としています。

桐生は生まれたところ、前橋は母親の生まれたところ。なんとなく愛着がある土地。しかし、もう40年以上訪れたことがありません。

親戚ともすっかり疎遠になっています。記憶も全くなく、唯一、2,3歳ころ、桐生市の「水道山(公園)」で撮った古びた写真のみ。

それでも、「桐生」には不思議と愛着があります。

こうして、初めての「上毛電鉄」。

「利根川」歩きのとき、「中央前橋駅」の北西に位置する「広瀬川」沿いに「萩原朔太郎記念館」など訪ねたことがありますが。

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ローカル私鉄の旅。その23。関東鉄道+真岡鉄道。その8。

2023-08-20 18:24:10 | ローカル鉄道

転車台。

それにしても、右手の山中、地下に軍需工場があったとは。

        

          

発車直前に、部活帰りの高校生がたくさん乗ってきます。

           炎天下、お疲れさま。それにしても皆、元気です。

茂木駅から北の方向。

田園風景を見ながら帰途へ。                     

      

途中駅で下車する高校生たち。

             

SLキューロク館開館2周年。

現在は、開館して10年が経ちました。

    

「折本」。

           次第に市街地に近づきます。

下館駅へ。正面に「筑波山」。

関東鉄道乗り場。

こうして取手~下館~茂木、と二つの私鉄に乗りました。

帰りは、JR下館駅から小山駅に出て、戻ってきました。

動画からいくつか紹介。

関東鉄道。

            

               

                    

真岡鐵道。

         

どちらの路線も沿線には田園風景が多いですが、関東鉄道は通勤・生活路線という要素が強く、真岡鐵道は通勤・生活よりも観光や通学に多く利用されている、という印象でした。               

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