おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。その13。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その2。

2023-08-06 13:31:20 | ローカル鉄道

田園地帯を進む。

             

※後方の席に座っているので、線路、駅などは遠ざかって行く写真となっています。

前方は「北関東自動車道」。

          

鉄橋を越えると、「高田の鉄橋」駅。

「高田」と「鉄橋」をそれぞれ両側の岸に見立て、両岸間を鉄橋で渡る列車をイメージして描かれています。

地域の要望によって平成26年10月1日に開業いたしました。駅のそばにある鉄橋の地元で親しまれた愛称がそのまま駅名になりました。

駅のそばを流れている中丸川にかかる鉄橋は正式な名称を「中丸川橋梁」といいますが、古くから地元では「高田(たかだ)の鉄橋」と呼ばれ親しまれてきました。

「高田」とは駅付近のかつての字名で、現在は地名として残ってはおりませんが、鉄橋の愛称のなかでそのまま高田の名前が残りました。
新規開業にあたり、地元の方々に親しみやすい駅名として根付いていくことを願う意味も込めて駅名に採用いたしました。

「那珂湊」駅に到着。

幕末に大砲鋳造のために建設された「反射炉」(復元されたものが現存。那珂湊駅から徒歩7分)、日本初のステンレス製気動車で今はミニ博物館として車庫に保存されている「ケハ601」と那珂湊駅のアイドル「駅ネコ」が描かれています。

※【ありがとう駅猫おさむ】

多くの方に愛された那珂湊駅の駅猫おさむは、本日午前4時20分に永眠しました。 2009年7月に那珂湊駅にやってきてからたくさんの思い出をくれました。 おさむ本当にありがとう。 皆様が撮ったおさむの写真、たくさんお待ちしております。                     

                                             (2019年6月23日)

「那珂湊おさかな市場」は当駅から徒歩10分。新鮮でリーズナブルな魚介類をお楽しみいただけます。

アクアワールド茨城県大洗水族館も当駅から1.7㎞の場所に位置し、路線バスで約7分、タクシーなら900円弱、徒歩でも約25分です。当駅で電動自転車を借りてサイクリングもできます。

また那珂湊は、江戸時代から舟運で栄え、現在でも歴史ある街並みや建造物、史跡が多くまち歩きには最適です。

※前回乗った「鹿島臨海鉄道」とも「那珂川」を隔てて接近しています。

ラッピングカー。

      「鹿島臨海鉄道」でも見た、地元の企業。

      

けっこう乗降客が多い。那珂湊の魚市場には帰りに寄る予定。

「殿山」駅。

2つの花をモチーフにしたもので、ひたちなか市の花「ハマギク」と、「ケイトウ」が描かれています。

隣には、旧那珂湊第二高校の記念モニュメントのふくろうが飾られています。

車内のようす。ノンビリと楽しむ。

サツマイモ畑が広がります。

      

茨城はサツマイモの産地。鹿児島に次ぐ。

鹿児島が焼酎などに加工される品種が多いが、茨城は食用になるのが主なようです。

 

この先の駅「平磯」。

平磯海水浴場のシンボルである「クジラの大ちゃん」と、渡り鳥の通り道となっている平磯海岸にちなみ磯に溜まる渡り鳥が描かれています。

平磯海水浴場は、防波堤に囲まれている海水浴場です。
波が大変穏やかで安全に海水浴を楽しむことができ、小さなお子さんがいるご家族連れに人気です。
子ども達に大人気のクジラの大ちゃんは平成25年に30歳になりました。

「美の浜学園」。

美しい海と学校名の語源となった万葉集の和歌、「美乃浜学園」校舎屋上にあるソーラーパネル、地元の民謡磯節にちなんだ三味線と近隣海岸に自生するスカシユリが描かれています。

沿線の平磯、磯崎、阿字ヶ浦地区の小中学校が統合し誕生したひたちなか市立小中一貫校「美乃浜学園」のアクセス駅として2021(令和3)年3月13日に開業した一番新しい駅です。
「美乃浜」の名前は、古く万葉集に収められたこの地区の海岸を歌ったとされる和歌に由来する「許奴美乃浜(こぬみのはま)」という一節と平磯・磯崎・阿字ヶ浦の3地区に共通する美しい海(浜)にちなみ、令和の新しい時代に開校する学校の名前として命名されました。
また「美乃浜(みのはま)」の「美(み)」には美しい海(浜)という意味に加えて、平磯・磯崎・阿字ヶ浦の三つの地区の融合を表す「三(み)」と未来への大きな飛躍を表す「未(み)」という意味もこめられています。

校舎遠景。

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ローカル私鉄の旅。その12。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その1。

2023-08-05 13:48:10 | ローカル鉄道

JR常磐線「勝田駅」から乗り換えて、

「ひたちなか海浜鉄道・湊線」へ。8月2日。快晴。

ひたちなか海浜鉄道

2008年3月31日までは茨城交通の路線であった。2005年12月に、茨城交通は地元ひたちなか市に対して、赤字で経営状況が厳しいため2008年3月で廃線にする意向を示し、ひたちなか市は、財政支援も視野に存続を目指すと、2006年9月に報道がなされた。茨城交通は支援を受ければ赤字の解消や老朽化した施設の改善が可能として、2007年3月31日に廃止届の提出を当面見合わせると発表した。設備更新には国の鉄道軌道近代化設備整備補助制度を利用し、その事業者負担分も市が負担する方針が示され、茨城交通の鉄道部門を別会社に分離することになった。当初市は茨城交通100%出資の子会社の設立を求めていたが、過半数の株式を保有することで連結子会社となると不採算部門から撤退することにならず茨城交通が難色を示したため、運営会社は第三セクター会社として市も出資して経営に参画することになり、同年9月27日に最終合意した

2008年4月1日、湊線は、その運営会社として設立されたひたちなか海浜鉄道に移管された。地元の支援も手厚く、2008年度はひたちなか市が湊鉄道線存続支援事業として199,521千円(内訳:出資金90,000 千円 貸付金40,000 千円 鉄道近代化等補助金57,218 千円 基金積立金11,000 千円)を支出している。移管後は列車増発や最終列車の繰り下げ、新駅の設置、割安な年間通学定期券の発売といった利便性向上策に取り組み、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響により路線が被災し全線不通となった2011年(平成23年)度を除き、三セク移行後輸送実績は徐々に回復し、2017年(平成29年)度には1997年(平成9年)度以来20年ぶりとなる利用者100万人台に到達した。(「Wikipedia」より)

※今年で「開業15周年」

1日フリー切符。

通常は、1,000円ですが、8月いっぱいは600円。那珂湊にも寄りたいので、さっそく購入。

車内のようす。

               勤め人と地元の人と観光客。

勝田駅から阿字ヶ浦駅。14.3㌔、乗車時間約28分。

ユニークな駅名標示。

現代アートプロジェクトの「みなとメディアミュージアム」(以下、MMM)で、制作されたアート作品です。
MMMを運営しているみなとメディアミュージアム実行委員会は、 「産(那珂湊地区商店街、ひたちなか海浜鉄道湊線)+学(主に大学教員、 大学院生、大学生)+芸(アーティスト)」からなる研究活動グループです。

芸術と地域の恊働でまちの地域活性化を図る活動として、ひたちなか海浜鉄道沿線を中心にアート展示を期間限定で開催しています。

「工機前」

もともとは日立工機(当時)の専用駅でした。
地域の要望を受け、1998年12月8日より一般の方も利用できるようになりました。


日立工機(当時)従業員の専用駅だった時代は、停車する列車は朝の上り1本、夕方の下り1本の1往復に限られ、他の駅の時刻表・運賃表などにも駅の案内が掲載されていませんでした。現在は全列車が停車し、通勤通学にも利用されています。駅名のもとであった「日立工機」は「工機ホールディングス」に会社名を変更したことから、協議を重ねた末、令和元年(2019年)10月からこの駅名に改称いたしました。

※以下、「ひたちなか海浜鉄道」HPより引用します。

       大きな工場や陸上自衛隊勝田駐屯地が続く。

左手は住宅街。

「金上(かねあげ)駅」ホーム。

金上駅に近接する陸上自衛隊勝田駐屯地が桜の名所でもあることから、桜と特殊車両(戦車)が描かれています。

「金上駅」を遠くに振り返る。ユニークな三角屋根。

『金上(金運を上げる)』という名前の通り、縁起の良い名前の駅として知られています。
勝田からこの駅までの切符が"縁起のいい切符"として人気があります。
「縁起きっぷ」は勝田駅と那珂湊駅で販売しています。

田んぼが広がる。

中根(なかね)駅。

7世紀前半頃に築造された虎塚古墳にちなみ、矛(ほこ)と前方後円墳が描かれています。

駅から歩いて約25分の距離にある虎塚古墳は、国指定史跡の前方後円墳です。大きさは全長56.5メートル、高さ5.5メートル。 内部の石室には、ベンガラの紅色でさまざまな文様の壁画が描かれています。
この壁画は史跡保護のため春と秋のそれぞれ10日間の限定公開となっています。

また、同古墳近くの十五郎穴古墳ではほぼ完全な形で正倉院の宝物と同じ形態の金具が付いた刀子(小刀)が出土。全国初の可能性が高く、長さ25センチ、8世紀半ばに作られたと推定されています。

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暑い夏の過ごし方。我が家のネコ編。

2023-08-04 18:27:56 | 我が家の猫たち

暑い夏。人間と同様、我が家の猫たちも、すずしいところを求めて。

長く伸びて。

小さくなって。

                 

暑いねえ! 

             

ソウタ。アンズ。

アンズはさっさと涼しいところを見つけたらしく、雲隠れ。ソウタは、 

          顔はどこ?

        

どこも暑いなぁ。

                  

やっぱりここが一番! 

       

               <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/71/e1f296be2514fba61c44a52b6e8ba156.jpg">

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ローカル私鉄の旅。その11。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

2023-08-03 18:32:39 | ローカル鉄道

「利根川」を渡ります。

    

右手後方に利根川の堤。

香取駅。

佐原駅。

        佐原駅は、佐原(成田)街道歩き、利根川歩きで来たことがあります。

          

以下、ビデオ撮影した映像を紹介。

      

             

     

         

                   

               <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/6f/9b01f9d2db274401b2bf3eb2d5fbed07.png">

成田線で成田、そこから京成線。成田駅を出たとたん、猛烈な暑さに見舞われました。

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ローカル私鉄の旅。その10。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

2023-08-02 18:33:00 | ローカル鉄道

発車すると、まもなく長い橋を渡ります。

     北浦橋梁。

この橋は全長1236mで、日本の鉄道橋としても有数の長さを誇ります。水上に橋脚が並び、単線の橋桁が真っすぐ伸びる光景は壮観ですが、さらにここを貨物列車も渡っていきます。

 目の前いっぱいに空と湖面が広がる中、水平線近くをすすむ貨物列車は、まるで大自然に溶け込んでしまったかのようです。

日本有数の長大鉄道橋が生まれた背景

 鹿島線の歴史は比較的浅く、元々は香取と水戸を結ぶ計画で、1960年代半ばから工事が始まりました。1970(昭和45)年に香取~鹿島神宮間が先行開業しましたが、残りの区間は国鉄による運営を断念し、第三セクターの鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線として開業しています。

 当時はすでに、新たな鉄道建設は国鉄から日本鉄道建設公団の手に渡っており、貨物輸送や高速運転を見据えて、高架やトンネルを主体とした高規格仕様で建設が進められました。

 もし明治期や昭和初期に鹿島線が敷設されていたら、今よりも下流の、川幅が狭くなる部分を選んで迂回するルートになっていたかもしれません。しかし、建設技術が進歩していき、建設上の制約が無くなっていく中、香取と鹿嶋をできるだけ最短距離で到達できるルートが取られ、結果としてこの長大な北浦橋梁の「名撮影スポット」が生まれたと思うと、感慨深いものがあります。

              

(この項、「」HPより)

再び田園風景が広がります。

入道雲が。

高架道路の工事中。

      

                  

潮来(いたこ)。

かつては水路が縦横に張り巡らされており、人家と人家を行き来するためにひと一人がやっと通れるような小さな橋が架けられていました。このような橋が12あったので十二橋と呼ばれています。
十二橋めぐりには、「前川十二橋めぐり」と「加藤洲十二橋めぐり」があります。サッパ舟と呼ばれる舟に乗ってたっぷりと水郷情緒を味わうことができます。また、あやめまつり期間中には前川で櫓(ろ)漕ぎ舟も運航します。

「北利根川」。

       けっこう川幅のある川です。

茨城,千葉の県境をなし水郷地方を流れる川。別称常陸利根川。全長 26km。以前は霞ヶ浦と浪逆 (なさか) 浦を結ぶ川を北利根川と呼んでいたが,現在は外浪逆浦と利根川を結ぶ常陸川を含めて常陸利根川と呼ぶ。横利根川とともに利根川の旧河道で香取・鹿島神宮参拝の内陸水路として重要であった。

(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)より)

       

「十二橋駅」付近。

      「水郷」という趣。

一面、田んぼが続きます。

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