「イーシャー・ウパニシャドの主な特徴の一つは、同書が提示する倫理的な助言であり、興味深いことにウパニシャドの倫理は形而上的な位置づけに明確に基づいているのである。ウパニシャドの冒頭の言葉で、神は全てに浸透していると述べている。対照的に形而上的な位置づけから提示される倫理的助言では、人は神が万物に浸透しているのだから、神から授けられる物は何であれ善い物に違いないという強い信念を持って、これを享受すべきであるとしている。
これはウパニシャドが私たちにむやみに他人の持ち物を欲しがるのを禁じていることと自ずと合致する。実際に私たちが時ふさわしくここで得た教訓は、何が起きようと神が定めたことは私たちにとって善いことだと信じることにより、自分自身の運命に満足するというものであった。別の倫理的な助言は、人は常に行動をしていなくてはならず、特に神の意志を甘んじて受け入れ、シャーストラで言われているようなカルマの実践をして人生を送らなくてはならないというものだ。
ウパニシャドが言うところの無活動とは、魂が毒されることである。人は行動して人生を送ったときにのみ、理想とするナイシュカルムヤを得る望みがある。最後に同書はこう綴っている。自己の中に万物を見、万物の中に存在するものとして自己を見る者 - 実際、存在する万物が自己となるのであるから - このような者がどうしてのぼせあがるようなことがあろうか?このような者が悲嘆に暮れることなどあろうか?やる気が起きなかったり、のぼせ上がったり、悲嘆に暮れるというのはそれぞれに、万物にアートマンを見ることができないから起きるのだ。
だが全ての物が自己になったのであるから、万物の同一性を理解する者は、事実上人間の持つ当たり前の欠点に影響されることを止めるに違いないのである」(ベルヴァルカール、ラナデ共著、”Creative Period” 169-170項)
スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように