癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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シルディ・サイババ(バララーム・ドゥランダール(1878-1925))

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  バララーム・ドュランダール氏はムンバイ、サンタクルズのパタレ・プラブ・コミュニティに属していた。彼はムンバイ最高裁判所の主唱者であり、ムンバイの国立法律学校の学長でもあった。

 

ドゥランダール一家はみな敬虔で信仰深かった。バララーム氏はコミュニティに奉仕していて、それに関連する出版もしていた。彼は霊的、宗教的事柄に注目していた。彼はギータやドニャネシュワリ解説書や、その他の哲学的、形而上学的書物を学んでいた。彼はパンダルプールのヴィトバの帰依者であった。

 

彼がサイババに会ったのは1912年のことだった。その6ヶ月前、彼の兄弟のバブルジとヴァマンラオがシルディへ行って、ババのダルシャンを受けていた。彼らは家に帰り、自分たちの甘美な体験をバララームや他の家族に話して聞かせた。すると彼らは皆サイババに会いに行こうと決めた。

彼らがシルディにやってくる前に、ババは人前でこう宣言していた。「今日は私のダルバールの人々が大勢やってくる」ドゥランダール兄弟は自分たちの訪問のことを前もって知らせていなかったので、他の人づてにババのこの言葉を聴いて驚いてしまった。他の人々は皆ババの前にひれ伏してから、座ってババと話をしていた。

ババは彼らに言った。「この人たちが、私がさっき言った私のダールバールの人々だ」それからドゥランダール兄弟に向かってこう言った。「私たちは過去60世代に亘って親交があったのだよ」兄弟たちはみな優しく穏やかで、彼らは手を取り合って立ち、ババの足を見つめていた。

皆、純粋な感情がこみ上げて、涙したり、喉を詰まらせたりして、感動し、幸せな気持ちになった。それから彼らは宿に戻り食事を採って少し休憩をすると、再びマスジッドに戻ってきた。バララームはババの側に座り、彼の足をマッサージした。ババはチルムを吸いながら、彼の方へ近づいて一服するよう手招きした。バララームはパイプを吸う習慣がなかったが、それを受け取り、非常に苦労して吸い、うやうやしく返した。これはバララームにとって大変に幸先の良い瞬間であった。

彼は6年間喘息を患っていた。この一服によって彼の病は完全に治癒し、二度と彼を苦しめることはなかった。それから6年後のある日、彼は喘息の発作に襲われた。これはババがマハサマディに入ったまさにその時刻であった。

 

  彼らが訪問したのは木曜日であったので、ドゥランダール兄弟は幸運なことにその夜チャヴァディの行進を見ることができた。チャヴァディでのアーティの後、バララームはババの顔にパンデュラング(ヴィッタル)の輝きを見た。翌朝のカカッド・アーティのときも、最愛の神と同じ光沢のパンデュラングがババの顔に現れる同じ現象が起きていたのだった。

 

  バララーム・ドゥランダール氏はマハラシュートラの聖者トゥカラムの生涯をマラティ語で記したが、その出版を見届けるまで永らえなかった。同書は1928年に彼の兄弟によって出版された。同書の冒頭にあるバララームの生涯についての短い記載の中で、バララームのシルディ訪問についての記述があり、前述の出来事を完全に裏付けるものとなっている(同書6項参照)

スリ・サイに敬礼を - 皆に平安あれ


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シルディ・サイババ(スリ・テンベ・スワミ)

2011-10-25 | シルディ・サイババ

 

  次は聖者同士が互いに兄弟のような愛情で愛し合っている様子について語ろう。あるときスリ・テンベ・スワミとして知られているスリ・ヴァスデヴァナンド・サラスヴァティがゴダヴァリの土手のラジャマヘンドリ(アンドラ地方)で野営していた。彼は信仰深い正統派のドニャニで、ダッタトレヤのヨギ・バクタであった。ナンデッド(ニザム州)の弁護人であるプンダリクラオ氏が友人らと共に彼を訪ねた。

彼らが話をしている時に、ふとシルディとサイババという名前が話題に出た。ババの名前を聞いたスワミは、敬意を込めて手を合わせ、ココナツを取ってプンダリクラオに渡してこう言った。「これを私の兄弟のサイに私のプラナム(敬意を込めた挨拶)を込めて捧げて下さい。そして私を忘れず、ずっと私を愛していて下さいと彼にお願いして下さい」彼はまた、スワミは一般的に他人に頭を下げないが、この場合は例外としなくてはならないと付け加えた。

プンダリクラオ氏はココナツを受け取り、ババに伝言を伝えることを了承した。スワミがババのことを兄弟と呼んだのは正しかった。なぜなら彼は夜も昼も伝統的なやり方でアグニホトラ(聖なる火)を燃やし続けていたように、ババも彼のアグニホトラ、すなわちドゥーニをマスジッドで永遠に燃やし続けたからであった。

 

  プンダリクラオと他の者たちがココナツを持ってシルディへ発ってから一ヶ月後、マンマドへ到着したが、彼らは喉が渇いたので、水を飲みに小川に行った。空きっ腹で水は飲むべきではないので、彼らは少量の軽食、チヴダ(フレークにした米にスパイスを混ぜたスナック)を取り出した。チヴダはピリっと刺激的な味がするので、それを和らげるために誰かの提案でココナツを割って、中身を削り取って混ぜることにした。

それでチヴダは味が良くなりおいしくなった。不幸なことに、そのココナツはプンダリクラオに託されたものだった。彼らがシルディに近づくと、プンダリクラオは託されたココナツのことを思い出し、それを割って食べてしまったことを大変申し訳なく思っていた。彼はシルディにやってきてババに会った。ババは既にテンベ・スワミからココナツに関する電報を受け取っており、最初にババの方からプンダリクラオに、兄弟から託されたものを渡しなさいと言った。

彼はババの足をしっかり掴むと、自分の罪と過失を告白し、後悔してババの許しを乞うた。彼は代わりに他の果物を捧げたが、ババは受け取りを拒否して、あのココナツの価値は普通の果物を遥かに凌ぐもので、他の物に置き換えることはできないと言った。ババはまたこう付け加えた。「さあ、もうこの件で君は心配する必要はない。ココナツを君に託し、最終的には途中で割られてしまうことは私の願いだったのだ。

 

 なぜ君は自分のとった行動の責任を取らなくてはならないのだろうか?悪い行いと同じように良いことをするときでも、行為者であるという感覚を抱いてはいけない。全ての物事においてプライドを捨て、エゴをなくしなさい。そうすれば君の霊的な成長は速まるだろう」ババはなんと美しい霊性の教えを与えたことだろうか!


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シルディ・サイババ(カカサヘブ・ディクシット(1864-1926))

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  ハリ・シタラム氏、別名カカサヘブ・ディクシットは1864年にカンドワ(中央州)のヴァドナガラ・ナガールでブラーミンの家に生まれた。彼は初等教育をヒンガンガットのカンドワで受け、中等教育はナグプールで受けた。彼は高等教育を受けるためにムンバイへやって来て、最初はウィルソン・カレッジで学び、後にエルフィンストーン・カレッジで学んだ。

 

1883年に卒業すると、彼はLL.B.(法学学士)を取得し、事務弁護士の試験に合格した。それから政府の事務弁護士組織、Little and Co.,に勤務し、暫くして自ら事務弁護士の会社を興した。

  1909年以前、サイババの名前はカカサヘブには馴染がなかったが、その後彼はすぐにババの熱心な帰依者になった。彼がロナヴラに滞在している時に、偶然旧友のナナサヘブ・チャンドルカールと出会った。二人共積もる話をしてしばらく過ごした。カカサヘブは、ロンドンで列車に乗っている時に、事故にあって足を滑らせて怪我をしたことを話して聞かせた。

山ほど薬を試したが治癒しなかった。そこでナナサヘブは、痛くて不自由な足を治したいなら、彼のサドグル、サイババの処へ行くべきだと言った。彼はまたサイババのことを詳細に彼に話し、サイババの格言を聞かせた。「たとえどれほど遠くにいようとも7つの海を越えていようとも、足に紐を付けたスズメのように、私は自分の帰依者を私の元へ引き寄せる」彼もまた、もし彼がババの帰依者でないのなら、ババに惹きつけられることもなくダルシャンも与えられない、と明言した。カカサヘブはこの話を聞いて喜び、彼もババの所へ行き彼に会って、不自由な足を治してもらうことよりも、むしろ不完全で移ろいやすい心を変えて、永遠の至福を与えてもらうよう祈りたい、とナナサヘブに言った。

 

  しばらく後、カカサヘブはアーメドナガールに行き、ムンバイ立法議会での議決権を確保するために、シルダール・カカサヘブ・ミルカルと共に滞在した。コペルガオンのマムラトダールであるカカサヘブ・ミリカールの息子のバラサヘブ・ミルカール氏も、そこで馬の展覧会がある関係でその時期にアーメドナガールに来ていた。選挙がらみの仕事が終わると、カカサヘブ・ディクシットはシルディに行こうと思い、ミリカール父子もガイドとして適任だと考えていたので、彼らと共に行くことになった。ババは彼を迎える手はずを整えていた。

 

シャマはアーメドナガールにいる義理の父親から電報を受け取り、父の妻が重病なので彼の妻と共に彼女に会いに来るようにと書かれていた。シャマがババの許可を得て出かけていくと、彼の義理の母は回復していた。ナナサヘブ・パンセとアッパサヘブ・ガドレが展覧会に行く途中にシャマに会い、彼らはシャマにミリカールの家へ行って、カカサヘブ・ディクシットに会って彼をシルディに連れて行って欲しいと言った。カカサヘブ・ディクシットとミリカール父子はシャマが訪ねてくることを知らされていた。

 

夜になってシャマはミリカールの家にやってきて、カカサヘブに自己紹介をした。彼らはシャマがカカサヘブを連れて10時の夜の列車でコペルガオンに向かうように手配していた。この予定が決まると、興味深い出来事が起きた。バラサヘブ・ミリカールがヴェールをはいで、ババの大きな肖像画をカカサヘブに見せた。彼は驚いて見つめた。彼がこれからシルディで会おうとしている人物が、肖像画という形でそこにいたのだから。彼はひどく感動して肖像画の前でひれ伏した。

この肖像画はメガのものだった。額のガラスが壊れてしまったので、修繕のためにミリカールの処へ送られてきたのだった。必要な修繕は既に施され、肖像画はカカサヘブとシャマに委ねて返してもらうことになった。

 

  10時前に彼らは駅へ行き座席を予約したが、列車が到着すると二等席は人で溢れていて、彼らの乗るスペースはなかった。幸運なことに列車の車掌がカカサヘブの知り合いだったので、彼らは一等席へ入れてもらえた。それで彼らは快適な旅をしコペルガオンに到着した。

彼らがそこでやはりシルディに向かおうとしているナナサヘブ・チャンドルカールを見つけたときには、彼らは大変に喜んだ。カカサヘブとナナサヘブは互いに抱き合い、聖なるゴダヴァリ河で沐浴をした後、シルディに向けて出発した。シルディに到着してババのダルシャンを受けると、カカサヘブのハートは溶けてしまい、彼の目は涙で一杯になり、心は喜びで溢れていた。ババは彼に、自分も彼を待っていたと言い、彼を迎えにやるためにシャマを先によこしたのだと言った。

 

 

  カカサヘブはその後ババの側で長い年月を幸せに過ごした。彼はシルディにワダを建て、そこが彼の終の棲家となった。彼がババから得た体験はあまりにも多く、ここに全てを記すことは不可能だ。読者にはShri Sai LeelaVol.12, No.6-9の特別号(カカサヘブ・ディクシット)を読むことをお勧めする。

 

  私たちはこの一節を一つの事実を記述して締めくくりたい。ババは最後に彼に慰めの言葉を送っている。「神は空飛ぶ四輪大型馬車(ヴィマン)で彼を連れてゆくだろう」(つまり安らかな死を約束した)これは現実となった。192675日、彼はヘマドパントと列車で旅をしていて、サイババの話をしていた。彼はサイババに深く心酔しているようだった。突然彼の首がヘマドパントの肩に投げ出され、痛みも苦痛の跡形もなく息を引き取ったのだった。


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シルディ・サイババ(第五十章 前置き)

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  バクタたちの支柱である私たちのサドグル、ギータの意味を解説し、私たち皆に力を授けてくれるサイに勝利を。ああ、サイ、愛深く私たちを見つめ祝福して下さい。

  

白檀の木々がマラヤ山脈に生い茂り暑さを防いでくれる。雲は雨水を注ぎ、人々を涼ませ爽やかにしてくれる。春には花々が咲き、その花で私たちは神を礼拝することができる。だからサイババの物語は読者を慰め元気付けるために訪れるのだ。ババの物語を語る人々も、聞く人々も、どちらも恵まれていて神聖である。

 

  私たちが数百の方法でサーダナを行っても、サドグルの恩寵によって彼が私たちを祝福してくれない限りは、人生の霊的な終着点にはたどり着けない、というのは揺ぎ無い事実である。この事実を示す物語を次に紹介しよう。


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シルディ・サイババ(ナナサヘブ・チャンドルカール)

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  ヘマドパントは本章をナナサヘブ・チャンドルカールの物語で締めくくっている。ナナサヘブはある時、ムハルサパティやビジャプールから家族と共にババに会いに来たイスラム教との紳士と共に、マスジッドに座っていた。

 

彼と一緒にいるベールを付けた女性たちを見ると、ナナサヘブは立ち去ろうとしたが、ババが彼を止めた。女性たちはやってきてババのダルシャンを受けた。女性たちの中の一人がババの足に敬礼するためにベールを外すと、彼女の顔をちらりと見たナナサヘブはその美しさに大変に魅了され、もう一度彼女の顔を見たいと思った。

 

ナナの心が落ち着かないのを見たババは、女性がその場を去ってから彼に話しかけた。「ナナ、なぜ君はそんなに興奮しているのかね?感覚にはそれぞれの仕事や義務を与えなさい。私たちは感覚の仕事に干渉してはならない。神はこの美しい世界をお創りになり、その美しさに感謝するのが私たちの義務だ。

 

心はゆっくりと徐々に定まり落ち着くだろう。正面の扉が開いているのに、なぜ裏口から出るのかね?ハートが純粋ならば、何事も難しいことはない。よこしまな考えがないのなら、なぜ誰かを恐れなくてはならないのか?目は目の仕事をしているのに、なぜ君は恥ずかしがってよろめくのかね?」

 

 シャマがその場にいたが、彼はババの言っている意味が分からなかった。そこで彼は家に帰る途中でこれについてナナに尋ねた。ナナは美しい女性を見て彼の心が落ち着かなくなったことと、ババがそれを知って彼に助言したことを話した。ナナはババの主旨を次のように説明した。

 

「私たちの心は元々移ろいやすいから、興奮させないようにしなくてはならない。感覚が落ち着かなくなっても、肉体は抑制しなくてはならず、我慢できなくさせてはいけない。感覚は欲望の対象を追いかけるが、私たちはその後を追って対象物を切望してはならない。ゆっくりと徐々に練習をすることで、落ち着かない心は克服できる。感覚は完全には制御できないが、私たちは感覚に左右されてはならない。

 

私たちは必要に応じて正しく感覚を制御しなくてはならない。美しさとは視覚の主題であり、私たちは怖れずに対象物の美しさを見れば良い。恥ずかしがったり怖れたりする必要はない。ただ私たちは邪悪な考えを起こしてはならないのだ。心を無欲にし、神の美しい作品を見る。

 

このようにすれば、感覚は容易にそして自然に制御でき、対象物を楽しんでいる時でさえも、神のことを思い浮かべることができる。もし外側の感覚が抑えられず、心が対象を追いかけてそれに執着してしまうのであれば、私たちの誕生と死の循環は終わることがない。

 

二輪戦車を駆る者としてヴィヴェク(認識力)を持って、私たちは心を制御し、感覚が堕落するのを許してはならない。このような二輪戦車で、私たちはヴィシュヌ・パダ - 最後の住処、二度と戻ることのない私たちの本当の家へたどり着くのである。

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように


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シルディ・サイババ(ソマデヴ・スワミ)

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  さて、もう一人ババを試すためにやってきた男の話を聞いてみよう。カカサヘブ・ディクシットの兄弟バイジはナグプールに滞在していた。彼が1906年にヒマラヤに行った時に、ガンゴトリ村のふもとのウッター・カシでハードワールのソマデヴ・スワミと知り合いになった。

 

二人とも日記に互いの名前を書き記した。5年後、サマデヴ・スワミはナグプールにやってきて、バイジの客人となった。そこで彼はババのリ-ラを聞いて喜び、シルディに言って彼に会って見たいという強い願望が生じた。彼はバイジから紹介状を受け取ると、シルディへ向かった。マンマドとコペルガオンを通り過ぎた後、彼はトンガに乗ってシルディへ向かった。彼がシルディの近くまで来ると、シルディのマスジッドの上方高く2つの旗がはためいているのが見えた。

おおむね聖者によって行動も異なれば、暮らし方も異なり、建物の設備も異なる。だがこのような外側の目印は聖者の価値を計る基準にはなり得ない。だがソマデヴ・スワミは違っていた。はためく旗を見るとすぐに彼は、「なぜ聖者が旗を飾らねばならないのだ?これが聖者であることを示しているのか?これこそ聖者が名声を欲している証拠ではないか」こう考えて彼はシルディ行きをやめようと思い、仲間に自分は戻ると言った。彼らは彼に言った。

「じゃあ、なぜ君はこんな遠くまで来たんだい?旗を見たぐらいで気持ちが落ち着かなくなるなら、ラス、輿や馬やその他シルディにある装飾を見たらどれほど動揺することだろう」スワミは一層困惑して言った。「いや、馬や輿やトムトム(太鼓)を配するようなサドゥーは見たことがある。そんなサドゥーを見るくらいなら、私は戻った方がマシだ」こう言うと、彼は戻り始めた。仲間たちは彼を止めて、先へ進ませた。彼らは彼の気まぐれな考え方をやめるように言い、そのサドゥー、ババは旗や輿や名声のことなど全く気に掛けない人だと説明した。

こうした装飾品を飾ったのは、ババに愛と信仰を捧げる帰依者たちであった。結局、彼はシルディへの旅を続けてババに会うよう説得された。彼が到着して中庭からババを見ると、彼の内側は溶け、目は涙でいっぱいになり、喉は詰まり、邪悪で歪んだ考えは消えてしまった。彼は彼のグルが「そこは私たちが安らぐ場所であり、心が最も喜び定住する場所だ」と言っていたのを思い出した。

彼はババの足元の土の上にひれ伏したいと願い、ババに近づくと、ババは激昂して大声で叫んだ。「私たちは見かけだけ(装飾品)のペテン師だ。君は家へ帰るがいい。もし君が再びこのマスジッドへ戻ってくる時は注意しなさい。なぜマスジッドの上に旗をはためかせているような者のダルシャンを受けに来たのかね?これは聖者の印かね?一瞬たりともここに留まるな」スワミは驚いて後ろに下がった。

彼は、ババが彼の心を読んで喋っていることに気づいた。なんと彼は全知なのだろうか!彼は、自分の知識などわずかばかりで、ババが気高く純粋であることを知った。彼はババが誰かを抱きしめ、その手で触れ、他者を慰め、優しく見つめたり、笑いあったり、ウディのプラサドを与え、皆を喜ばせ満足させるのを見た。なぜ彼だけがこのようにひどい扱いを受けなくてはならないのか?真剣に考えてみて、彼は、ババの行為は彼の内面の思いに反応していることに気づいた。

そして彼はこのことから教訓を得て、自分を改め、ババは憤って見せただけで本当はそれが祝福であると気づいた。その後彼のババに対する信仰が確固たるものになり、ババの堅固な帰依者になったのは言うまでもない。

1.ウッタランチャルのガルワル地域


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シルディ。サイババ(ハリ・カノバ)

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  ムンバイに住む紳士ハリ・カノバは友人や親戚から数々のババのリーラのことを聞いた。彼は疑い深かったので、そうしたことを信じなかった。彼は自分の目でババを見てみたいと思った。そこで彼はムンバイの友人と共にシルディにやってきた。彼はレースで縁取りをしたターバンを頭に巻いており、新しいサンダルを履いていた。

 

遠くからババを見ると、彼はババのところへ行って彼の前でひれ伏そうと思った。彼は自分の新しいサンダルをどうして良いか分からなかった。中庭の片隅に行ってそこにサンダルを置くと、彼はマスジッドに入ってババのダルシャンを受けた。

 

彼はうやうやしくババに頭を下げ、ババからウディとプラサドをもらって戻ってきた。彼が中庭の隅に戻ってくると、サンダルがなくなっていたので彼はひどくうろたえてしまった。彼は辺りを探したが見つからなかった。彼は宿へ戻ると、非常に落胆してしまった。

 

  彼は沐浴をして、礼拝とナイヴァイディヤを捧げてから、食事の席に就いたが、この間もずっと彼はサンダルのことだけを考えていた。食事を終えて手を洗いに外に出ると、マラタの少年が彼の方へやってきた。彼は手に棒を持っていて、その端には真新しいサンダルがぶら下がっていた。

 

彼は手を洗いに出てきた男に向かって、ババが棒を持って男のところへ行くようにと彼をよこしたのであり、「ハリ カ ベタ ジャイ カ ペタ」と叫びながら通りを歩くように告げたと言った。そしてもし誰かがサンダルを返してくれと言ってきたら、まずその人の名前はハリで、彼はつまりカノバの息子であり、彼はレースで縁取りをしたターバンを被っている、ということが確認できたら彼にサンダルを渡してやれと言われたと告げた。

 

これを聞いてハリ・カノバは喜び驚いた。彼は少年の前へ出て、サンダルは自分のものだと主張した。彼は少年に自分の名前はハリで、カ(カノバ)の息子であると言って、レースで縁取りされたターバンを指して見せた。少年は納得して、サンダルを彼に返した。

ハリ・カノバは心の中で、レースの縁取りのターバンは目に見えるからババも見ていたかもしれない。でも彼は初めてシルディに来たのに、彼の名前がハリであることや、彼がカノバの息子であることをどうやって知り得たのだろうかと不思議に思った。彼は他の動機ではなく、ババをテストするという目的の為だけにシルディへ来たのだった。彼はこの出来事によって、ババが偉大なサトプルシュであることを知るに至った。彼は欲しい物を手に入れ、喜んで家に帰った。


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シルディ・サイババ(第四十九章 前置き)

2011-10-25 | シルディ・サイババ

  ヴェーダやプラナスですらブラフマンやサドグルのことを充分に表現しきれないのに、どうして私たち無知な者が私たちのサドグル、スリ・サイババを描写しえようか?この件については私たちは黙っているほうがよさそうである。

 

事実、沈黙の誓い守るのがサドグルを称える最高の方法であるが、サイババの神性は私たちに沈黙の誓いを忘れさせ、私たちは口を開かずにはいられないのである。美味な料理も、一緒に味合う友人や親戚がいなければ無味乾燥であるが、仲間が共であれば料理はより一層おいしいものになる。サイのリーラムリト - サイのリーラという甘露にも同じことが言える。この甘露は一人で味合うことはできない。友人や兄弟がいてこそ、さらに美味になるのだ。

 

  この物語に直感を与え彼の望み通りに書かせたのはサイババ自身である。私たちの義務は彼に完全に全てを委ね、彼に瞑想することである。巡礼をしたり、誓いをしたり、いけにえを捧げたり、慈善をするよりも苦行をするほうがよい。苦行をするよりも、ハリを礼拝する方がよい。

 

そしてサドグルに瞑想するのが一番良い。だから私たちはサイの名を唱え、心の中で彼が言ったことについて考え、彼の姿を瞑想し、彼への真実の愛を心に感じ、彼のために全ての行為をしなくてはならない。サンサールの束縛を切るために、これ以上良い方法はない。私たちが前述の通り自らの役割における義務を果たすことができれば、サイは私たちを助け解放しにきてくれるのだ。さあ、本章の物語に入ることにしよう。


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