サイババがカカサヘブ・ディクシットに毎日スリ・エクナスの2つの書物を朗読するよう言いつけていたのは良く知られている。一つはバグワットで、もう一つはバヴァルタ・ラーマーヤナである。カカサヘブは、ババが生きている間は毎日これらの書物を朗読し、ババが亡くなった後もこの慣習を続けたのだった。
ある時、チョウパティ・ムンバイにあるカカ・マハジャニの家で、午前中にカカサヘブがエクナスのバグワットを読んでいた。マドハヴラオ・デシュパンド、別名シャマとカカ・マハジャニがその場にいて、朗読されている部分、すなわち同書の11編Skandhaの2章に注意深く耳を傾けていた。そこはリシャバ家の9人のナタ(シッダ)、すなわち、カヴィ、ハリ、アンタリクシャ、プラブッダ、ピッパラヤン、アヴィロトラ、ドゥルミル、カマス、カラバジャンが、バグワット・ダルムの主旨についてジャナカ王に詳しく説明するくだりであった。
王は9人全員のナタにとても重要な質問をし、それぞれが質問に充分に答えたのだった。最初のナタ、カヴィはバグワット・ダルムとは何かについて。ハリは、バクタの特徴について。アンタリクシャはマーヤとは何かについて。プラブッダはどのようにしてマーヤを越えてゆくかについて。ピッパラヤンはパラ・ブラフマンとは何かについて。アヴィロトラはカルマとは何かについて。ドゥルミルは神の化身と彼らの行いについて。カマスは帰依者でない者は死後どうなるのかについて。カラバジャンは時代によって異なる神への礼拝の仕方について。全ての解説の要旨は、カリ期においては解脱の唯一の道はハリ(主)またはグルの御足を思い浮かべることである、だった。朗読を終えると、カカサヘブは気落ちした声でマドハヴラオらに言った。
「9人のナタのバクティや信仰についての論説はなんと素晴らしいのだろうか。だが同時に実践するのはなんとも難しい!ナタたちは完璧だが、我々のような愚者に彼らが叙述したような信仰心を得ることは可能だろうか?幾世を経ても得られないとしたら、その時私たちはどうやって救いを得たらよいのだろう?全くもって私たちには希望がないように思える」マドハヴラオはカカサヘブのこのような悲観的な態度は好きではなかった。彼は言った。
「幸運にもババのような素晴らしい宝石を戴いた者がそのように非難がましく泣き言を言うものではない。もしババに揺ぎ無い信仰を持っているなら、なにを不安に感じることがあろう?ナタのバクティは強固で力強いかもしれないが、私たちの愛や情愛はそうではないというのかい?それにババは、ハリやグルの名前を思い出し、唱えることで救いが与えられると私たちに厳然と言わなかったかい?それなら怖れや不安を感じる必要がどこにあるんだね?」カカサヘブはマドハヴラオの説明には満足しなかった。彼はどうすればナタの力強いバクティが得られるのかと考え込んで、一日中不安で落ち着かなかった。翌朝、次のような奇跡が起こった。
アナンドラオ・パカデという紳士がマドハヴラオを探してそこへやってきた。その時はバグワットの朗読が行われていた。パカデ氏はマドハヴラオの近くに座って、何かを彼に囁いた。彼は低い声で、自分の夢のヴィジョンについて話した。その囁き声で朗読は中断され、カカサヘブは読むのを止めてマドハヴラオにどうしたのかと尋ねた。マドハヴラオは言った。「昨日、君が疑念を感じていたけれど、今それについての説明がもたらされたよ。パカデ氏のヴィジョンは、信仰の特徴を説明していて、グルに敬礼したり御足を礼拝するという信仰だけで充分だということを現しているから、聞いてくれ」皆が、特にカカサヘブがヴィジョンについて聞きたがった。彼らの要請に応えて、パカデ氏はヴィジョンについて次のように語り始めた。
私は海の中で腰の高さまで水につかって立っていました。そこで私は突然サイババを見たのです。彼はダイアモンドが散りばめられた美しい玉座に座っており、足は水の中に入っていました。私はババの姿に大変喜びました。このヴィジョンはとてもリアルで、とても夢だとは思えませんでした。大変興味深いことに、マドハヴラオもそこに立っていました。彼は私にしみじみと言いました。「アナンドラオ、ババの御足にひれ伏そう」私も言いました。「私もそうしたいんだが、ババの足は水の中じゃないか。どうやって頭を付けたらいいのだろう?困ったな」これを聴いて彼はババに言いました。
「おお、デーヴァ、水の中に沈んでいるお御足を出して下さい」するとババはすぐに足を出してくれました。私は遅れをとるまいとそれを捉え、頭を垂れたのです。これを見て、ババは私を祝福してこう言いました。「さあ行きなさい。君は幸福を得るだろう。怖れることも不安になることもないよ」彼はまたこう付け加えました。「私のシャマにシルクの縁取りのあるドタールを与えなさい、そうすれば君に恩恵があるだろう」
ババの命に応えるために、パカデ氏はドタールを買って、マドハヴラオに渡してくれるようカカサヘブに頼んだが、マドハヴラオは受け取るのを拒んだ。ババが受け取るようにと示唆してくれない限り、自分は受け取らないと彼は言った。その後いくらか議論をした後、カカサヘブはくじを引くことに決めた。
疑いのある事柄についてはくじを引いて、引いたメモの結果に従うのがカカサヘブの習慣であった。この場合にも、一つには”受け取る”、もう一方には”断る”と書かれた2つのメモがババの足元に置かれ、子供に一つを引かせた。”受け取る”のメモが引かれたので、マドハヴラオはドタールを受け取った。このようにしてアナンドラオもマドハヴラオも満足し、カカサヘブの心配事も解決したのだった。
この話は、他の聖者の言葉にも敬意を払うよう私たちに熱心に勧めるものであるが、同時に私たちの母、すなわちグルに全幅の信頼を置き、その指示には従うように求めるものでもある。なぜならグルは私たちの幸福について、他の誰よりもよく知っているからである。あなたのハートにババの次の言葉を刻み込んでおくとよい。「世界には数え切れないほどの聖者がいるが、’私たちの父’(グル)は真のグルだ。
他の聖者もたくさん善いことを言うかもしれないが、私たちは自分のグルの言葉を忘れてはいけない。つまり心から自分のグルを愛し、完全に彼に全てを委ね、うやうやしく彼の前にひれ伏すのだ。そうすれば太陽にとって暗闇が無いのと同じように、君の前には越えるべき世俗の海はない」