癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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シルディ・サイババ(ババのサルカール)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

ババは自分の少年時代について次のように語っている。「私が子供の頃は、食べるためにビードへ出かけていた。そこでは縫い取りの仕事があり、労を惜しまず懸命に働いた。雇用主はそんな私をとても喜んでくれた。3人の少年が私より以前から働いていた。一人目は50ルピーを、二人目は100ルピー、三人目は150ルピーをもらっていたが、私は3人の合計よりも多い600ルピーを得ていた。

 

私の賢さを見た雇用主は私を愛し、褒め称え、一揃えの服と、頭にはターバン、そしてShelaをあてがってくれた。私はこの服を着ることなく手を通さずに取っておいた。私は人が与えてくれる物は長くは保たず、常に不完全だと思っていたのだ。だが私のサルカール()が与えてくれるものは、時の終わりまで続く。

 

どんな人が与えてくれるものも、彼のそれとは比べ物にならない。私のサルカールは言う。「さあ、受け取りなさい」だが皆が私のところへ来て言う。「下さい、与えて下さい」誰も私が言うことの意味を注意して聴いていない。私のサルカールの(霊的な富の)宝庫はいっぱいで、溢れている。私は言う。

 

「掘り出して、その富を荷車に詰めて持っていきなさい」私のファーキルの手法、私の主のリーラ、私のサルカールの性質は非常に独特だ。私はどうだろうか?肉体()は地と交わり、息は空気と交わる。この瞬間は二度とやってこない。私がどこへ行って座ろうと関係なく、マーヤは常に私をひどく悩ませるが、私はいつも自分の息子たちのことを気に掛けている。何事か(霊的な努力)を為す者は、その果実を収穫し、私の言葉を思い出す者は、非常に貴重な幸福を得るだろう」

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 


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シルディ・サイババ(断食とゴカレ夫人)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

ババは自身で断食することはなかったが、他の人々が行うことも許可しなかった。断食をする人の心は落ち着くことがなく、そうであれば一体どのようにしてパラマルタ(人生の目的)を得ることができようか?腹が空っぽでは神を悟ることはできない。まずは魂が満たされなくてはならない。

 

空腹で栄養もとっていないとしたら、その目で神を見、どの舌で彼の偉大さを語り、どの耳で神の言葉を聞くことができようか?つまり私たちの全ての器官が適切な滋養を取り健全な状態でいてこそ、献身もできれば、神を悟るためのサーダナもできるというものなのだ。だからこそ断食や過食は宜しくない。節度ある食事が身体と心の健康によいのである。

 

  ゴカレ夫人がカシバイ・カニトカール夫人(ババの帰依者)がダダ・ケルカールに宛てた紹介状を携えてシルディにやってきた。彼女はババの元へ行って、ババの足元に座り、3日間の断食を行うと決めていた。その前日、ババはシムガ1の聖なる祝日の間は自分の子供たちにはひもじい思いをさせることは許さない、

 

もし彼らが飢えるようなことがあれば、自分がここにいる意味がどこにあろうか、とダダ・ケルカールに言った。翌日になって婦人がダダ・ケルカールと共にやってきて、ババの足元に座ると、ババは即座に彼女に言った。「断食をする必要がどこにあるのかね?ダダバートの家に行って、プラン・ポリス(小麦粉とサトウキビを濃縮したものをつけて焼いた薄いパン)を用意して、彼の子供とあなたとで食べなさい」シムガの祝日は続いていた。

 

ケルカール婦人はその時生理中であり、ダダバートの家では調理をするものが誰もいなかった。そこでババの助言は非常に時を得たものだった。そこでゴカレ婦人はダダバートの家に行かざるを得ず、指示されたとおりに料理を用意した。彼女はその日調理をして他人にも自分にも食べさせたのだった。なんと美しい趣旨の良い話であろうか!

 

1.毎年ヒンドゥー教徒が、クムクムやニームから作った色のついた粉を投げ合って健康を祝う盛大な祭

 


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シルディ・サイババ(探求)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

ある時私たち4人は聖典やその他の宗教的な書物を勉強していて啓発され、ブラフマンの本質について議論し始めた。私たちのうち一人は、我々は自助努力によって自己を高めるのがよく、他人に頼るべきではないと言った。これに対し二人目は、自分の心を制御するものは恵まれていると答えた。私たちは思考や想念から解放されなくてはならず、私たちなしでは世界には何もないと言った。

 

三人目は、世界(現象)は常に動いており、形のないものが永遠であるので、私たちは非現実と現実を区別すべきであると言った。そして4人目(ババ自身)は、本で得た知識のみでは役に立たないと主張し、「我々に定められた義務を果たし、我らの肉体と心と5つのプラナをグルの足元に委ねようではないか。グルとは神であり、遍在するものだ。この確信を得るためには、確固とした無限の信仰が欠かせない」と付け加えた。

 

  こんな風に議論をしながら、私たち知識のある4人は神を求めて森の中をあてもなく歩き始めた。3人は誰の助けも借りず自分たちの知識で探求をしたいと考えた。途中、ヴァンジャリ(去勢牛に穀物などの商品を運ばせて売買をする人)に会い、彼は私たちに尋ねた。「こんなに暑い時期に、あなた方はどこへどうして行くんだね?」「森に行くんです」私たちは答えた。彼はさらに尋ねた。

 

「何を捜し求めているのかね?」私たちは曖昧にその場しのぎの答えを返した。私たちがあてもなく歩き回っているのを見て彼は心を動かされこう言った。「森を良く知らずに、やみくもに彷徨うものではないよ。林やジャングルの中を通りたいのなら、ガイドを連れて行かなくてはダメだ。

 

なぜこんな暑い昼の太陽の中を不必要に出て行こうとするんだね?探求の秘密を私に明かしてくれないなら、とにかく腰を下ろして、パンを食べ、水を飲み、休養を取ってから出かけなさい。いつも忍耐強くありなさい!」彼はとても優しく話しかけてくれたのだが、私たちは彼の意見を無視して歩き続けた。私たちは自己充足のできた人間であり、誰の助けも必要ないと思っていた。

 

森は広大で道もなく、木々はとても高く生い茂っていて、太陽の光線は突き抜けてくることはなかった。それで私たちは道に迷い、長い間あちこちを彷徨った。結局、非常に幸運なことに私たちが出発した地点に戻ってくることができた。さきほどのヴァンジャリに再び出会うと彼は言った。「自分自身の賢さに頼って君たちは道を見失ってしまった。物事の大小に関わらず、道を示してくれるガイドは常に必要であり、空っぽの腹ではどんな探求もうまくはいかない。神が意図しない限り、誰も途中で私たちに出会うことはない。

 

食べ物の差し入れは捨ててはいけないし、施された食事は押し返してはいけない。食事の差し入れは成功への幸先のよいしるしだと考えなさい」こう言いながら、彼はまた私たちに食事を差し出し、落ち着いて我慢強くなるように言った。またしても私の仲間たちはこの頼んでもいない親切を嫌い、彼の施した食事を捨ててしまった。

 

何の探求をするでもなく、食事を採ることもなく、3人は動き出した。彼らは非常に強情だった。私は空腹で喉も渇いていたので、ヴァンジャリの驚くべき愛情に心を動かされていた。私たちは自分たちがとても博学だと思っていたが、親切には慣れていなかった。ヴァンジャリは読み書きも出来ず、低いカーストに属していた。

 

だが彼の心は愛に溢れており、私たちにパンを食べるように薦めた。このように区別なく他人を愛する人が本当に啓発されていると言えるのだ。そして私は、彼の親切を受け入れることが知識を得る上で最高の一歩だと思った。そこで私は差し出されたパンの塊を有難く受け取って食べ、水を飲んだ。

 

  すると何ということか!グルが私たちの前に現れたのだ。「何について議論していたのかね?」彼が尋ねたので、私はこれまで起きたことを全て彼に話した。すると彼は言った。「私と共に来るかね?君の求めているものを見せてあげよう。だが私の言うことを信じる者だけが成功するだろう」他の3人は彼の話に同意せずその場を去ったが、私はうやうやしく彼に頭を下げ、彼の意見を受け入れた。

 

すると彼は私を井戸へ連れて行き、私の足をロープで縛り、頭を下に足を上にして井戸の側にある木から私を吊るした。私は水面から3フィート上方に吊るされ、手も口も届かなかった。こんな風に私を吊るした後、彼はどこかへ行ってしまい、行き先は誰も知らなかった。4,5時間後、彼は戻ってきて素早く私を引き上げると、どんな具合だったか尋ねた。「最高の至福でした。

 

私のような馬鹿者が私の体験した喜びをどうして表現できましょう?」と私は答えた。私の答えを聞いてグルはとても喜び、私を彼のそばに引き寄せて、その手で私の頭を叩き、私を彼の側に置いた。彼は母鳥が雛鳥にするように、やさしく私の面倒を見た。彼は私を彼の道場へ入れた。そこはなんと美しかったことか!私は両親のことも忘れ、全ての執着は途切れ、私は簡単に解放された。

 

私は常に彼を抱きしめ、彼を見つめ続けようと思った。彼の姿をこの目で見ていられないなら、私は盲目になったほうがマシだった。道場とはそんな場所だった!そこに入ってきた者は一人として、空手では戻ることができなかった。私のグルは何よりも大切で、私の故郷であり、母であり、父であり、私の全てであった。

 

私の全ての感覚は持ち場を去り、目だけに集中していた。私の目は彼に注がれていた。つまり私のグルは私が瞑想する唯一の対象であり、他の誰のことも意識になかった。彼を瞑想している間、私の心と知性は静かになったので、私も静かになり静寂の中で彼に頭を垂れたのだった*

 

  全く様子の異なる別の道場もある。弟子は知識を求めてそこへ行き、金と時間と労力を費やすものの、結局は大したものを得ることができない。そこではグルは秘密の知識と率直さを自慢にしている。彼は自分の神聖さを見世物にしている。彼はよく喋り自分自身の栄光を歌うが、その言葉は弟子の心に触れることはなく、彼らは確信することができない。

 

自己認識に関する限り、彼はそこへは到達していないのだ。そのような道場が弟子に何の役にたち、どんな恩恵があるだろうか?先に述べたマスターはこれとは違うタイプだった。彼の恩寵で、努力も勉学もすることなしに悟りは私自身の上に閃いた。私は何も探す必要はなく、全てが日の光のように私の前に明らかになった。頭を下に足を上にさかさまに吊るされることがどれほどの幸福を与えるかを、グルだけが知っているのである。

 

  4人の中で、一人はカルムカンディ(儀式主義)で、よく観察してどの儀式を控えた方が良いかを知っていた。二人目はドゥニャニで、知識に対する自尊心で得意になっていた。三人目はバクタで、神だけが唯一の行為者だと信じ、彼自身を完全に神に委ねていた。彼らが議論をしていたとき、神についての疑問が起こり、彼らは助力のない自らの知識を頼って、神の探求を始めた。識別と平静の権化であるサイは、4人のうちの一人だった。彼自身がブラフマンだとするならば、なぜ彼が他の3人と一緒になって愚かな行動をしたのか?と尋ねる向きもあろう。

 

彼は模範を示すためにそうしてみせたのだ。彼自身が化身であったとしても、彼は身分の低いヴァンジャリを尊敬し、彼からの食事の施しを、食べ物はブラフマンであるという堅い信念を持って受け取ることで、ヴァンジャリの親切な申し出を断った者たちは苦難に遭い、グルなしではドゥニャニを得ることが不可能であることを示してみせたのだ。

 

シュルティ(タイットリヤ・ウパニシャド)は私たちに母や父や教師を尊敬し崇拝すること、神聖な聖典を勉強すること(学び教える)を熱心に薦める。そうしたことは私たちの心を浄化する手段であり、こうした浄化が進んでいない限り、自己認識は不可能である。感覚も心も知性も自己には到達しない。認識や推論のような論証はこの場合私たちの役に立たない。役に立つのはグルの恩寵なのである。ダルマやアルタ、カーマといった私たちの人生の目的は努力次第で達成可能である。だが4つ目の目的、モクシャ(解脱)だけはグルの助けがなければどうにもならない。

 

  スリ・サイの生涯の物語の中には、たくさんの人物が登場しそれぞれに役割を演じている。占星家がやってきて予言をしたり、王子や貴族、普通の人、貧しい人、サニヤーシ、ヨギ、歌手、その他色々な人がダルシャンにやってくる。マハール(現在のパキスタンのシンディ族)ですらやってきて敬礼をし、「サイこそがマイ・バープ(本当の両親)で、誕生と死の輪廻を断ち切ってくださるのだ」と言うのである。

 

曲芸師やゴンダリス(信仰深い歌を歌う人)、盲目の人、足の不自由な人、ナスパンティス(瞑想を道とするヨギ)、ダンサー、その他の芸人など様々な人たちがやってきて、それぞれにふさわしい応対を受ける。ヴァンジャリもまた適切な時に現れて、彼に与えられた役割を演じたのだ。さてそれでは他の物語へ移ることにしよう。

 

*私たちは、井戸の中に4,5時間逆さまに吊るされたという表現を文字通りには受け取るべきでないと考えている。ロープで縛られ逆さまに井戸の中に何時間も吊るされて、安らぎや至福を感じることなど誰にもできないからである。これはトランスあるいはサマディ状態の比喩的な描写だと思われる。意識には二種類ある。

 

 (1)感覚的なものと、(2)霊的なもの。神によって創られ、外側へと向かう私たちの感覚と心が対象物に出会うと、私たちは感覚的な意識を受け、そこで私たちは喜びや痛み、それらの混じり合ったものを感じるが、それは最高の幸福、至福ではない。感覚と心が対象物から引っ込められ、反対の方向に向かう時、すなわち内側へ向かって自己に固定されるとき、私たちは別のもの、すなわち霊的な意識を得て、そこに言いようのない純粋な喜びと至福を感じるのである。

 

最高の至福でした。私のような馬鹿者が私の体験した喜びをどうして表現できましょう?という言葉はそれである。グルが彼をトランスに入れ、落ち着かない感覚と心という水の上方に彼を置いたからである。

 


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シルディ・サイババ(第三十二章 前置き)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

最初にヘマドパントは、上に伸びる根と下に生える枝というギータに出てくる表現を使って、アシュヴァッタ(バンヤン)の木の寓話によってサンサーラ(目に見える世界)を描写している。枝は上にも下にも広がり、グナ(性質)に養われており、その新芽は感覚の対象物である。行動へとつながる根は、人の世へと下方に伸びている。その姿も、その終わりも始まりも、土台も、この世では知ることはできない。このアシュヴァッタの木を頑丈な根っこから無執着という鋭い武器で切り倒した後に、人はそれを踏み越えて、後戻りのできない道を捜し求めるべきなのである。

 

  この道を越えるために、優れたガイド(グル)の助けが絶対的に必要である。博学な者でも、ヴェーダやヴェダンタ(聖なる書物)を深く学んだ者でも、無事にこの目的地に到達することは適わない。ガイドがそこにいて彼を助け正しい道を示していれば、彼は落とし穴を避けることができ、道中に出会う猛獣も脇へよけていくのである。

 

  このことについてババ自身が明らかにした彼の体験は大変に素晴らしく、あなた方に信仰と救いをもたらすであろう。


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シルディ・サイババ((5)トラ1)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

ババが亡くなる7日前、素晴らしい出来事がシルディで起きた。荷馬車がやってきてマスジッドの前で止まった。荷馬車の中には鉄の鎖で縛られたトラがいて、苦悶の表情で後方を向いていた。トラは何か痛みを伴う病気に苦しんでいた。トラの飼い主 - 3人のDerveshis - はトラを見世物にしてあちこちを移動して金を稼いでいた。彼らはそれで生計を立てていた。彼らはトラが患っている病を治そうと様々な治療を試したが、効果がなかった。

 

彼らはババの評判を聞き、トラと共に彼の元へやってきたのだった。彼らは鎖をつけたままトラを下ろし、扉の前に立たせた。トラは病に苦しんでいることを除けば、獰猛な野生動物だった。それゆえ落ち着きがなかった。人々は恐れと驚きを持ってこの様子を見ていた。Derveshisがトラについて説明をすると、ババが承諾したのでトラはババの前まで連れてこられた。

 

階段に近づくと、トラはババを畏れて後ずさりを始め、頭を垂れた。両者は互いに見詰め合うと、トラは階段を進み愛情のこもったまなざしでババを見た。突然、トラは尻尾を動かしたかと思うと、床に何度も身体を叩きつけて、意識を失くして倒れてしまった。トラが死んだのを見たDerveshisは、大変落胆して悲嘆に暮れたが、仕方がないものと受け入れた。

 

彼らはトラが病気になって死が近づいていると思った時、ババの足元で死を迎えられるならトラにとっても幸いだと考えていたのだった。彼らはトラに恩義があり、その恩義はトラを自由にしてやりサイの足元で終わりを迎えられたことで返済されたのだった。どんな生き物も聖者の足元で頭を垂れ死を迎えて自由になる。彼らが徳を積んでいなかったとしたら、どうしてこのように価値のある終わり方ができようか?

 

1.このトラはシルディのマハデヴ寺院の正面に埋葬されている。

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 

 


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シルディ・サイババ((4)メガ)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

メガの物語は28章で既に述べた。メガが死んだ時、村人全員が葬儀の行列に参加した。ババもそれに加わって、メガの身体にたくさんの花を注いだ。葬式が終わると、ババの目から涙がこぼれ、普通の人間としてのババは悲しみと悲嘆に暮れる様子を見せた。そして遺体を花で覆い、まるで近い親族のように泣いて、ババはマスジッドへ戻った。

 

  多くの聖者が人にサドガティ(解脱)を与える様子が伝えられているが、ババのそれは独特な偉大さがある。トラのような動物でも、欠点からの救いを求めてババの足元へやってくる。次はそんな物語である。


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シルディ・サイババ((3)タティヤサヘブ・ヌールカール)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

ヘマドパントはタティヤサヘブ・ヌールカールがシルディで死んだという事実の記載以外、彼に関する事柄には特に触れていない。”Sai Leela”誌に彼についての短い紹介文があるのでここに記述する。

 

  タティヤサヘブは1909年にパンダルプールの副判事を務めており、その頃ナナサヘブ・チャンドルカールが同地のマムラトダールであった。両者は頻繁に会って会話を交わしていた。タティヤサヘブは聖者を信じていなかった一方で、ナナサヘブは彼らを尊敬していた。ナナサヘブはしばしばサイババのリーラについて彼に話し、シルディに行ってババに会うように薦めた。

 

ヌールカールはようやく2つの条件をつけてシルディに行くことに同意した。(1)彼はブラーミンの料理人を見つけなくてはならない、(2)彼は供物としてナグプールの良質なオレンジを手に入れなくてはならない。どちらの条件も神意によって満たされた。ブラーミンがナナサヘブの元へ仕えるためにやってきたので、彼をタティヤサヘブの元へ行かせた。

 

そしてタティヤサヘブは100個の良質のオレンジを入れた小包を受け取ったが、送り主は不明だった。条件が満たされたので、タティヤサヘブはシルディに行かなくてはならなかった。最初ババは彼にとても激昂した。しかしタティヤサヘブがそうした経験を積み重ねるたびに、彼はババが神の化身であることを確信するようになった。

 

そして彼はババに夢中になって、死ぬまでそこに滞在したのだった。彼の最後が近づくと、彼に神聖な書物を読み聞かせ、最後の瞬間にはババの御足を洗った水を飲むよう与えられた。彼の死を聞いたババは言った。「おお、タティヤが私たちより先に行ってしまった。彼は二度と生まれないだろう」

 


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シルディ・サイババ((2)バララーム・マンカール)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

バララーム・マンカールという家長の帰依者がいた。彼の妻が亡くなった時彼は落胆して家督を息子に譲り、家を出てシルディに行ってババの元で暮らした。彼の信仰心を喜んだババは、彼の人生で善い行いをさせてやろうと思い、こんな手はずを整えた。ババは彼に12ルピーを与え、マチヒンドラガッド(サタラ地区)へ行って住むように言った。マンカールは初めババから離れて住むのを嫌がったが、ババはそれが彼にとって最良の道だと説得し、ガッド1で日に三度瞑想をするように言った。

 

ババの言葉を信じて彼はガッドへ行った。彼はその場所のうららかさや、清い水、新鮮な空気などをとても気に入り、ババに薦められた通りに精を出して瞑想をし始めた。数日後、彼は啓示を受けた。一般的にバクタはサマディの時かトランス状態で啓示を得るが、マンカールの場合はトランス状態から通常の意識に下りてくる時であった。ババ自身が彼の前に現れた。

 

マンカールはババを見て、なぜババは自分をこの場所に来させたのかを尋ねた。ババは答えた。「シルディでは君の心にたくさんの思念や考えが浮かび始めたので、私は君をそこに行かせて落ち着かない心を休ませたのだ。君は私が肉体と共にシルディにあって、5つの元素で出来ていて、三腕尺半の身長だと思っていた。さあ、君は今ここで見ている私が、シルディで見た私と同じかどうか分かるだろう。

 

だから私は君をそこへ行かせたのだ」そしてしばらくしてマンカールはガッドを去り、生まれ故郷のバンドラへ向かった。彼は列車でプーナからダダールへ行こうと思っていたが、切符を買いに売り場に行くと非常に混雑していた。彼はすぐには切符を買うことができなかった。

 

その時腰にランゴティ(布切れ)をまとい、肩にカンバリを着た村人が現れて言った。「どこまで行くのですか?」「ダダールまでです」マンカールは答えた。すると彼は言った。「では私のダダールまでのこの切符を使って下さい。私はこっちで急な用事ができて、ダダール行きを取り止めにしたので」マンカールは喜んでその切符を受け取り、ポケットから金を取り出している間に、その田舎者は人ごみの中に消えていた。

 

マンカールは雑踏の中彼を探そうとしたが見つからなかった。彼は列車が駅を出るまで彼を待っていたが、彼の姿はなかった。これがマンカールが奇妙な形で受け取った二つ目の啓示であった。それからマンカールは家に帰ってから、再びシルディを訪れ、ババの命令と助言に従ってババの足元に留まった。そして非常に幸運なことに彼はババの前でこの世を去ったのであった。

 

1.ガッド:マチヒンドラガッド

 


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シルディ・サイババ((1)ヴィジャヤナンド)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

チェンナイのサニヤーシ、ヴィジャヤナンドはマンサロヴァールへの巡礼の旅に出かけた。道中でババの評判を聞いた彼はシルディで足を止めた。彼はそこでハルドワールのソマデヴァジ・スワミと出会い、マンサロヴァールへの旅について彼に尋ねた。スワミはサロヴァールはガンゴトリの上方500マイルのところにあり、雪深い道程で、50kosごとに通用語が変わり、地元の人々は疑い深い気質で巡礼地までの道中で色々な面倒が起こる、など旅が困難であることを説明した。

 

これを聞いたサニヤーシは落胆して旅を取りやめにした。それから彼はババに会いに行ってその前にひれ伏すと、ババは激昂して言った。「この役立たずのサニヤーシを追い出せ。こいつの仲間も役に立たない」サニヤーシはババの性質を知らなかった。彼は不愉快な思いをしたが、そこに座って起きることを見ていた。その朝は、ダルバール、マスジッドは混みあっていた。人々は様々な方法でババを礼拝した。

 

ある者は彼の足を洗い、ある者はティルス(聖なる水)を取って嬉しそうに飲み、ある者はその水を目に当てた。またある者は白檀の練り粉を塗り、ある者は香の香りをババの身体に焚き付けた。そしてこのようにしている人々は皆、カーストや宗派のことを忘れていた。ババは彼に対して激昂していたが、彼はババに対する情愛に満たされていたので、彼はその場を去る気持ちにはならなかった。

 

  彼はシルディに滞在して2日経った時、チェンナイから手紙が届き、彼の母が重病であることを知らせてきた。彼は非常に心配して母親の側にいたいと思ったが、ババの許可なしには家に帰ることができなかった。未来を知る全知のババは彼に言った。「そんなに母親を愛しているなら、なぜ君はサニヤーシなどになったのかね?執着は黄土色の衣を誤って使うことになる。宿へ戻って静かに座っていなさい。数日辛抱して待つのだ。

 

ワダにはたくさんの泥棒がいるから、部屋のドアをしっかり閉めてきちんと用心していなさい。そうでないと泥棒が何もかも持って行ってしまうから。富や繁栄はつかの間のもので、肉体は衰え死に至る。このことを知って、自分の義務を果たし、今世と来世への物事への執着を全て手放しなさい。このようにしてハリの足元に全てを委ねる者は、あらゆる困難から解放され至福を得るだろう。

 

主は、愛と情熱を持って彼を思い浮かべ、彼に瞑想する者の為に奔走し彼を助けるのだ。君が過去に積んだ功徳が大きいから、君はここへきたのだ。さあ、私の言ったことに心を向けて、人生の目的を理解しなさい。明日からバグワットの勉強を始めなさい。3つのサプタすなわち、3週間で3冊の書物を読むことを誠実に行いなさい。

 

そうすれば主は喜んで、君の悲しみを打ち砕き、幻想は消え、君は永遠の平安を得ることができるだろう」彼の最後が近づいていることを見て取ったババは、彼にこのような処方をし、ラーマジヴァヤを読ませ、死の神を喜ばせたのだった。翌朝、沐浴をしてその他の清めの儀式をした後、彼はレンディの庭の引っ込んだ場所でバグワットを読み始めた。彼は二冊を読み終え、大変に疲れを感じた。

 

彼はワダに戻り2日間宿にいて、3日目にファーキル(ババ)の元で息を引き取った。ババはある理由で一日遺体をそのままにしておくように告げた。その後警察がやってきて、必要な質問をしてから遺体の処理をする許可を出した。遺体は相応の儀式の元に適切な場所に埋葬された。このようにしてババはサニヤーシを助け彼にサドガティ(救い)を約束したのであった。

 


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シルディ・サイババ(第三十一章 前置き)

2011-10-14 | シルディ・サイババ

人の死の間際の最後の願いや思いは、未来の行く先を決定づける。スリ・クリシュナはギータの中で(VIII-5-6)こう言っている。「最後の瞬間に私のことを思い出す者は、間違いなく私の元へやってくる。その瞬間に他のことを思う者は、彼が望む場所へ行く」私たちは最後の瞬間に特定の善い思いを抱けるかどうかは確信がもてないし、そればかりか私たちは死を恐れるであろう。

 

だからこそどんな時も心を善い思念に定めておけるように常に練習することが必要である。どの聖者も私たちに神を思い、彼の名を唱えることを薦める。そうすれば旅立ちのときがやってきても、慌てたり不安になったりすることはないからだ。帰依者の側は聖者にその身を委ね、聖者が最後の瞬間に自分たちを助け道案内をしてくれると完全に信じている。ここではそのような事例をいくつか取り上げてみよう。

 


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