1904年から1905年の頃、ナナサヘブ・チャンドルカールはシルディから100マイル離れたカンデシュ地区のジャムネールのマムラトダールであった。彼の娘マイナタイは妊娠しており、出産の時期に来ていた。彼女はひどい難産で、この2,3日の間陣痛で苦しんでいた。
ナナサヘブはあらゆる処方を試みたが効果がなかった。そこで彼はババのことを思い出し、彼の加護を乞うた。そのころシルディでは、ラムギルブア(ババはバプギルブアと呼んでいた)が生まれ故郷のカンデシュへ帰るところだった。
ババは彼を呼んで、途中でジャムネールに寄って、ナナサヘブにウディを渡し、アーティをするように伝えた。ラムギルブアはわずか2ルピーしか持っておらず、これだけではジャルガオンまでの運賃がやっとで、ジャルガオンから30マイル離れているジャムネールに向かうのは不可能だと言った。
ババは彼に全ては用意されるから心配はいらないと請合った。それからババはシャマに言ってマドハヴ・アドカールが作った有名なアーティ(アーティとこの翻訳版は本書の末尾を参照)を書かせ、ウディと共にラムギルブアに渡し、ナナサヘブに持っていくように言った。そこでババの言葉に従って、ラムギルブアはシルディを離れ、午前2時45分にジャルガオンに到着した。
彼の手元にはたった2アナ(0.125ルピー)しか残っておらず、困っていた。誰かが「シルディのバプギルブアはおいでですか?」と呼ぶのを聴いたときには、彼はほっと安堵した。彼はその人の所へ行き、自分がバプギルブアだと言った。するとその人物は、ナナサヘブの用意した素晴らしいトンガが彼を迎えに着ていると告げた。彼らはそれに乗り込んだ。トンガの速度は速く、早朝には小川に出た。御者は馬に水を飲ませ、ラムギルブアには食べ物を分けてくれた。
あごひげと口髭、そして彼の服装から、ラムギルブアは彼がイスラム教徒ではないかと思ったので、彼からは食べ物を受け取りたくなかった。だが彼は自分はガルーワルのクシャトリアのヒンドゥー教徒であり、これらの食べ物はナナサヘブが持たせてくれたもので、受け取っても問題はないと言ってラムギルブアを安心させた。
そして彼らは軽食を採り、再び出発した。彼らは夜明けにジャムネールに到着した。ラムギルブアは降りて小用を足すと、数分で戻ってきたが、そこにはもうトンガはなく、御者もいなかった。彼は口が利けないほどびっくりした。それから彼は近隣のKachehriへ行って尋ねたところ、ジマムラトダールは在宅であると言われた。
彼はナナサヘブの家に行って、彼にババのウディとアーティを書いた紙を渡した。この時マイナタイの状態は大変深刻で、皆が彼女のことを酷く心配していた。ナナサヘブは妻を呼んでウディを水に混ぜて娘に飲ませるように言った。彼はババの助けは本当に時を得ていると思った。数分のうちに、出産は無事に済み、危機は脱したと知らされた。
ラムギルブアはナナサヘブが使用人とトンガと軽食を手配してくれたことに感謝を述べたが、ナナサヘブが非常に驚いたことに、彼は誰も駅に送ってはおらず、シルディから誰か人が来ることも知らなかったのだった。
マムラトダールを退職したタナのB.V.Dev氏はこの件について、ナナサヘブの息子のバプラオ・チャンドルカールとシルディのラムギルブアに質問をしている。彼が苦心して書き上げた文章 - 一部は散文で、一部は詩 - は、”Shri Sai Leela”誌に掲載されている。(vol.13 Nos.11,12,13)。B.V.ナルシムハスワミもまた、1936年6月1日と、1936年9月16日、1936年12月1日にそれぞれ(1)マイナタイ(No.V.14項)と(2)バプサヘブ・チャンドルカール(No.XX, 50項)と(3)ラムギルブア(No.XVII, 83項)を、彼の’帰依者たちの体験’の中で取り上げ出版している。次の記述はラムギルブアの発言からの引用である。
「ある日ババは私を呼んで一袋のウディとババのアーティを書き写した紙を私に渡しました。その時私はカーンデッシュに行かねばなりませんでした。ババは私にジャムネールへ行ってアーティとウディをジャムナールのナナサヘブ・チャンドルカールに持っていくよう命じたのです。私はババに、自分は2ルピーしか持っておらず、どうやって列車でコペルガオンからジャルガオンに行って、ジャルガオンからジャムネールにいけばよいのかと尋ねました。するとババは、「神が導いてくれる」と言いました。その日は金曜で私はすぐに出発しました。
マンマッドには午後7時半に着いて、ジャルガオンには午前2時45分に着きました。その時はペストの規制が行われていて、私は非常に困ってしまいました。どうやってジャムネールまで行けばよいのかと考えていました。
すると3時頃にブーツを履いてターバンを巻き、いい身なりをしたペオンが私のところへやってきて、トンガに乗せて連れて行ってくれたのです。途中バグールで私は軽食を採りました。ジャムネールには早朝に到着し、私が小用を足している間にトンガも彼も消えてしまったのです(83項)」