癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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シルディ・サイババ(ジャムネールの奇跡)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

1904年から1905年の頃、ナナサヘブ・チャンドルカールはシルディから100マイル離れたカンデシュ地区のジャムネールのマムラトダールであった。彼の娘マイナタイは妊娠しており、出産の時期に来ていた。彼女はひどい難産で、この2,3日の間陣痛で苦しんでいた。

 

ナナサヘブはあらゆる処方を試みたが効果がなかった。そこで彼はババのことを思い出し、彼の加護を乞うた。そのころシルディでは、ラムギルブア(ババはバプギルブアと呼んでいた)が生まれ故郷のカンデシュへ帰るところだった。

 

ババは彼を呼んで、途中でジャムネールに寄って、ナナサヘブにウディを渡し、アーティをするように伝えた。ラムギルブアはわずか2ルピーしか持っておらず、これだけではジャルガオンまでの運賃がやっとで、ジャルガオンから30マイル離れているジャムネールに向かうのは不可能だと言った。

 

ババは彼に全ては用意されるから心配はいらないと請合った。それからババはシャマに言ってマドハヴ・アドカールが作った有名なアーティ(アーティとこの翻訳版は本書の末尾を参照)を書かせ、ウディと共にラムギルブアに渡し、ナナサヘブに持っていくように言った。そこでババの言葉に従って、ラムギルブアはシルディを離れ、午前245分にジャルガオンに到着した。

 

彼の手元にはたった2アナ(0.125ルピー)しか残っておらず、困っていた。誰かが「シルディのバプギルブアはおいでですか?」と呼ぶのを聴いたときには、彼はほっと安堵した。彼はその人の所へ行き、自分がバプギルブアだと言った。するとその人物は、ナナサヘブの用意した素晴らしいトンガが彼を迎えに着ていると告げた。彼らはそれに乗り込んだ。トンガの速度は速く、早朝には小川に出た。御者は馬に水を飲ませ、ラムギルブアには食べ物を分けてくれた。

 

あごひげと口髭、そして彼の服装から、ラムギルブアは彼がイスラム教徒ではないかと思ったので、彼からは食べ物を受け取りたくなかった。だが彼は自分はガルーワルのクシャトリアのヒンドゥー教徒であり、これらの食べ物はナナサヘブが持たせてくれたもので、受け取っても問題はないと言ってラムギルブアを安心させた。

 

そして彼らは軽食を採り、再び出発した。彼らは夜明けにジャムネールに到着した。ラムギルブアは降りて小用を足すと、数分で戻ってきたが、そこにはもうトンガはなく、御者もいなかった。彼は口が利けないほどびっくりした。それから彼は近隣のKachehriへ行って尋ねたところ、ジマムラトダールは在宅であると言われた。

 

彼はナナサヘブの家に行って、彼にババのウディとアーティを書いた紙を渡した。この時マイナタイの状態は大変深刻で、皆が彼女のことを酷く心配していた。ナナサヘブは妻を呼んでウディを水に混ぜて娘に飲ませるように言った。彼はババの助けは本当に時を得ていると思った。数分のうちに、出産は無事に済み、危機は脱したと知らされた。

 

ラムギルブアはナナサヘブが使用人とトンガと軽食を手配してくれたことに感謝を述べたが、ナナサヘブが非常に驚いたことに、彼は誰も駅に送ってはおらず、シルディから誰か人が来ることも知らなかったのだった。

 

  マムラトダールを退職したタナのB.V.Dev氏はこの件について、ナナサヘブの息子のバプラオ・チャンドルカールとシルディのラムギルブアに質問をしている。彼が苦心して書き上げた文章 - 一部は散文で、一部は詩 - は、”Shri Sai Leela”誌に掲載されている。(vol.13 Nos.11,12,13)B.V.ナルシムハスワミもまた、193661日と、1936916日、1936121日にそれぞれ(1)マイナタイ(No.V.14)(2)バプサヘブ・チャンドルカール(No.XX, 50)(3)ラムギルブア(No.XVII, 83)を、彼の帰依者たちの体験の中で取り上げ出版している。次の記述はラムギルブアの発言からの引用である。

 

  「ある日ババは私を呼んで一袋のウディとババのアーティを書き写した紙を私に渡しました。その時私はカーンデッシュに行かねばなりませんでした。ババは私にジャムネールへ行ってアーティとウディをジャムナールのナナサヘブ・チャンドルカールに持っていくよう命じたのです。私はババに、自分は2ルピーしか持っておらず、どうやって列車でコペルガオンからジャルガオンに行って、ジャルガオンからジャムネールにいけばよいのかと尋ねました。するとババは、「神が導いてくれる」と言いました。その日は金曜で私はすぐに出発しました。

 

マンマッドには午後7時半に着いて、ジャルガオンには午前245分に着きました。その時はペストの規制が行われていて、私は非常に困ってしまいました。どうやってジャムネールまで行けばよいのかと考えていました。

 

すると3時頃にブーツを履いてターバンを巻き、いい身なりをしたペオンが私のところへやってきて、トンガに乗せて連れて行ってくれたのです。途中バグールで私は軽食を採りました。ジャムネールには早朝に到着し、私が小用を足している間にトンガも彼も消えてしまったのです(83)

 


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シルディ・サイババ(腺ペストの症例)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

ある時バンドラの帰依者は、別の場所に住んでいる彼の娘が腺ペストで倒れたことを知らされた。彼はウディを持っていなかったので、ナナサヘブ・チャンドルカールにウディを送ってくれるように頼んだ。

 

ナナサヘブは、妻とカルヤンへ旅行をする途中のタナの駅でこの伝言を受け取った。彼はその時ウディを持っていなかった。そこで彼は道端の砂塵を拾い上げ、サイババに瞑想をして、彼の加護を乞い、彼の妻の額につけた。帰依者は、ナナサヘブがタナ駅のそばでババの加護を乞うたまさにその瞬間に、3日間苦しんでいた娘が快方に向かったことを知り大変に喜んだのだった。


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シルディ・サイババ(サソリにかまれて)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

ナシクのナラヤン・モーティラム・ジャニはババの帰依者だった。彼はラムチャンドラ・ヴァマン・モデクというもう一人のババの帰依者の元で働いていた。ある時、彼は母親と共にシルディに行き、ババに会った。するとババは母親に、息子は独立してビジネスを始めるべきだと言った。

 

数日後、この予言は現実になった。ナラヤン・ジャニは奉公を辞め、下宿屋を始めたのである - アナンド・アシュラムというこの下宿はよく繁盛した。ある時このナラヤンラオの友人が蠍に噛まれて、その痛みは酷く耐え難いものになった。このような場合ウディが最も効果を発揮する。

 

ナラヤンラオは痛む部分に塗ろうとして探したが、見つからなかった。そこで彼はババの絵の前に立ち、ババの加護を乞い、ババの名を唱えて、ババの絵の前で燃えている香の灰を一つまみ取り上げると、それをババのウディであると考えて、噛まれて痛みのある箇所に塗った。彼が指をどけてみると、痛みは消えており、二人は感動して喜んだのであった。


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シルディ・サイババ(ウディ)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

ババが皆からダクシナを取って、集めたその中から彼が慈善をしたり燃料を買ったりしていたことは良く知られている。この燃料で、彼はドゥーニ、聖なる火をずっと燃やし続けていた。この炎の後にできる灰がウディと呼ばれ、帰依者たちがシルディを去る際に自由に配られた。

 

  ババはウディによって何を教えたかったのだろうか?ババがこのウディによって教えたことは、この宇宙で目に見える現象は灰のごとくはかないものであるということだ。

 

私たちの身体は5つの元素によって作られており、お楽しみが終われば崩れて、灰になってしまう。彼らの肉体は灰に帰してしまうのだという事実を帰依者たちに思い出させるために、ババは彼らにウディを配ったのである。

 

またババはウディによって、ブラフマンが唯一の真実であり、宇宙はつかのまであり、この世で息子も父も妻も、誰一人本当の私たちではないということを教えたのである。

 

私たちはここへ一人でやってきて、一人で去ってゆかねばならない。ウディは数多くの身体的、精神的な病を治してきたが、ババは繰り返し帰依者の耳に、真実でないことと真実との区別の原理について教えたかったのだった。

 

彼はウディとダクシナによって、真実でないことへの無執着を教えた。前者(ウディ)は区別を私たちに教え、後者(ダクシナ)は私たちに無執着を教えた。私たちがその2つを捨てない限り、世俗の海を渡っていくことは不可能である。

 

だからババはダクシナを求め、一方で帰依者たちがいとまごいをする際にはプラサドとしてウディを与え、そのうちの少量を彼らの額に塗り、彼の恩恵を授ける手を彼らの上に置いたのである。

 

ババが朗らかな気分のときは、嬉しそうに歌を歌った。一つはウディの歌であった。この歌の意味は、おお、陽気なラーマ、来て、来てウディを持ってやってきてというもので、ババはとてもはっきりと優しい調子で歌っていた。

 

  霊的な意味合いを除いても、ウディには物質的な重要性があった。それは健康や繁栄、心配事からの解放、その他数多くの世俗的な利益を授けてくれた。だからウディは私たちに霊的な事柄と同様に物質的な目的を得ることをも助けていたのである。さてここでウディの物語を始めることにしよう。

 


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シルディ・サイババ(第三十三章 前置き)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

さあ偉大な聖者たちの前に頭を垂れよう。彼らの慈悲深い一瞥は山ほどもある罪を打ち砕き、私たちの性質の欠点を取り去ってくれる。彼らの話は良い教えであり、非常に貴重な幸福を私たちに与えてくれる。

 

彼らの心は、“これは私たちのもので、それはあなたたちのものだ”などといって違いを認識しない。そのような区別は彼の心には生じない。彼らの負債(恩義)には、今世の私たち、また幾度生まれ変わった未来世でも報いることはできない。

 


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