2冊の新書
高齢化社会に関して最近話題になった2冊の新刊本がある。八代尚宏氏の『シルバー民主主義』(中公新書)と藤田孝典氏の『下流老人』(朝日新書)だ。『下流老人』の出版は2015年6月、『シルバー民主主義』は2016年5月。相次いで出版と言えるかどうかは微妙だが、背景には年金改革や、頻繁に起きている生活困窮老人の自殺がある。
2冊の内容は対照的。経済学者の八代氏は副題「高齢者優遇をどう克服するか」の通り年金財政改善が急務であること、そのための高齢者優遇ストップと若者層の負担軽減を、学者らしい視点で提唱している。オビの「老人に甘いツケは老人が払う」のキャッチコピーが刺激的だ。これに対して長くソーシャルワーカーとして貧困老人の相談相手となってきた藤田氏は、経験した諸ケースを紹介しつつ「一億総老後崩壊の衝撃」(副題)と警鐘を鳴らしている。学者の鋭い分析と提言に対し、現場からの生々しい報告。八代氏が政策を推し進める立場から、藤田氏が困窮老人の側からと、それぞれの立ち位置も好対照である。
八代氏の「シルバー民主主義」
「八代氏の」と冠した理由は、八代氏が最初に「シルバー民主主義」という語を使ったわけではないため。早大名誉教授だった内田満氏の1986年の著書『シルバー・デモクラシー』(有斐閣)が初出のようだ。有権者中に高齢者の占める比率が高くなると、政治家は高齢者を重視した政策を採用しがちになる。その結果、若い人向けの施策は軽んじられる――が内田氏の説いたポイント。八代氏の著『シルバー民主主義』は、この視座から高齢者の年金支給額や医療費を見直し、高齢者向け予算全体の抑制・削減を促そうとする内容だ。
八代氏の論の背景には、現在の高齢者は金銭的に豊かだ、との認識があるようだ。一例として2014年総務省「全国消費実態調査」を示し、一世帯当たりの年間平均収入が60歳代(世帯平均人員2.67人)で606万円、70歳代(同2.36人)で462万円もある、と。なるほど「豊かな高齢者」の理由が肯けるが、信じがたい数字でもある。数字が跳ね上がった理由は、会社役員として高給をもらい続ける高齢者まで含めた平均値のため。高齢者は本当に豊かであるか。藤田氏の報告は、むしろ逆だ。
下流老人
藤田氏が『下流老人』の「はじめに」で断っているように、こちらの言葉は藤田氏の造語である。「下流老人という言葉に高齢者をバカにしたり、見下したりする意図はなく(中略)、下流老人という言葉を用いることで、高齢者の逼迫(ひっぱく)した生活とその裏側に潜む問題をあらわにしていくことが目的である」と。十分にインパクト感のある語だ。
八代氏が紹介した「実態調査」と異なり、藤田氏が載せたのは厚生労働省の2013年「国民生活基礎調査」中の「高齢者世帯1年間の所得金額」。高齢者とは65歳以上を指す。それによると1世帯あたり平均所得金額は309万円。高額所得者も含めた平均値であり、真の意味で実態に近い中央値では250万円になる。これなら肯ける額かもしれない。
貯蓄額も全高齢者の17%が「まったく貯蓄なし」で、「なし」に「貯蓄200万円以下」を加えると30%に達する。ガンになって何度か手術と入院を繰り返せば、たちまち貯蓄が底をつく層が3割いるわけだ。いわゆる「年金支給額カット法案」で一律に支給額が減った場合、3割の層は医療が受けられなくなる可能性もある。
待ち受ける「下流老人」の可能性
中央値である「年間所得金額250万円」は、大半が年金収入によるもの。老夫婦2人が持ち家で暮らす場合、一方が病気や事故で入院という事態にでもならない限り、つつましい暮らしなら成り立ちそうだ。だが人生に想定外の出来事は付きもの。気づけば「下流老人」に転落していたというケースは意外に多い。500万円の預貯金を糖尿病と腰痛の医療で使い果たし、月9万円の厚生年金では生活出来ず、道端の野草を食べて生活保護費受給までにこぎつけた元自衛官。うつ病の娘を抱えて医療費の支払いに追われ、月17万円の厚生年金では生活出来ずに、月9万円の赤字を埋めるため持ち家を手放した元金型工と妻。熟年離婚のため厚生年金が折半となり、月額12万円で暮らす元銀行員――など。高齢者の68%は病気持ち、とのデータもある。窮状不問の一律支給額カットは、病人を抱えた高齢者世帯をさらに追い詰める。一律カットは消費税と同じく、富者に有利で貧者に不利な方法だ。
言葉のトリックとしての「シルバー民主主義」
若い人が高齢者の年金を支える「賦課方式」に無理があることは、高齢者自身も知っている。できるなら孫子に迷惑をかけたくないと誰もが思っているだろう。だが今日食べるお金がない、医者にもかかれない、という時でも声を上げずに我慢すべきか。2015年5月、全日本年金者組合が「年金額引き下げは憲法違反」とする訴えを全国で起こした。これを「シルバー民主主義」の一例と断じて「最悪水準の政府債務をさらに悪化させ、社会保障制度改革を妨げる可能性がある」と見る論評さえあった。
ある面「シルバー民主主義」の語は、高齢者層と若者層を反目させる言葉のトリックだと言える。高齢者間の所得格差から目を逸(そ)らし、対立の構図を「高齢者対若者」へと誤導する。事実、富裕な高齢者はいる。世代間の対立と捉える前に、なお会社役員として高給を取る高齢者の基礎年金支給停止など、他の改善策を探ってみてはどうなのか。
危険な風潮の芽
人数が多く投票率も高い高齢者の意向は政治に反映されやすい。そこで「シルバー民主主義」に警鐘を鳴らす論者の間には、高齢者の「1票」に制限を加えようとの主張がある。なかには余命に応じて「1票」の価値に差をつけ、若い人の意見をより多く政治に反映させる「余命比例投票」案もあるというから呆れる。
年齢や性別、出生地、障害の有無といった一切を問わず、すべての人が等しく「1票」の権利を持つことは民主社会の基本だ。「1人1票」は政治の枠にとどまらず、平等と人権の精神でもある。麻生副総理の「90歳でこれから老後? いつまで生きるつもり」の発言や神奈川県相模原市で起きた障害者施設惨殺事件に「弱者不要論」の芽を感じる。惨殺犯も「医療費の無駄遣い」を口実にしていた。「シルバー民主主義」の語に、同じ根っこはないのだろうか。
高齢化社会に関して最近話題になった2冊の新刊本がある。八代尚宏氏の『シルバー民主主義』(中公新書)と藤田孝典氏の『下流老人』(朝日新書)だ。『下流老人』の出版は2015年6月、『シルバー民主主義』は2016年5月。相次いで出版と言えるかどうかは微妙だが、背景には年金改革や、頻繁に起きている生活困窮老人の自殺がある。
2冊の内容は対照的。経済学者の八代氏は副題「高齢者優遇をどう克服するか」の通り年金財政改善が急務であること、そのための高齢者優遇ストップと若者層の負担軽減を、学者らしい視点で提唱している。オビの「老人に甘いツケは老人が払う」のキャッチコピーが刺激的だ。これに対して長くソーシャルワーカーとして貧困老人の相談相手となってきた藤田氏は、経験した諸ケースを紹介しつつ「一億総老後崩壊の衝撃」(副題)と警鐘を鳴らしている。学者の鋭い分析と提言に対し、現場からの生々しい報告。八代氏が政策を推し進める立場から、藤田氏が困窮老人の側からと、それぞれの立ち位置も好対照である。
八代氏の「シルバー民主主義」
「八代氏の」と冠した理由は、八代氏が最初に「シルバー民主主義」という語を使ったわけではないため。早大名誉教授だった内田満氏の1986年の著書『シルバー・デモクラシー』(有斐閣)が初出のようだ。有権者中に高齢者の占める比率が高くなると、政治家は高齢者を重視した政策を採用しがちになる。その結果、若い人向けの施策は軽んじられる――が内田氏の説いたポイント。八代氏の著『シルバー民主主義』は、この視座から高齢者の年金支給額や医療費を見直し、高齢者向け予算全体の抑制・削減を促そうとする内容だ。
八代氏の論の背景には、現在の高齢者は金銭的に豊かだ、との認識があるようだ。一例として2014年総務省「全国消費実態調査」を示し、一世帯当たりの年間平均収入が60歳代(世帯平均人員2.67人)で606万円、70歳代(同2.36人)で462万円もある、と。なるほど「豊かな高齢者」の理由が肯けるが、信じがたい数字でもある。数字が跳ね上がった理由は、会社役員として高給をもらい続ける高齢者まで含めた平均値のため。高齢者は本当に豊かであるか。藤田氏の報告は、むしろ逆だ。
下流老人
藤田氏が『下流老人』の「はじめに」で断っているように、こちらの言葉は藤田氏の造語である。「下流老人という言葉に高齢者をバカにしたり、見下したりする意図はなく(中略)、下流老人という言葉を用いることで、高齢者の逼迫(ひっぱく)した生活とその裏側に潜む問題をあらわにしていくことが目的である」と。十分にインパクト感のある語だ。
八代氏が紹介した「実態調査」と異なり、藤田氏が載せたのは厚生労働省の2013年「国民生活基礎調査」中の「高齢者世帯1年間の所得金額」。高齢者とは65歳以上を指す。それによると1世帯あたり平均所得金額は309万円。高額所得者も含めた平均値であり、真の意味で実態に近い中央値では250万円になる。これなら肯ける額かもしれない。
貯蓄額も全高齢者の17%が「まったく貯蓄なし」で、「なし」に「貯蓄200万円以下」を加えると30%に達する。ガンになって何度か手術と入院を繰り返せば、たちまち貯蓄が底をつく層が3割いるわけだ。いわゆる「年金支給額カット法案」で一律に支給額が減った場合、3割の層は医療が受けられなくなる可能性もある。
待ち受ける「下流老人」の可能性
中央値である「年間所得金額250万円」は、大半が年金収入によるもの。老夫婦2人が持ち家で暮らす場合、一方が病気や事故で入院という事態にでもならない限り、つつましい暮らしなら成り立ちそうだ。だが人生に想定外の出来事は付きもの。気づけば「下流老人」に転落していたというケースは意外に多い。500万円の預貯金を糖尿病と腰痛の医療で使い果たし、月9万円の厚生年金では生活出来ず、道端の野草を食べて生活保護費受給までにこぎつけた元自衛官。うつ病の娘を抱えて医療費の支払いに追われ、月17万円の厚生年金では生活出来ずに、月9万円の赤字を埋めるため持ち家を手放した元金型工と妻。熟年離婚のため厚生年金が折半となり、月額12万円で暮らす元銀行員――など。高齢者の68%は病気持ち、とのデータもある。窮状不問の一律支給額カットは、病人を抱えた高齢者世帯をさらに追い詰める。一律カットは消費税と同じく、富者に有利で貧者に不利な方法だ。
言葉のトリックとしての「シルバー民主主義」
若い人が高齢者の年金を支える「賦課方式」に無理があることは、高齢者自身も知っている。できるなら孫子に迷惑をかけたくないと誰もが思っているだろう。だが今日食べるお金がない、医者にもかかれない、という時でも声を上げずに我慢すべきか。2015年5月、全日本年金者組合が「年金額引き下げは憲法違反」とする訴えを全国で起こした。これを「シルバー民主主義」の一例と断じて「最悪水準の政府債務をさらに悪化させ、社会保障制度改革を妨げる可能性がある」と見る論評さえあった。
ある面「シルバー民主主義」の語は、高齢者層と若者層を反目させる言葉のトリックだと言える。高齢者間の所得格差から目を逸(そ)らし、対立の構図を「高齢者対若者」へと誤導する。事実、富裕な高齢者はいる。世代間の対立と捉える前に、なお会社役員として高給を取る高齢者の基礎年金支給停止など、他の改善策を探ってみてはどうなのか。
危険な風潮の芽
人数が多く投票率も高い高齢者の意向は政治に反映されやすい。そこで「シルバー民主主義」に警鐘を鳴らす論者の間には、高齢者の「1票」に制限を加えようとの主張がある。なかには余命に応じて「1票」の価値に差をつけ、若い人の意見をより多く政治に反映させる「余命比例投票」案もあるというから呆れる。
年齢や性別、出生地、障害の有無といった一切を問わず、すべての人が等しく「1票」の権利を持つことは民主社会の基本だ。「1人1票」は政治の枠にとどまらず、平等と人権の精神でもある。麻生副総理の「90歳でこれから老後? いつまで生きるつもり」の発言や神奈川県相模原市で起きた障害者施設惨殺事件に「弱者不要論」の芽を感じる。惨殺犯も「医療費の無駄遣い」を口実にしていた。「シルバー民主主義」の語に、同じ根っこはないのだろうか。