斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

9 【賦課方式】

2016年11月14日 | 言葉
 少し違う
 日本の年金制度が論じられるとき、必ず登場する「賦課(ふか)方式」という語。現役世代が引退世代の年金支給をそっくり支える関係が「賦課方式」だ。メディアは逆ピラミッド型の世代構成図を添え、少子高齢化による現役世代と引退世代の不平等や、将来への制度的不安を指摘する。当然のごとく現役世代は、引退世代へ支給される年金は自分たちから集めた年金保険料だと考える。一方の引退世代も、現在受け取っている年金は現役世代が支払ったものだと思い込んでいる。実は少し違う。

 あいまいな言葉
 日本の年金制度に、いつから「賦課方式」が導入されたのかとなると明確な答えはない。1944年に厚生年金保険法が施行された当初は「積立方式」で、1954年の新厚生年金保険法により「修正積立方式」に改められたとされる。年金として将来受け取るための原資を現役時代に積み立てておくのが「積立方式」で、積立預貯金と同じ理屈だから分かりやすい。対する「修正積立方式」は現在の「賦課方式」を基本としつつ、実際には「年金制度が軌道に乗る(成熟化)まで」との条件付きで「積立方式」を併用する。まだ「賦課方式」という語は前面に謳(うた)われていない。2004年の公的年金制度改革では「世代間扶養」の語で「賦課方式」の方針が明確化された。「100年安心プラン」のキャッチフレーズが有名だ。この時をもって日本の年金制度は「賦課方式」へ転換したと言える。しかし同時に「年金積立金」を使いきるべく取り崩すことが前提とされたから、実際には「修正積立方式」とあまり変わらない。
 「賦課方式」はあいまいな言葉だ。というか、あいまいな性格のまま日本の年金制度は政治家たちのオモチャにされてきた、という方が真実に近い。「コトノハ」欄の趣旨に沿って言うなら「賦課方式」という語には、あいまいさゆえに成立するトリックがある。

 年金積立金は誰のもの?
 筆者のような団塊世代は社会人の仲間入りをした頃、年金については「退職後にもらう積立貯金のようなもの」と説明されてきた。在職中は年金のことなど気にもかけなかったから、知らないうちに「賦課方式」に変わっていた、というのが正直なところだ。
 ここで考えてみよう。「積立方式」であれば、年金支給に回してもなお残る剰余金は「年金積立金」つまり貯金しておいた分ということになる。団塊世代は文字通り人数が多く、高度経済成長の順風も吹いていた。定期の預貯金にすれば、放っておいても10年で2倍に増える高利息の時代だから、あえて運用をせずとも剰余金は巨額にのぼった。これらは基本的に預金者のお金であり、政府が自由に使えるお金ではない。といっても、いつから「賦課方式」に切り替わったのかが明快でなければ、どこからどこまでが貯金かという線引きは難しい。
 すっかり「賦課方式」に切り替わり、現役世代が退職世代を全面的に支えることになれば、これまで退職世代が積み上げてきた貯金分の「年金積立金」は宙に浮く。単純化して考えれば、の話だ。現実には、現役世代が支え切れない分を「年金積立金」から取り崩して充てているので、純粋な「賦課方式」ではない。あいまいさはトリックの生まれる背景である。

 政治家のオモチャだった「年金積立金」
 「年金積立金」は、2001年までは大蔵省(現・財務省)資金運用部を通じて、厚生省所管の年金福祉事業団が運用した。大蔵省に預託されて財政投融資資金とされ、郵便貯金とともに「第2の国家予算」と呼ばれた。本予算に匹敵する額にもかかわらず、税収でないから国会のチェックが入りにくい。巨額の資金は政治家や官僚の裁量により橋や道路、ダム建設などのインフラ整備に使われた。さすがに批判は多く、2001年に資金運用部は廃止された。
 想像してみて欲しい。国に預けたとはいえ預貯金としての性格がある「年金積立金」を、政治家や官僚がチェックなしに手を着ける。それだけでなく年金福祉事業団は返済不能の赤字事業にも貸し付けた。明るみに出ただけでも、公共の宿であるグリーンピア全国13か所で3798億円、検診施設ベアーレなど年金福祉施設265か所で1兆5697億円、社会保険庁職員宿舎建設や長官交際費・外国旅行旅費に1兆808億円を支出していた。これらの穴がその後税金などで補填(ほてん)されたという話は聞かない。

 危険なハイリスク運用
 2006年4月から「年金積立金」の運用は、厚生労働省が所管するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が管理するようになった。運用資産は約140兆円。GPIFは2014年10月から、国債比率60%という手堅い運用方法を改めて35%に落とし、反対に株式の運用比率を50%(国内株、外国株が各25%)へ倍増させた。為替リスクの高い外国債券分15%を合わせると、実に全資産の65%が高リスク運用へと変更された。
 一般の家庭でも、ここまで無茶な投資はしない。まして国民の大事な老後の虎の子である。案の定、見直し後の14年10月から12月までの3か月間で6・6兆円の収益を上げたが、15年7月から9月までの3か月間では7・9兆円の巨額損失を出した。さらに15年10月から12月にかけて4・7兆円の利益を出すも、16年1月から3月までに4・8兆円の損失、同4月から6月までに5・2兆円の損失を出した。安倍首相は16年秋の臨時国会で「安倍政権の3年間の運用収益は27・7兆円。ある程度、長く見ないといけない」と胸を張ったが、問題は結果論のみではない。長くお年寄りたちを支える年金原資を、かくも変動の激しい高リスク投資に委ねて良いのか、という1点が問題なのである。

 「賦課方式」の語が隠すトリック
 高リスク投資により政権が目指すネライについては次回で詳述したい。要は「政治家のオモチャ」として公共事業に湯水のごとく使われた時代と、あまり変わっていないということだ。国民の預貯金である「年金積立金」が、アベノミクス政策推進のために使われている。「賦課方式」の語は、年代層別の逆ピラミッド図とともに「年金積立金」を増やす必要を国民にアッピールし、高リスク投資を正当化するために、ひと役買っている。
 「賦課方式」の語にトリックが潜(ひそ)むのではなく、政治家が「賦課方式」という語を小道具にして、手品を仕掛けているわけだ。