スマホによってもたらされた不便さから解放される

2015年04月20日 | 日記
スマホを手放しガラケーに変えて4日経つ。3年ぶりのガラケーとあって、使い勝手もわからず不便は感じたが、依存の度合いが激減した。

スマホに始まりスマホで終わる日々だったのが、今では「ケータイどこだっけ?」程度に扱いがぞんざいになっている。

メールや電話で使っているにもかかわらず。

流行りものに飛びついたわけではなく、仕事上の必要から使い始めたとはいえ、あんな小さなものにここまで生活を支配されるとは思いもしなかった。

小・中学生でも持っているスマホだが、大人はこの小さな恐るべき機器を子どもが持つことの意味をどの程度理解しているのだろうか。

良くも悪くも世界とつながる機器であるが、おそらく多くの人が「ごくごく限られた小さな世界」に没頭しているのではないか。

きのう、児童館で子どもを遊ばせていたのだが、子どもを見守りながらスマホをいじっている親が多かった。

私も多少経験はあるが、見ずにいられないのである。目の前にあることよりもなぜか、スマホの中のことが気になるのである。

ネットにすぐつながるので、なんでもすぐに調べられるのである。とっても便利。でもその便利さは私の生活をとても不便にしてしまった。

スマホのない生活は不便さをはるかに上まわる開放感がある。

「世界と簡単につながる」スマホは私たちの視野をさらに狭くしてしまった
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