ひろゆき氏は、それを覚えるのは無駄な努力とバッサリ切り捨て(笑)ています。
彼の主張としては、書き順が違っていたとしても書き終わった漢字が読めない分けではないので問題無し。
私の立場では、流石にそれは同意できません(^○^)
書き順は国によって違う漢字もあるので、これが正解!とは言えない側面もあるのですが、日本の場合は象形文字が書き順基本になっていたり、書きやすさが基本になっていたりと、かなり論理的に考えられているようです。
私の時間帯にお稽古に来る高学年以上の子供達に、夏休みの自由研究として『千字文』を勧めています。
見た事も無い漢字が続出するのですから、子供達にとってはハードルが高いはずなのですが、みんな嬉々として取り組んでいます。
定番の草冠の書き順は教えますが、あとは想像力で書き進めさせています。
この想像力の元になるのが、それまでに覚えた書き順と、観察力です。
お手本の筆遣いをよく観察すると、各パーツを繋ぐ見えない線が見えてくるのです。
そしてそれを想像しながら書く事で、お手本の書き手の追体験をすることができるのです。
明治時代の大家の事を、令和の小学生が追体験するのですから、これはもう時空を超えた『一夏の出会い』です。
書いたものは記録として残ります。
そして、『一夏の出会い』は豊かな記憶としても残るのです。
そんな出会いも、低学年で習った基本的な漢字の書き順をある程度知っていてこそ可能なのです。
千字文を書く機会は多くの現代人にとってほとんどありません。
でも、千字文に出会ったら、きっと人生が豊かになります。
子供の頃のひろゆき氏は、書き順との出会いは嫌な記憶として残ってしまっているようです。
千字文で見たことない漢字に目を輝かせながら立ち向かっている子供達の書き順との出会いとは、雲泥の差がありそうです。
漢字の書き順は想像力!
そして想像力には最低限の基礎知識が必要なのです。
口が達者なひろゆき氏に、あっさり論破されちゃいそうですけどね( ̄∀ ̄)