弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

思考停止状態から脱却せよ

2010-01-01 21:49:42 | 弐千円札/論説
昨年の大晦日,とは言っても昨日であるが,私はあるところで買い物をした.支払額が410円であったため,私は二千円札1枚と10円硬貨1枚を出した.もちろん,1600円のお釣りが返ってくることを期待してのことである.ところがその店員さんは,二千円札に驚いて取り乱したと見え,10円硬貨を100円硬貨と間違え,預かり金額を2100円としてレジを打ってしまった.私は---親切なのか不親切なのか分からないが---すぐに間違いを指摘し,近くにいたマネージャーらしき人も彼女をサポートしたが,彼女はしばらくの間ショックから立ち直れない様子であった.

彼女には大変気の毒なことをしてしまったが,これは大変に示唆に富んだエピソードである.2010年元旦の記事にするにはこの上ない材料である.

二千円札それ自体は,何ら特別なものではない.額面が2000円の単なる紙幣である.しかしながら,私が今まで多くの人に二千円札を渡して反応を見た経験からすると,少なくない割合の人々がそれを素直に認知できない.彼らは二千円札を見て驚き,立ちすくみ,取り乱し,さらには思考停止状態に陥ってしまう.その結果,2000円が含まれる加減乗除の計算すらできなくなってしまう.

多くの日本人にとって二千円札は新奇な存在であるゆえ,驚かれるのはある程度いたしかたのないことである.しかしながら,それで思考停止状態にまで陥ってしまう人々は,「目の前のものを素直に認知し,それを必要以上に難しく捉えず,落ち着いて適切に処理する」といった,精神の基本的な働きが弱体化しているように私の目には映る.これは憂慮すべき事態である.

二千円札を処理できるように努力すること,それは,「お札の種類は一万円札と五千円札と千円札だけ」という固定観念と,「2000円という単位は中途半端」という先入観と,それらに起因する思考停止に凝り固まった精神を解きほぐす作業である.そうして解きほぐされた精神は,彼らが直面している二千円札以外の問題を処理する上でも,きっと以前よりよく働いてくれるはずである.

凝り固まり思考停止状態に陥った精神を,二千円札で解きほぐそう.きっと,今までより肩の力を抜いて周りを見渡し,目の前の問題を素直に捉え,自然に手際よく事を処理することができるようになるだろう.より多くの日本人が二千円札を使ってみることで,わが国に活気と輝きが戻ってくることを願ってやまない.
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