私は,自動車と,自動車を運転することが大好きである.ドライブを始めて数分もすれば,どんな嫌なことも吹き飛び,後ろ向きな考えや感情は影を潜め,快活な気持ちになれる.目的や目的地のあるなしに関わらず,自動車を運転すること自体が,私に理屈抜きの喜びをもたらしてくれる.
無論,市街地や住宅街の類では色々な物や人に気を遣いながら運転しなければならないが,そんな中でも,ステアリングから前輪の接地感を,シート越しに後輪の接地感を,それぞれ味わい楽しむことが可能だ.そして,ひとたび山岳地のワインディングロードや空いた高速道路に出れば興奮は最高潮に達する.タイヤが路面をグリップする様子を感じながらコーナーを駆け抜けるとき,ちょっと人には言えないようなスピードで高速道路を走るときなどは,まさに至福のひとときである.
しかしながら,残念なことに,そのようなみずみずしい感情を抱きながら自動車を運転している人間は,この世の中においては少数派である.大半は生活の一部として何となく,あるいは仕事と割り切って仕方なく,それぞれ自動車を運転しているであろう.そうした人々にとって,自動車の運転は何らの悦びをもたらすものではない.特に,高速道路におけるロングドライブなどは苦痛すらもたらすであろう.
つまり,世の中の大多数の人々による,楽しくないドライブや苦痛なドライブのために道路が占有され,限りある化石燃料が消費され,大気中に大量の二酸化炭素が放出されていることになる.生活や仕事のためとなれば,天候や心身のコンディションが良くないときに無理に運転することもあるだろう.その結果として交通事故が発生し,心ならずも命を落としたり他人を殺めてしまうこともある.これは,自動車好きにとっては大変に心の痛むことである.
これらの諸問題すなわちドライバーたちの苦痛,無用な道路の混雑,余計な化石燃料の消費と二酸化炭素の放出,交通事故を軽減するにはどうしたらよいのか?
一つの解としては「自動車の自動運転」というものがあり,交通事故に対する予防安全の観点から実際に研究もされている.しかしながら,これは化石燃料と二酸化炭素の問題に対する答えにはほとんどなっていない(電気自動車とセットであれば話は少し変わってくるが).何より,ドライブ好きにとって自動運転などもっての他である.自動車は,自分で運転するから楽しいのである.
そうなるとまた別な解を探ることになる.それは必ずしも一つとは限らないが,「鉄道を有効活用する」というのは有力な解の一つであろうと思う.貨物や旅客をを運搬するために高速道路を延々とドライブするのに比べ,鉄道車両は一度乗ってしまえば何もしなくても目的地まで到達することができる.自己責任によるものも含め,事故はほとんど起こらない.こうした観点から,数のまとまった旅客や貨物の長距離輸送はバスやトラックから鉄道にシフトすべきであろうと,私は考える.
こうしたシフトが仮に実現した場合,現在の鉄道網はそうした需要を受け止めるだけの輸送力,速達性,安全性を兼ね備えているのであろうか?その答えは否であると私は思う.だからこそ,夜行バスやトラック輸送が隆盛を極め,バスやトラックの運転手が必要な休憩時間すら与えられずに運転することを余儀なくされ,多くの交通事故が発生しているのである.
今回は,私自身の自動車に対する思い入れといった感情論から,旅客輸送ならびに貨物輸送の鉄道シフトが必要であるという考えに至った.次回以降はまた別な切り口から鉄道シフトへの必要性について論ずることになる.そして,本論では,こうした大量かつ長距離の輸送を担える鉄道のあり方について考え,やがて2000 mm程度の軌間を有する超広軌鉄道を将来の鉄道のスタンダードとして提案しようと思う.
無論,市街地や住宅街の類では色々な物や人に気を遣いながら運転しなければならないが,そんな中でも,ステアリングから前輪の接地感を,シート越しに後輪の接地感を,それぞれ味わい楽しむことが可能だ.そして,ひとたび山岳地のワインディングロードや空いた高速道路に出れば興奮は最高潮に達する.タイヤが路面をグリップする様子を感じながらコーナーを駆け抜けるとき,ちょっと人には言えないようなスピードで高速道路を走るときなどは,まさに至福のひとときである.
しかしながら,残念なことに,そのようなみずみずしい感情を抱きながら自動車を運転している人間は,この世の中においては少数派である.大半は生活の一部として何となく,あるいは仕事と割り切って仕方なく,それぞれ自動車を運転しているであろう.そうした人々にとって,自動車の運転は何らの悦びをもたらすものではない.特に,高速道路におけるロングドライブなどは苦痛すらもたらすであろう.
つまり,世の中の大多数の人々による,楽しくないドライブや苦痛なドライブのために道路が占有され,限りある化石燃料が消費され,大気中に大量の二酸化炭素が放出されていることになる.生活や仕事のためとなれば,天候や心身のコンディションが良くないときに無理に運転することもあるだろう.その結果として交通事故が発生し,心ならずも命を落としたり他人を殺めてしまうこともある.これは,自動車好きにとっては大変に心の痛むことである.
これらの諸問題すなわちドライバーたちの苦痛,無用な道路の混雑,余計な化石燃料の消費と二酸化炭素の放出,交通事故を軽減するにはどうしたらよいのか?
一つの解としては「自動車の自動運転」というものがあり,交通事故に対する予防安全の観点から実際に研究もされている.しかしながら,これは化石燃料と二酸化炭素の問題に対する答えにはほとんどなっていない(電気自動車とセットであれば話は少し変わってくるが).何より,ドライブ好きにとって自動運転などもっての他である.自動車は,自分で運転するから楽しいのである.
そうなるとまた別な解を探ることになる.それは必ずしも一つとは限らないが,「鉄道を有効活用する」というのは有力な解の一つであろうと思う.貨物や旅客をを運搬するために高速道路を延々とドライブするのに比べ,鉄道車両は一度乗ってしまえば何もしなくても目的地まで到達することができる.自己責任によるものも含め,事故はほとんど起こらない.こうした観点から,数のまとまった旅客や貨物の長距離輸送はバスやトラックから鉄道にシフトすべきであろうと,私は考える.
こうしたシフトが仮に実現した場合,現在の鉄道網はそうした需要を受け止めるだけの輸送力,速達性,安全性を兼ね備えているのであろうか?その答えは否であると私は思う.だからこそ,夜行バスやトラック輸送が隆盛を極め,バスやトラックの運転手が必要な休憩時間すら与えられずに運転することを余儀なくされ,多くの交通事故が発生しているのである.
今回は,私自身の自動車に対する思い入れといった感情論から,旅客輸送ならびに貨物輸送の鉄道シフトが必要であるという考えに至った.次回以降はまた別な切り口から鉄道シフトへの必要性について論ずることになる.そして,本論では,こうした大量かつ長距離の輸送を担える鉄道のあり方について考え,やがて2000 mm程度の軌間を有する超広軌鉄道を将来の鉄道のスタンダードとして提案しようと思う.