祖父は医者でした。
最初から母は祖父に養ってもらうつもりで離婚しています。
そして、祖父もその気でした。
家庭の中は祖父が君臨する絶対王政でした。
祖父に異論を唱えることは許されず、そして、家族の全員が祖父の偉大さにマインドコントロールを受けていました。
私も一緒に暮らすうちにマインドコントロールにかかっていきました。
祖父は「私が世界で一番天才で、正しい」と言っていました。家族の全員がそれを信じこんでいました。
この頃は祖父を喜ばせたい一心で生きていました。
祖父は厳しく、自分の教えとは違う行動をしている人たちを軽蔑。
よく、世間一般の人々は考えのない自分の欲だけに忠実な下等な人間、というようなことを言っており、私は「世間の馬鹿坊主たちと同じになってはいけない」というようなことをよく言われました。
でも、祖父は家族の中で一番私に優しくしてくれました。
両親が離婚してどれだけ苦しい想いをしているか、と慰め、励ましてくれました。
それを言ってくれたのは、祖父だけでした。
私は祖父のために生きようと思うようになっていきました。
祖父の言われるまま医学部を目指すことにしました。
他の道に進みたくなると「がっかりさせないでよ」と言われたので、思い直して医学部に行こうと決意しなおしました。
母は毎日毎日暗くてイライラしていて、その顔を見ることが重荷になっていました。
いつも自分のことでいっぱい、いっぱいで、私のことなんか気遣ってもくれない。
母から離れてくらしたい、と思っていました。
そんな頃、祖父が二人で暮らそう、と言ってきました。
その頃日本橋で開業していた祖父は、体調が悪く、千葉から通うのは大変だから、日本橋の近くにマンションを借りる、というのです。
そのマンションで私と二人で暮らしたい、と言いました。
東京の方がいい予備校があるよ、と言っていました。
私と祖父の世話は、祖父のクリニックの看護師さんがしてくれる、という話でした。
私はとにかく母と離れたかったので、よく考えずにOKしました。
まもなく、とんでもないことになりました。
祖父が倒れたのです。
そして、その看護師は祖父の愛人でした。
その事実を知らなかったのは私だけでした。
祖父は病院で、祖母、母、愛人に看取られてなくなりました。
私には「医者になってくれ」という遺言を残しました。
結局、祖父が死んだあと、私が働くしかありませんでした。
母、親戚中から「働け!」と言われました。
「私は体が弱いから昼間のパートしかできないよ。」
と言われ、私のバイト代、祖母の年金で家計をまかなっていました。
「苦労かけて、ごめんね」と一言いってくれれば、報われたのに、言ってくれませんでした。
あなたが働くのが当たり前なんだよ、って感じだった。
いつも誰かに養ってもらうことばかり考えている母に嫌悪感が湧きました。
自分は自分で稼いでいける女になろう、と決めました。
それでも、祖父の約束を守りたいと思って、医学部になんとかして行こう、と考えていました。
何年でも働いて、学費を貯めよう、と思っていました。
なのに、叔父は「医学部なんて学費の高いところに行くつもりなんて、金のアテがあるんじゃないか?みんなを裏切って影で実父と通じていて金を準備してもらっているんだろ!」と言い出しました。
そんな事実、まったくありません。
私が否定しても信じてくれません。
そして、母も「そうにちがいない」と言い出し、叔父に加担しました。
私よりも叔父を信じる母に失望しました。
そして、この日から私は叔父を心から信頼することができなくなっています。
結局、私は公務員になりました。
公務員になった年、母が再婚し、その再婚相手と私、弟は養子縁組をしました。
この頃は、祖父の死でドン底であった状況が徐々に上向きになっていく感じでした。
それからしばらくは落ち着いた日々が流れました。
長くてすみません(´・ω・`)
次へつづきます。
最初から母は祖父に養ってもらうつもりで離婚しています。
そして、祖父もその気でした。
家庭の中は祖父が君臨する絶対王政でした。
祖父に異論を唱えることは許されず、そして、家族の全員が祖父の偉大さにマインドコントロールを受けていました。
私も一緒に暮らすうちにマインドコントロールにかかっていきました。
祖父は「私が世界で一番天才で、正しい」と言っていました。家族の全員がそれを信じこんでいました。
この頃は祖父を喜ばせたい一心で生きていました。
祖父は厳しく、自分の教えとは違う行動をしている人たちを軽蔑。
よく、世間一般の人々は考えのない自分の欲だけに忠実な下等な人間、というようなことを言っており、私は「世間の馬鹿坊主たちと同じになってはいけない」というようなことをよく言われました。
でも、祖父は家族の中で一番私に優しくしてくれました。
両親が離婚してどれだけ苦しい想いをしているか、と慰め、励ましてくれました。
それを言ってくれたのは、祖父だけでした。
私は祖父のために生きようと思うようになっていきました。
祖父の言われるまま医学部を目指すことにしました。
他の道に進みたくなると「がっかりさせないでよ」と言われたので、思い直して医学部に行こうと決意しなおしました。
母は毎日毎日暗くてイライラしていて、その顔を見ることが重荷になっていました。
いつも自分のことでいっぱい、いっぱいで、私のことなんか気遣ってもくれない。
母から離れてくらしたい、と思っていました。
そんな頃、祖父が二人で暮らそう、と言ってきました。
その頃日本橋で開業していた祖父は、体調が悪く、千葉から通うのは大変だから、日本橋の近くにマンションを借りる、というのです。
そのマンションで私と二人で暮らしたい、と言いました。
東京の方がいい予備校があるよ、と言っていました。
私と祖父の世話は、祖父のクリニックの看護師さんがしてくれる、という話でした。
私はとにかく母と離れたかったので、よく考えずにOKしました。
まもなく、とんでもないことになりました。
祖父が倒れたのです。
そして、その看護師は祖父の愛人でした。
その事実を知らなかったのは私だけでした。
祖父は病院で、祖母、母、愛人に看取られてなくなりました。
私には「医者になってくれ」という遺言を残しました。
結局、祖父が死んだあと、私が働くしかありませんでした。
母、親戚中から「働け!」と言われました。
「私は体が弱いから昼間のパートしかできないよ。」
と言われ、私のバイト代、祖母の年金で家計をまかなっていました。
「苦労かけて、ごめんね」と一言いってくれれば、報われたのに、言ってくれませんでした。
あなたが働くのが当たり前なんだよ、って感じだった。
いつも誰かに養ってもらうことばかり考えている母に嫌悪感が湧きました。
自分は自分で稼いでいける女になろう、と決めました。
それでも、祖父の約束を守りたいと思って、医学部になんとかして行こう、と考えていました。
何年でも働いて、学費を貯めよう、と思っていました。
なのに、叔父は「医学部なんて学費の高いところに行くつもりなんて、金のアテがあるんじゃないか?みんなを裏切って影で実父と通じていて金を準備してもらっているんだろ!」と言い出しました。
そんな事実、まったくありません。
私が否定しても信じてくれません。
そして、母も「そうにちがいない」と言い出し、叔父に加担しました。
私よりも叔父を信じる母に失望しました。
そして、この日から私は叔父を心から信頼することができなくなっています。
結局、私は公務員になりました。
公務員になった年、母が再婚し、その再婚相手と私、弟は養子縁組をしました。
この頃は、祖父の死でドン底であった状況が徐々に上向きになっていく感じでした。
それからしばらくは落ち着いた日々が流れました。
長くてすみません(´・ω・`)
次へつづきます。