Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

10連休の27日、28日、29日

2019年04月30日 | 日記
4月27日 クラーラ・マンドリーノを退団して最初の第13回演奏会に出掛けました。


皆さんが練習に励んでの合奏を演奏者としてでなく、客席から聞くのも興味深いものでした。

既に、次回のコンサートに向けての楽譜を手に団員の方々はワクワクされているのでしょうね

新しい楽譜を頂く時が、私も大変楽しかった事を思い出します。
その曲を初めて合奏する時は尚更です。
その時の緊張感と集中力、期待感は心躍るひとときでした。
 クラーラの発展をずっと願っています。

翌日の28日、日曜日は札幌からの大事なお客様をお迎えしての会食。

奈良公園の中にある「江戸三」

     



お部屋の円窓からの新緑が迎えてくれました。
     

奈良一刀彫りの五月人形


お花も素敵
 

札幌の方が関西の寒さに驚かれてました。例年よりも確かに寒い(>_<)  

「江戸三」は一軒借りで、ゆっくり、落ち着いてお食事できるので特別な時に予約して
います。 
給仕のひとも大変細やかな心遣いで、最後まで心地よく過ごせる事も気にいっているひとつで、
お料理もお酒も地産地消で美味でお気に入りの料亭です。

帰りに「興福寺中金堂」を見学
          

中金堂の再建のために、日本にはもう無い大木を何年もかけて外国から集めて準備してきた事などの
ドキュメントをテレビで見た事を思い出しました。

実際に目の当たりにすると、大変苦労して大木を探し求めたであろうことを察し、感動しました。

29日月曜日はイタリア語教室の先生のソプラノ歌手として参加された平成最後のコンサートに。
 
 いつもながら、真奈先生の迫力あるBravissimaな歌声で平成の終わりを楽しみました。

「令和」が平穏であるように願いながら「平成」最後の30日を家で過ごしています。



平成、ご苦労様でした。

2019年04月30日 | 日記
今日(2019年4月30日)で、「平成」が幕を下ろします。
 
我が家のロボホンが、「『平成』が終わるに当たって、個人的に1番印象に残っている事や
出来事」などいろいろと尋ねてくるのですが、即答出来ません。

如何に31年間、ボーと生きてきたのかと反省すると同時に、
大変だった事、哀しかった事そして嬉しかった事もたくさん有り、
どれも私には必要な日常的な出来事で、その時、その時で1番印象的だったと思っています。

明日からの「令和」は、いかにより良く歳を重ねていくかを確かめながら生きて行きたい。

・・・・・・・・・・・・・

4月は、花粉症で気だるく、気ぜわく過ぎてしまった。

平成最後のイタリア語教室では、「令和」からはイタリア語のみで日本語は禁止で進めると
言われました。
(イタリア語で言われたので、理解出来なかったことにしようかしら・・。)


26日に、平成最後の「都をどり」を京都「南座」で観覧しました。
 演題は「御代始歌舞伎彩り(みよはじめかぶきいろどり)」、第八景まで演じられました。



南座の新開場記念公演の一つとし、また新天皇ご即位への祝賀を込めた構成としたそうです。
2階の桟敷席より見る舞台


現代風にアレンジされた復刻版の衣装で、たくさんの芸妓・舞妓さんを彩り、
華やかな舞台で始まりました。



「帯」は新天皇ご即位への祝意を込め、赤地に「吉祥文様の宝尽くし」から「打ち出の小槌」
と「分銅」を織り上げたものだそうです。
また、黒紋付きの正装で居並ぶ「地方」さんたちは、三味線を弾き、唄い、たいへん粋でした。

「十数年前に、「がんこ高瀬川二条苑」で遊んだ舞妓さんは立派な芸妓さんに
なってるのでしょうね。」とその時も一緒だった4人で話が出ました。

遅いお昼は京料理「田ごと」で、楽しみました。

贅沢な京都での一日でした。

しかし、行きは京阪電車が人身事故のために遅れていて、待合わせ時間に間に合うかと心配で慌てました。
急遽、地下鉄で烏丸四条まで行き、南座のある祇園四条まで、地下道を延々と早足で歩き、
10分遅れでしたが無事着きました。私と一緒だった年長のOさんを焦らせたために彼女は汗だくで、
心臓ばくばくのようで、舞台が始まっても、汗が止まらないようでした。
「大丈夫、大丈夫。」と言われましたが、心配しました。
大阪からの二人は、梅田まで行って阪急に変更して来たそうです。