2月だと言うのに、4月並の暖かい日が続いて、桜の蕾やボケの花、ユキヤナギの春の
花便りを目にするようになりました。
そして、コロナのワクチン予防接種も始まりました・・・。
東野圭吾「人魚の眠る家」を読み終え、今までの無知から来る思いを反省しました。
この小説は「脳死、臓器移植、何をもって”死”と認識するか」を考える機会を
与えてくれました。
ある小学生が通学路にある豪邸に興味を持ったことから始まるプロローグ。
母親が押す車椅子で眠る人形のようなかわいい少女に、ある日、その豪邸の前で
出逢います。
少年はその少女の母親から聞いた「足が悪くないのに歩けない」とは「どういう
ことだろう?」と、あの子を思い出す度に人魚をイメージするようになったのです。
人魚は歩けない、だから少女は人魚で、屋敷で大切に保護されているのだとー。
プロローグでの少年はエピローグで再度登場し、最後は感動で読み終えることが出来ました!
「脳死」という重い言葉で、臓器移植が始まったころには、世間でもいろいろと物議が
交わされていました。
そんな中で渡航移植の規制強化と臓器提供の自給自足を唱えた「イスタンブール宣言」。
臓器提供の「自給自足」?!ーショックな翻訳
渡航移植患者の数を減らすためだった”高額費用”の背景も十分理解出来ました。
また、日本では臓器提供に承諾しない場合は脳死でなく、心臓死をもって死と
されているそうです。
驚くのは、全く知らなかった人工呼吸器に替わる「横隔膜ペースメーカー」の存在です。
「心臓ペースメーカー」と発想は同じだそうです。
メンテナンスも複雑で費用も高額で殆ど世の中では知られていないようでした。
小説が書かれてから5、6年経った今現在では「横隔膜ペースメーカー」の普及は?
この本は名門小学校受験を間近にして、プール事故で脳死となった少女の家族、特に母親の
狂おしいまでの娘への愛の話しだけではありません。
「脳死」、その患者の親や家族、臓器移植を待つ親子、それに関わる医師、渡航のための
募金活動するボランティアの人達について等、たくさんの社会的課題があることを深く
受け止め、これからも少しづつ考えて行きたいと思いました。