オリジナルの絵を描くには、他の絵を見ないで描けばいい。
高校生のころ、岡本太郎に似ている絵をたくさんみかけたものだ。
松本竣介、佐伯祐三なども、いかにも高校生好みの画風だから、これもやはり、よく似ている絵を見かけた。
初めて油彩に触れた高校生の描く絵のほとんどは、画家の誰かに似ている画風なのだった。
私は高校生の頃、やはり佐伯祐三の画風だったなあ、と思う。いま考えてみると、ギュッと胸を掴まれたような恥ずかしさがある。
当時は自分好みの画家を探して、真似をして風景なんかを描き散らしていた。
真似では、なんとなく上手く描けるので、得意げに画家を気取っていたものである。
高校のころ、靉光の作品集も繰り返しみたし、小倉遊亀の絵を最初にみたときは、おおっとなったものだ。
高校・大学ではいろいろな作品を観て、どんどん真似すればいい。
高校の恩師はよく「真似をして、学びなさい」と言っていたので、私はそれをかたくなに(笑) 守ったと思っている。
真似をしなさい、というのは画風を似せるという表面的なことではなくて、その作家の描画方法や題材、思想に深く傾倒しなさい、ということだったと私は感じている。
その作家が好きで深く傾倒すること。また違う作家を好きになって、ふたたび傾倒してゆく。
その繰り返しが、絵を描くコツや、自分の表現方法の探求ーー 考えて、発見してゆく、ということに繋がるのだろう。
だから絵画を学ぶということは、真似をすることと密接に関わっている。いきなりオリジナルの絵画を発表する画家は天才と呼ばれるだろう。
ましてや画学生にとって、巨匠といわれる芸術家の作品にのめり込んでゆくことは、そのまま美術を勉強することになる。
ー引用ー
netgeek.biz/archives/49251
「多摩美術大学の卒業制作優秀賞が有名画家いわさきちひろさんの作品に酷似していた件について、netgeek編集部がいわさきちひろ記念事業団に問い合わせたところ、「対処する」という返答を得た。」
それをふまえた上で、この事案をながめる。
1 いわさきちひろ作品とそっくりなものを大学生が作った。
2 それは卒業制作の優秀賞である。
3 いわさきちひろ記念事業団に問い合わせたところ、「対処する」という返答があった。
4 これがウェブでニュースとして取り上げられた。
いろいろ奇妙なことが起きているな、と私は感じた。
本来ならこれは、取るに足りないできごとであって、ニュースにはならないものだ。
なぜなら学生が画家の模倣をする、ということは当たり前だからだ。
しかし「問題」として取り上げられる背景は、東京オリンピックのエンブレムにまつわる「模倣疑惑」「盗作疑惑」が暗い影を落としていることと無関係ではない。
では、模倣は悪であり、酷似作品を制作した大学生に非があるのだろうか?
私は、画学生が作品を模倣することは悪いことだと考えていない。
だから、この酷似作品に優秀賞を与えた人たちがそもそも問題なのではないのか。
ここで賞を決めた偉い人たちは、いわさきちひろも知らないらしい、と言われて当然だろう。
美大生にもなって、あまりにもそっくりな絵(トレス?)を卒制で出しちゃう、というのも、だめだろ! (笑) とは思うけれども、普通こんなに話題になることはない。エンブレム問題以前から、美大の中では学生たちによって模倣作品が制作され、日常的に登場しているからだ。
ただ、審査となると話は別だ。
あまりにもそっくりだな、という時点で賞などつけなければ、話題になることも記事になることもなかっただろうし、そこへエンブレム疑惑の余波が追い打ちをかけたわけだ。
しかし大学の卒業制作展内のことだから、そっくりな絵を描いた本人は守られるべきであって、ちひろ事業団の「対処する」という文言はあくまで大学に向けられた言葉だろう。
ウェブでは「大学生が悪い!」という書き込みがけっこう出ていたけれども、私は、大学生は悪くない、ということを言いたかった。長くなった。
私の絵も、岡崎乾二郎氏の絵画によく似ているので、いつか非難されるかもしれない(笑) 。
とくに意識したわけではなく、知人が「よく似ている」と岡崎氏の絵画を教えてくれたのだ(笑) そういうこともある。先駆者がいたので、ともあれ私はまた自分の絵を変える実験中だ。
高校生のころ、岡本太郎に似ている絵をたくさんみかけたものだ。
松本竣介、佐伯祐三なども、いかにも高校生好みの画風だから、これもやはり、よく似ている絵を見かけた。
初めて油彩に触れた高校生の描く絵のほとんどは、画家の誰かに似ている画風なのだった。
私は高校生の頃、やはり佐伯祐三の画風だったなあ、と思う。いま考えてみると、ギュッと胸を掴まれたような恥ずかしさがある。
当時は自分好みの画家を探して、真似をして風景なんかを描き散らしていた。
真似では、なんとなく上手く描けるので、得意げに画家を気取っていたものである。
高校のころ、靉光の作品集も繰り返しみたし、小倉遊亀の絵を最初にみたときは、おおっとなったものだ。
高校・大学ではいろいろな作品を観て、どんどん真似すればいい。
高校の恩師はよく「真似をして、学びなさい」と言っていたので、私はそれをかたくなに(笑) 守ったと思っている。
真似をしなさい、というのは画風を似せるという表面的なことではなくて、その作家の描画方法や題材、思想に深く傾倒しなさい、ということだったと私は感じている。
その作家が好きで深く傾倒すること。また違う作家を好きになって、ふたたび傾倒してゆく。
その繰り返しが、絵を描くコツや、自分の表現方法の探求ーー 考えて、発見してゆく、ということに繋がるのだろう。
だから絵画を学ぶということは、真似をすることと密接に関わっている。いきなりオリジナルの絵画を発表する画家は天才と呼ばれるだろう。
ましてや画学生にとって、巨匠といわれる芸術家の作品にのめり込んでゆくことは、そのまま美術を勉強することになる。
ー引用ー
netgeek.biz/archives/49251
「多摩美術大学の卒業制作優秀賞が有名画家いわさきちひろさんの作品に酷似していた件について、netgeek編集部がいわさきちひろ記念事業団に問い合わせたところ、「対処する」という返答を得た。」
それをふまえた上で、この事案をながめる。
1 いわさきちひろ作品とそっくりなものを大学生が作った。
2 それは卒業制作の優秀賞である。
3 いわさきちひろ記念事業団に問い合わせたところ、「対処する」という返答があった。
4 これがウェブでニュースとして取り上げられた。
いろいろ奇妙なことが起きているな、と私は感じた。
本来ならこれは、取るに足りないできごとであって、ニュースにはならないものだ。
なぜなら学生が画家の模倣をする、ということは当たり前だからだ。
しかし「問題」として取り上げられる背景は、東京オリンピックのエンブレムにまつわる「模倣疑惑」「盗作疑惑」が暗い影を落としていることと無関係ではない。
では、模倣は悪であり、酷似作品を制作した大学生に非があるのだろうか?
私は、画学生が作品を模倣することは悪いことだと考えていない。
だから、この酷似作品に優秀賞を与えた人たちがそもそも問題なのではないのか。
ここで賞を決めた偉い人たちは、いわさきちひろも知らないらしい、と言われて当然だろう。
美大生にもなって、あまりにもそっくりな絵(トレス?)を卒制で出しちゃう、というのも、だめだろ! (笑) とは思うけれども、普通こんなに話題になることはない。エンブレム問題以前から、美大の中では学生たちによって模倣作品が制作され、日常的に登場しているからだ。
ただ、審査となると話は別だ。
あまりにもそっくりだな、という時点で賞などつけなければ、話題になることも記事になることもなかっただろうし、そこへエンブレム疑惑の余波が追い打ちをかけたわけだ。
しかし大学の卒業制作展内のことだから、そっくりな絵を描いた本人は守られるべきであって、ちひろ事業団の「対処する」という文言はあくまで大学に向けられた言葉だろう。
ウェブでは「大学生が悪い!」という書き込みがけっこう出ていたけれども、私は、大学生は悪くない、ということを言いたかった。長くなった。
私の絵も、岡崎乾二郎氏の絵画によく似ているので、いつか非難されるかもしれない(笑) 。
とくに意識したわけではなく、知人が「よく似ている」と岡崎氏の絵画を教えてくれたのだ(笑) そういうこともある。先駆者がいたので、ともあれ私はまた自分の絵を変える実験中だ。