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さんかくしかく

毎日いろいろな形になってしまうぼくのあれこれ。

またフォー・ユー

2010年07月23日 | 三角記事
いつになくしずかと思ったら暑いし
記録的になっているし
ぼくの知らないところで、きのうも今日もぜんぜんかかわりのない部分で
たしかに こう 暑かったのはたしかなんだけども
なんだこの数値は
いったいだれがなににゆるされて、この数値は


きっとわからないことはわからないままだろう
前までわかっていたことも、わすれてしまうのだろう
だとするとやはり、世界はどこにもないはずなのだけど

とりあえずぼくは自分で歩いているとは思っていないし、だとするとなにが大切なのかもよくわからないし


そうして、そんな文章ばかりがたまってゆくなあ

なにかいた

2010年07月22日 | 三角記事
イエー

なにかいた
どこかにいたなにかをかいた
なにかいた
顔かいた
かゆかったのか
いやちがういやちがう
かきたかったのだ
かいたのか かいたのだ かきたかったからかいたのだ
かいかんだったのだ
またかいた
またかいたのか
そうだかいた
またかゆかったのか
ふろはいれ
ちがうちがう またではなくてまたかいたのだ
またかいたぼくがいた

ひざし

2010年07月21日 | 三角記事
まぶしいなー
そういえばあまり蝉の鳴き声をきかない
起きるのが遅すぎるんだねえ
えっとー、これからなにをするんだったか
日光浴だか

まあたしかに日光浴は必要だとおもう。
ぼくもだいたいふとんと同じような感覚なのだ

のびてきた稲
あおあおとしげるとはこのことか
ものすごい草いきれ
田んぼの中を突っ切ってゆく、生身のからだをつつむ空気。
どちらがからだかわからないからだ。せめてすべてつなげられてしまって
人をみる目、それからぼくをみる目。

静かに綴ってゆくこと

2010年07月20日 | 三角記事
つづりかたを ぼくは知らないのだが
雨はもうやんだし、あの人はもういなくなったし

ぼくは川の多いこの町を歩くのだが
ぼくは川の多いこの町がすきだ
夕方の風景はなぜこんなに、心の奥 深くにまで入ってきてしまったのだろう

そのわけはぼくにしか説明できないだろう

しばらく座りこんでながめていたら、さっそく蚊にくわれ
まあしかたないと思っていたら、もどかしくて腹立たしくてね

結局いつでも、この景色を前にして、立ち止まれなかったのだろう。
貴重な時間をへだてて、あれこれ見つけて、確認して、確信するころに、夏は終わるのだろう。

おー祇園

2010年07月19日 | 三角記事
おー
祇園祭もおわった京都だねえ
四条烏丸から商店街を歩いて、えんえんとあるような商店街を歩いて、緑色のバスがつぎつぎに続いて
タクシーもさまざまなタクシーがつながっていて
また信号なのね
でまあ、八坂神社につくだろう。
それまでにはいろいろウインドウになっていて、たとえばおだんごやさんとか、ジュンク堂だとか、ノムラテーラーだったり、何必館だったりするんだ
鴨川はもうおだやか
大雨の日に見たら、どうどうと流れていったけど
土が流れていくような感覚だったけど
とても早かったけど

ながれながれて どこへゆくのか
ぼくのなんたらかんたら いまここにあるよ

BRU-TUS

2010年07月18日 | 三角記事
ぼくはつぶやく。
いつもつぶやく。
気がついたらそう。

ぼくはぶつぶついう。これは英語でいうところのmur-murであるらしい。
むにゃむにゃ言っている、というかんじだろう。日本語でもだいたいそう。

そんなぼくはつぶやいている。
だいたいむだになってしまう。
絶対安全剃刀でひげをそったりする。
バドワイザーによったりする。

たしかにまったく価値がないのだろう。
すべてのあとでぼくが言えることは、続けてきました、ということだけだろう。
哲学はもうない。どこにもない。

つぶやきつづけるだろうか。
つぶやきつづけ られるだろうか。
たしかにたしかに、変わったことをしているわけではないとかそうだとか。
でもそれは大切なことではないのだろうね。

ぼくはつぶやいていて
ぼくはつぶやいていて
ぼくはつぶさにつけていて
つぶやくすべをもっていて
あと一言が、どうしてもでてこない。

はやいのだ

2010年07月18日 | 三角記事
しばしの空白
むしばんでゆくなにか
旅にでかければ道にあたる
ささやきかけないで ぼくのすべてに
よこからやめてくれていいよ

みずからの名前を考えてしまうなんてそんなことできないなあ
総合世界史だなあ
それはそうと、虫よけスプレーのにおいすごいなあ
なぜだよ

今日は晴れ
若者たちは、こぞって外にでかけてせみがないて鳥がとんで肌をだして息をのんで みてきいて

更新はまだかな

2010年07月17日 | 三角記事
こんなふうなブログで日記でだいたい散文で散漫な文章ですがね
一年たちましたね
はやいですね

とくになにに力をいれるとかそういう取り決めはぜんぜんしていなかったけど
ただ少しばかり疲れていて、それでその文章ばかりだけどね
どうねこうね言うものなにもないね

一年はながい。それはそれは、とても…。

心の中

2010年07月16日 | 三角記事
ぼくのすべてであるつもり

かなり軽薄だとおもう
かなり単純であるはずだ
かなりさめているときもある
かなりばかやろうだろう

くそ くそ なんてこったのすったもんだ
もうなにを言っても変わらない

くやしいけど続かない


かなり残酷だろう
ずいぶんしけたろう
本当によくわからないのだ
そんなぼくを愛してほしいのはずいぶんと無理な注文だ

べーだ

そのとおりである

2010年07月15日 | 三角記事
なんだかねー、きのうは、当然、という話をしました。
どんな話だそれはといわれてもね、それはやはり、当然、ということになるのでしょう。

ぼくが生まれたときすでにそこにあったものは、それはぼくにとっての、経験的に知っている、あたりまえのこと。

それがみんなそれで、だからジェネレーションギャップというのができる。
それはそれはわかりあえない人たちなので。

それがそれとしてそうあるべきものを、ぼくは持っていなかったりするし、逆に、ぼくたちが理解できないものを、彼らが持っていたりする。
驚いたんだなモー。

そうかんがえてみれば、空の色だって同じではなかったのではないか、と不安になったりする。ゆれる。